もしも、伊藤博文が、暗殺されなかったら


日韓併合が無かったかも知れない。

いずれにしても、遅かれ早かれ、日韓併合はされたかも知れない。

どうなっていたか、判りません。


1909年10月26日、伊藤博文が、安 重根に暗殺された日と言われます。

今日が、それから100年になります。

歴史の悲劇の一つです。


歴史は立場によって様々な内容で伝えられる。

全く背正対であったり、謎が沢山あります。

今、今日、起こっている事でさえ、正確に伝えられる事はありません。

伝える人の立場で、まちまちです。


伊藤博文と、安 重根が、なぜ出会ってしまったのか?

なぜ、ハルピンであったのか?

安 重根は、ずっと伊藤博文にはりついていたのか?

単独犯であったのか?複数犯であったのか?

複数犯であったとしたら、誰が関与していたのか?

大日本帝国政府関係者が関与していたのか?

ケネディー暗殺事件のような、謎の多い事件です。

内閣総理大臣を経験した国会議長を射殺する事は、大事件でした。


織田信長が今川義元の軍勢に勝利したのも謎の一つです。

敵の大将の首をとった事が一番の勝因でした。

当時、伊藤博文は、朝鮮半島で最も憎まれる人物の一人でした。

敵の大将と思える一番の標的だったのかも知れません。

血なまぐさい暗殺、殺戮の明治維新を生き残り、松下村塾の中でも生き残った数少ない人物です。

しかし、最期はやはり、暗殺されてしまいました。

明治維新をひきずり、その延長線上で起こった事なのか?

政敵に暗殺されたのか?


伊藤博文は日韓併合に反対していたと言われます。

併合後の経費を計算すると、費用がかかりすぎと試算していたようです。

実際に、かなりの費用がかかっています。

そこで、もしもという話になる訳です。

もしも、伊藤博文が暗殺されなかったら?

朝鮮半島にも日本列島のような、改革がされて、他国に翻弄されない国になっていたら?

日韓併合が無かったかも知れないと言う話になるわけです。

わたしは、日韓併合が無かったら善かったのにと思います。

それだから、なおさら、もしもと、思ってしまいます。


時代のうねりは何によって動かされているのか?

人の願いに反して、とんでもない方向に行ってしまう。

そのうねりに、巻き込まれて人類は悲劇を繰り返してきました。

人間は、殺戮と、闘争と、不倫を繰り返してきました。

二度と悲劇を繰り返さないために、歴史を学ぶのだ。と教わった気がします。

しかし、歴史を正確に伝える事もできず、学ぶ事も出来ないのが現実です。

ビデオ判定が、歴史にもあれば善いのにと、つくづく思います。

人間が審判になるのですが、価値観が皆違うので、判定がまちまちです。

相撲はビデオで判定しますが、野球や、サッカー、フィギュアスケート等、審判の一方的な判定によるものがあります。

歴史も、公平に審判してくれる方法は無いものか?


悔やんでもしかたありませんが、

それにしても、人類は悲しい。

悔やんでも悔やみきれない、悲しい事です。

でも、新時代を開いてゆくのが、今日、今を生きるわたしたちの、役目なのでしょう。

逃げては通れない道ですね。

この一日を、重要に受け止めて、幸福な未来を創造してゆきたいものです。

憎しみも、恨みも、悲しみも、苦しみも無い、善い日を迎えたいものです。