なんだかもー。やっぱりストレスフルでボコボコです(;´∀`)
被災地でもないのに。被災者の方に申し訳ない。
…などと、考える事自体、実際、ストレスを感じてる以上、
益々よろしくないのは、頭では理解しているので、
たとえば、同じくストレスを抱えている他人には、そう言っちゃうのだが、
なまじ自分のアタマの中にそういう考えがあるだけに、つい自己批判というか、
「いや。自分の場合はただのわがまま」
という考えから、抜け切れず、益々自分を追い詰める。
本日の写真と記事本文は、関係ありませ~ん!
花粉でパンパンの松のおしべ( ̄▽ ̄;; クシャミ出そう…
もともと原発問題については、強い関心と感受性を持っていたため、
今の状況が、非常にキツイ。
何がキツイって、ひとつは、
この状況下で、なお、原発に感心の薄い人と話す時。
メンタルパワーのパラメーターが、ガツンガツンと下がるのがわかる程、
クリティカルヒットで精神的なダメージ大。
普段なら、私。自分が関心のあるモノに他人が興味ないからって、
相手に怒りを感じたり、見下したような気分になる事は、ほとんど無い。
ものの感じ方に、人によって温度差あるのは、当たり前。
たぶん、他人の嗜好には、あまり関心がなく、
「そういう人が、そこに居る」程度の認識なのだ。
しかし、今回に限り、かなり辛い。
というか、相手に合わせて自分が「気にしてない」様子を演じるのが、辛かった。
切り変えなくちゃと思えば思うほど、エネルギーの消耗が大きいもんだ。
そんな6週間。
今週のくるみ。
にょきにょき。
振り返ってみて、なにより強いストレスを感じたのは、
報道や、原発政策推進プロパガンダ、原発スキーの人の語る、
「原発安全」「放射性物質安全」「原発絶対必要」の喧伝でした(^^;
結論ありきで、人の流れを一定方向に統制しようとする大本営にも、
国民感情が反原発に流れるのを必死で阻止せんとしてるのか、
もしくは、原発反対者=「ピカが伝染る!」程度の知能と放射線に対する認識の、
無知蒙昧のヒステリー集団としか思ってない風の原発スキーの言い草にも、イラッとくる。
そりゃあね。私もね。
実は、反原発運動の中には、一部心理的に距離を感じるモノもあったのは確か。
でもね、長年それなりに、推進派、反対派、双方の意見を聞いて来たし、
色んな情報の中から、なるべく冷静で、結論を排したデータを拾って、
放射線がどういうものか、
何処まで如何なら如何なのか、ある程度知った上で、
自分の物の考え方に照らし合わせて、最終的に自分の立場を決めて来たので、
最初に結論ありきで、それを鵜呑みにするのを、
「正しい情報」と言われる事に、もんのすごいストレスと嫌悪感を持ちました(=_=)
しかも、嘘や誤魔化しが見えるんだもん( ̄▽ ̄;;
クルミの花芽。
どんな花が咲くんだろう?!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
なんか辛い状況に居てギリギリ頑張ってる人に向かって、
「頑張れ」と言うのが禁忌なように、
ある程度、原発への危機感の強い人に向かって、
「安全」や、原発の必要性や素晴らしさを語っても、嫌悪感しか感じないんだなーと。
そして、そういう人、多い気がする``r(^^;)ポリポリ
だから、より慎重に、危険性を認めた上で、
より安全に過ごすためのノウハウを語る人の所に人が集まる。
同時に、人間、自分の居る場所は「安全」だと信じたい心理もあるだろう。
また、原発推進派の人は、より強固に、
原発は「本来であれば安全」なのに、東電が悪い、政府が悪い、運用が悪いと、
責める様子も、なんだかなぁ``r(^^;)ポリポリ
時々、かすかに紫色の色素が挿す。
薄紫のハナニラはここには無いけど、白いハナニラにも、紫になりたい気分は残ってるのね。
このように、人間は自分の聞きたい情報を優先的に収集するし、
聞きたい結論しか耳に入らない場合が多いのだ。
何故、自分は、原発が嫌いなのか。
あるいは、何故、原発推進派の人は、そんなに原発が好きなのか。
何故、多くのデータの中から、その情報をより重視するのか。
まず、自分の心に問うて語れと思う。
少なくとも、その結論は、神の視点のものではない。
人間の、その人の趣味嗜好に他ならない。
原発の状況を見てパニックになった事は無いが、
「安全です」とか「風評被害です」という言葉を聞くと、
一瞬、寄るな!触るな!弾けて飛ぶぞ!!!
と、
ちょっと、ひと暴れしたくなる程、激しいストレスを感じるのですヽ(;´ω`)ノ
と、いうわけで、何故、自分がこんなに放射能汚染が嫌いなのか、
原発が嫌いなのか、
放射能の危険性から、洗い直してます。
団子日和。
ストレスから遠ざかる事で、ストレス解消の出来ない私(ノ_-。)