1974年、昭和49年に黄碧月画集が出版された。

その画集に司馬遼太郎の黄碧月についての一文があるので

ここに紹介する。

 

司馬遼太郎については、文筆家、評論家としての名声

人気はますます盛んだ。

NHKも2023年の9月、数度にわたり

司馬遼太郎の談話をシリーズとして放映した。

(司馬遼太郎 生誕100年特別アンコール放送 雑談「昭和」への道)

 

司馬遼太郎(1924-1996年) 72歳で死去。

産経新聞社美術記者を経て評論

文芸作品など多岐にわたり数多くの著作あり。

 

その司馬遼太郎の記者時代の談話も興味津々、しかも黄碧月について。

彼女は神戸生まれの神戸育ちの、華僑の娘。

なんと、わが書斎画廊の初期の忘れがたい画家、今も油絵を2点蔵しています。

 

そんな訳はともかく、興味のある方は司馬さん

黄さんのお話をご紹介します。

 

 

<記者・司馬遼太郎の取材記事>

黄碧月は神戸の華僑のお嬢さんで

花となったような美しい人だったが

それより絵がよかった。

 

絵の具がまだ画面になじんでいなくて

ペタッとしたような、そらぞらしさがあったが

造形の骨格がしっかりしていて

それに色彩感覚がみごとだった。

ひさしぶりで自分の色彩を持っている新人に出会った思いで

小さな昂奮をおぼえた。

 

所属の春陽会の元老の伊藤慶之助画伯からも

彼女は元気で活躍している

などと消息をうかがった。

その黄碧月がひょっこり訪ねてきて

画集を出すから何か書けという。

 

あなたは私の若いころを知っている人だし

だから自分も心の中でたいせつにしている、

だから書けという。

いかにも良家の育ちらしい明けっぴろげの押しつけで

これでは書かざるをえないと思ってしまった。

 

話しているうちに

急に眼を見すえて私の顔を見

肖像を描いてあげよう、といった。

それもしつこく言った。

 

これには私も閉口して

黄さんの造形的情熱のギセイになるのはかなわん

と断ると、彼女にはそれが通ぜず

私は肖像画が好きで、自分では上手だと思っている

それでもイヤか、という。

 

私は返答に窮して

黄さんの絵は好きだが

自分が肖像画を描かれるということとは別だ、

私には平気で肖像画を描かれる神経がない、といって

辛うじて彼女の向こう見ずな情熱の方向を外らすことができた。

そういう人である。

 

美術とくに自分の美術というものに

これほど余念なく生きている人を

私は他にあまり多くの例をしらない。

 

これにて司馬さんの取材記(抜粋)は終わりとさせていただきますが何を感じられたでしょうか。

 

私は彼の美術記者としての言葉にも

彼の優しさナイーブな人柄がにじみ出ていて

ちょっとジーンときちゃいました。

今は、司馬さんのことをもっと知りたくて

「司馬さんは夢の中」福田みどり著を読んでるところです。

 

福田みどり(司馬遼太郎夫人〉

昭和四年1929-、現在、司馬遼太郎記念財団理事長。

彼女は夫のことをなぜか「司馬さん」てよんでいた。

記者の同僚のころから亡くなるまでズウット。

 

黄碧月 「バラ」F4号 額外寸37×46cm 

                                額装価額¥176、000(税込み)

 

黄碧月  「静物」F6号 額外寸40×49cm 額装価額¥264、000(税込み)

 

 

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