ド・スタールは1914年、ロシア・ペテルスブルグに生まれた。ロシア革命の後、ド・スタール一家はポーランドへ亡命。そこで両親があいついで没した。この孤児はブリュッセルの母の知人の下で養育され、そこの美術学校をでたのち19才のときパリへ出た。

長い貧乏暮らしの後、次第に作品が認められるようになり、やがて画家として余裕のある生活ができるようになったが、突然自殺、41歳であった。

 

故国喪失者は、どこの国の市民権を得ようとも、心情的には、絵画という幻影の世界の住民というほかない。

そして、この幻影の世界は現実社会と衝突することによって、その脆弱で不安定な姿をみせてしまう。

芸術家としてこれ以上いきることができなくなっても、それを庇護するような力は、どこにも存在しないからである。

 

ド・スタール 「ふね」1955

アザン社刊(仏)プリント シートサイズ59.5×79.3cm

 

額装例 額縁コーナー例