今回は、先生方に逢いにバリへ1週間、
そのあとはインドへ3週間滞在しました。
インドでは毎朝スワミジ(インドでいう、お坊さんといった意味らしい)のところや、後半はガンジス川で瞑想。といった毎日でした。
滞在は、近くのおうちの一部屋を貸してもらいました。
特に予定もいれず、アーサナヨーガ(普通の、ヨガのポーズとかするクラス)のクラスも一度しか行かず、あ、キールタンは二回行ったけど。
あ、そのうち3日ほどは買い物とかしたけど(えっ笑)
ひたすら瞑想をした。(ちょっと盛ってるなw)
インドでは何かとトラブルがあった。
でもバリで覚醒されてる方と出逢い、お話をしていたので
「これはもう、なるべくしてなってる」
と、心の奥ではその全てを受け入れていたのがよくわかった。
準備ができていた。
このタイミングで出逢っていてよかった。
外側の浅い部分では泣きながら瞑想をしていたり、気持ちがごちゃごちゃになったり、それはそれは激しく波打ってたけど、その波の奥底の深海は、とても穏やかだった。それが不思議だった。
誰も悪くない。
深いとこではわかっていた。
今までのこともきっとそうだった。
ただ、今まで繰り返して来た自分のパターンが、なかなかそれを許さなかった。
でも最後はきっとどうにかおさまってるんだろう、とまるでその物語のラストがわかっているかのようだった。
そのパターンを何度も何度も使いたがる自分と、
それもわかっていて、全てを受け止めている自分。
"Do nothing
Just surrender “
何もしない
ただ明け渡す
先生から教わった言葉だ。
瞑想中、何度この言葉を心で呟いただろう。
それがだんだんと体験として理解されていくと、身体の力がぬけ、長時間足を組み座っていても痛みもほとんど感じなくなる。
むしろ、どこまでが皮膚で、どこからが外の空気なのかわからないような感覚。
手をきちんと重ね、足に置いてるのかもわからなくなる。
姿勢の意識も薄れ、呼吸もとても浅い。
石のようにジッとなる。
外も内もなくなる。
その時に、ふっと、ほんとにふっと、
「出逢う人、出来事すべて
私の人生を悟りへと運ぶ船なんだ」
と思った。
言葉というより、感覚的にそれがきた。
船でなくとも、、箱のようなもの。
ヒトの形をした箱の中には、悟りへのヒント、気づきがギフトとして入っている。
でもその箱は、開けてしまえば捨ててしまってもいい。
どんなにデザインのいい箱だとしても、
機能的な箱だとしても、
箱は 箱だ。
"橋は渡ってしまったら必要ない"
これも、その先生から教えてもらった言葉だ。
船に 箱に 橋に 執着するのでなく、
その船に自分が運ばれていること。
箱の中のその気づきのヒントを手にしたこと。
その橋に繋いでもらい、渡っていること。
それこそが真実で、大きな気づきだ。
何か大切なことに気づく時、私はいつもドラマチックに、幸福感がきていた。涙が出るような込み上げる感情が来る時もある。
今回の気づきは、その涙が出るようなドラマチックなものでもなく、ほんとに静かに、でも確かに、気づいたことだった。
幸福感や至福感という表現より、もっと静かな、シンとした、穏やかな感じ。
その瞬間、今までの過去、ずっと手放せずにいたことに対して、
「もういいな」
と思った。
自分の中でようやく収まった。
帰国してからはまた日常に戻り、同じパターンが始まる。
なのでその気づきを忘れないように、日々短くても瞑想を続けてます。
遊ぶのも好きだし、快楽主義なとこもあるけど、
その穏やかさに、いつも気づいていたいなと思います。
とはいえ、いつも通り変わらないわたしでっせ
Sakurako
