本日朝は出張着付け&ヘアセットに行ってまいりました
→そして戻って伯母に喪服の着付け
→午後からは母の四十九日法要でした
母 4月末に亡くなりました
ガン闘病歴35年4ヶ月でした
すごいでしょ〜長いでしょ〜??
母がガンになった時に生まれた子が35歳の中年になるほど母は生きたんですよ
ガンになったとたん「死ぬんじゃないか??」と落ち込む方
母が聞いたら「私を見なさい!!落ち込むんじゃないわよ!!」と言いますよ
母が最初にガンになったのは昭和!
その当時余命3ヶ月と言われたんですよ
10年生きている可能性は3%と言われたんですよ
それからずっと闘病してたんです そんな人いますか??
死亡届の「発病時の手術日」欄に「昭和」の選択肢が無くて書き直してもらう案件発生
生前母に「ガン闘病の本でも書いてから逝きなよ」って言ったもんです
昭和で癌になり 「余命3ヶ月」と言われた人が平成全クリア 令和も6年まで生きちゃった さすが我が母!
昨年12月上旬から突然始まった短期集中型で内容の濃すぎた介護生活でした
今まで長い間穏やかにすごしてきたのに その日を境に一変しました
とにもかくにもその期間は本当に大変だった
わたし 4ヶ月半で8キロ痩せました(いまは順調にリバウンド中)
自分 倒れて救急車で運ばれもしましたほんと散々さ
自分の子らには「親の介護でこんな目に遭わせない」と誓ったボイレコも録ってもらった
(息子ら わたしの介護は絶対にしない!と言っているので安心です)
母 壮絶すぎる最期でした
最期はおだやかに・・なんて絶対に言えません!!
甥曰く「「闘う」という名にふさわしい最期」でした
12日間の緩和ケアへの入院、緩和ケア=目を離すと逝ってしまうので
母と手を繋ぎまくって見つめまくった日々でした
重症認定のあとの最後の7日間はわたしが病院に泊まり込み
最後の日は未明から急変したので 看取ったのは私とかろうじて二分だけ間に合った次男だけ。
親を最期まで自分でみる!!って言う方々 理想を語るのは簡単です
是非実際にやってみてから言っていただきたい
「最期までみる!」っていうのはこういうこっちゃ わたしゃやり切った!達成感!
亡くなった日に法要計算表で四十九日を割り出したら
なんと本日=母の誕生日
姉が「母、もってんな〜〜〜」と言いました
母 82歳おめでとう
毎年すき家のうな牛を買ってきて息子たちとお祝いしたよね
毎年のうな牛を持った母と長男次男の写真があります
今日は次男が母の代わりにうな牛を食べました
母自慢のおりんとナムナムコーギーちゃん
母 今頃マタと楽しく散歩をしているだろう
・・・・忘れていたが父もあっちにいた🙄
とりあえずあっちが賑やかそうなのでわたしも安心している
おとーさん おかーさん マタ またいつかそっちで会おう
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