「自立」って大事な事? | 付属小学校から大学まで有名私立お嬢様学校に通った筆者が、自分の子どもを小学校受験させない理由

付属小学校から大学まで有名私立お嬢様学校に通った筆者が、自分の子どもを小学校受験させない理由

高額な幼児教材を買わなくても、
有名な幼児教室に通わせなくても、
才能を花開かせる
究極の家庭環境の作り方

こんにちは。ちゃっちゃんママです。
今日も、ご訪問ありがとうございます。

photo:01

これは、娘が学校から持って帰ってきた朝顔。
種を収穫し終わったと思ったら、
また、たくさん咲きだしました!

朝顔って、こんなに長期間楽しめるものなんですね。
(知りませんでした・・・

先日の保護者会の時に、学校に戻したののですが、
夏の終わりを惜しんでか、
はたまた、私たちへのあいさつ代わりか、
名残惜しそうに咲いてくれて、何とも愛おしい


さて、今日は久々に(本当に久々に!)
ブログを書きます。

休み中は、他の方のブログを色々拝見してました。
楽しく、ありがたく、読ませていただいてます<(_ _)>。

その時に、ちょっと気になるというか、
心の端っこに引っかかったものがあったのですが、
それについて、自分なりの考えをまとめたくて、
今日はブログを書いていみます。

*****

私は、子育ての大きな目標の一つに、
子どもを自立した人間にする
というのを掲げていました。

40歳過ぎてから生まれた娘。
人より早く、私たち両親が他界するリスクは
当然、高いです。

だからこそ、早く子どもを自立させたい

そう、願っていました。

でも、「自立」って良く使う言葉ですが、
本当は、どういうことなんだろう?
そんな疑問が湧いてきたのです。

・・・
さて、まだ娘が幼稚園に入ったばかりぐらいにまで
さかのぼります。

うちの娘は”超”がつくくらい泣き虫でした。
かんしゃく泣きのような泣き方もよくしました。

今思えば、娘の言いたい事を、
私が全然理解できていなかったからだと思うのですが、
とにかく、こちらとしては理由が分からず、
途方に暮れることもしばしば

だから、「ころんで泣く」と、
それは、痛いから泣くんだと、わかったので、
むしろホッとしたものです(笑)

そんな時、公園で見かけた、ある光景。
子どもは、娘と同じくらいの女の子。

子ども:(転んで)「えーん、ママ―!」
母親 :「泣くんじゃないの!」
子ども:「グシュン」(必死で涙をこらえる)
    そして、「ママ―、来て~」
母親 :「自分でこっちに来なさい!」

えー!!
私だったら、すぐにかけより、
抱き起こしているところです。

もしくは様子を見ていますが、
「来て~」と言われて泣かれれば、
助けに行くと思います。

このお母さん、かなり、厳しいなぁ~
ここまで厳しくしないと、
子どもはしっかり育たないのか?
私には、無理・・・。

でも、そのお母さんも、
良い目的があってやっていること。

多分、大人になっても
「困った時は、誰かが助けてくれる
あの時、お母さんがそうしてくれたように
という、考え方をしては困ると思っての事でしょう

その光景を見て、
自分の考え方って、甘すぎるかなぁ
と、悶々としたのを覚えています。

もちろん、助け起こすのが正しいとか、
間違ってるとか、そういう話ではないですよね。

転び方とか、その時の状況とか、
考えるべき事は色々ありますし。
その時、その場での、
最良の方法を考えればいいと思います。

でも、苦境に立っても、強く生きてほしいのであれば、
やはり、一人で立ち上がるのを待つべきかもしれない。
それでも、自分の子が転んだ時放っておけないのは
なぜなんだろうと考えてみました。

そして思い当たったのは、
この子の目の前で、他の誰かが転んだ時、
手を差し伸べる子になって欲しいと
思っていたからなんだと気付きました。

これは、あくまでも私の考え方。
私の子育ての目標の1つ。
でも、そう思っているなら、
自分に正直な気持ちで子どもと接したい。

その思いにふたをしてまで、
心を鬼にする必要はないんじゃないかな、
と思いました。

そうしているうちに、時は過ぎ、娘は成長し
転んでも、大して痛くないときは
泣かなくなったし、「大丈夫!」といって
私の手を払いのけるようにもなったのです。

そう、大きくなれば、
だんだん強くなるのです。

そうよ!別に、転んだ時に助け起こしたからって、
自立できないと決まるわけではない。

自立させたいなら、
他の場面で違う働きかけでもできること。
そこまで考えたら、少し心がスッキリしてきました。

じゃあ、「自立」って何かな、と
私なりにつきつめたら、

自分で考える事
そして、自分で結論を出す事

自分で考えた結果、誰かの手助けが必要なら、
お願いすればいい。
すぐに、誰かが助けてくれなくても、
どうしたら助けてもらえるか、
自分で考えて行動する

それでいいんじゃないかと思います。

「自立」を「ひとりで生きる」ことだと思うと、
ひとりで何でもしなくてはいけないという考えに陥り
辛くなるだけのように思います。

それに、他人の助けも借りられないということは、
裏返せば、自分も人を助けなくてもいいということに
なりかねません。

また、現代は仕事も「チーム」で行うことが多いですよね。
メンバーがそれぞれ得意な事を担当し、
「チーム」として仕事が完成すればOK。

でも、そのメンバーが自立してないなんて、
誰が思うでしょうか?
(いませんよね)

何か問題が起こった時、
どうすればいいの?
と、自分の外に問いかけるのではなく

自分はどうしたいの?
と、自分自身に問いかける事

これができれば、
自立」しているんじゃないかな

そんな風に思っています。

だから、親が出来ることは、
子どもを思考停止させないこと

先回りしてお膳立てする事、
転ばぬ先の杖は必要ありません。

おなかをすかせた人には、
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ

という言葉を聞いた事のある人は多いと思いますが、
子どもを自立させるということは、
こういうことですよね。

そう、手を差し伸べる事が良いとか悪いとかではなく、
その、中身が大切という事。

そして、私たち大人も、
魚ではなく、釣り方を学ぶべきかもしれません。
特に、子育てにおいては


今日も、最後までお読みいただき、
ありがとうございました。