否定できない存在 | 山川咲の解放区blog

否定できない存在

day12 Melbourne last day
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親友とのお別れの空気は早くも次の地への期待に
変わろうとしている現金な私は、飛行機で
ツアースタート地のアリススプリングに向かう。

この飛行機がアリススプリングに近づくと
真っ赤な土と鮮やかな緑と空の青が私を圧倒する。

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本当に「見たことのない光景」がそこにはあった。
そして自然のチカラを感じずにはいられない。

この力強い鮮やかな光景を見ながら、私はぼーっと
親のことを考えていた。

私の小さいころの夢は
「普通の子になることだったなぁ」
と思いながら。

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今みたいに、普通ではない自分こそが自分の価値だと
言える日が来るなんて思ってもいなかった。

今私は、この両親の娘でよかったなーて心から思う。
《普通の子になれなくて》本当によかったなーて改めて思う。

私は、少し前述したとおり面白い人生を生きて来た。
父親は元フジテレビのアナウンサーで、
逸見さんと同期の入社。

私が生まれ父もテレビで活躍しだした頃、
彼はいきなりフジテレビを辞めた。

そして、日本一周ワゴンの旅に家族3人ででる。
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家具職人になりたいと北海道で仮住まい中に妹が生まれ、
ログハウス職人になりたいと山梨に一家4人で居候したこともあった。

そして、たどり着いた答えは自然との共生。
千葉の今の田舎にたどり着く。

そこで、私は父が言い出した事に巻き込まれて、中学3年生まで、
毎日自分でお風呂を薪で炊かないとお風呂に入れない…
そんな過酷な青春時代を送っている。笑

そんな父は65歳の今も、「自分はこうなる」という夢を決して
忘れず、子供のようにそれを語って私を微笑ましてくれる。

自分らしく自分が信じる道で生きることを貫いた父。

母はそんな父を許しながらも、自由に生きる父が
外で自分らしく精一杯生きる姿を横目に
精一杯私たちを育て続けてくれた。

父より10歳以上も若く、私を生んだのも若かった母。
今の27歳の私がまだ未熟なように、未熟だったお母さんは
私を育てるためにたくさん葛藤しただろう。

初めて育てる私に、きっとたくさん笑い、たくさん話しかけ、
たくさん怒り、たくさん悲しんだだろう。

どんな気持ちだろう、自分が手放したら命絶えてしまう存在が、
全身全霊命をかけて、自分という存在を必要としてくれ、
自分との関わりで泣いたり、笑ったりするということは。

たった一人では数日さえ生きられなかった私という存在が、
ここまで大きくなっているということは、家にいてくれた母が
それだけでいっぱいいっぱい愛してくれてきたという証明。

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母はいつでも本気で、ストレートに、私たちと向き合い、
全力でぶつかって来てくれた。

そして大きくなった私に、「子供を産めた事、育てられた事が
私の人生で一番素晴らしかったことだよ」と話してくれた。

お父さんは、精一杯自分がしたいように生きる姿を見せてくれて、
自分らしく生きる事を、自由に未来を自分自身で
決めていくことの輝きを私に教えてくれた。

お母さんは自分の価値観で全力でぶつかってくれて、
私の感性や価値観を見つけさせてくれた。
等身大で悩み、心でぶつかった分の心の深さや思考をくれた。

ああ、お母さんが私を大人に育ててくれて、
お父さんが私を子供でいさせてくれた。

大自然の真ん中で、バスに揺られながら、そう思えた。

たくさん回り道をして、
親とつながれなかった私だから分かる。

親を否定して幸せになる事はできない。
親は自分そのものだから。

親の素晴らしさ、良さを心から認められたときに、
自分自身を素直に認められる自分に気づく。

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