今週の木曜日に引っ越し後初めて、発明家である私の会社の社長と会食した。その時社長は、あるテレビで直線について取り上げていたと語り、直線が点からなっていることは、古代のギリシャの時代からすでに言われていたなどといい、話の内容がわたしのいう点と線の考えに似ているので驚いたそうであった。私は聞いて内心ドキッとしました。しかも、この直線の考えが、アインシュタインの相対性原理を生み出したと言われたので、私自身もますます驚いてしまいました。相対性原理については、以前から知っていましたが、それが直線と点から発想されたとは全く知らなかったからである。社長は、話の内容が、私の英語物差しとあまりにも似ていたので驚いたとのことであるが、私自身直線と点が発端になっていたことは全く知りませんでした。勿論、言葉についてであリますが、私の捉え方に、いささか似たところがあることには前から気づいていたし、そう指摘されたこともあります。しかしこれまでは、全く想像もしていなかったことでした。そういえば最近、アインシュタインに翻訳させるという意味のタイトルで本が発売されたようだが、それ等は、このことに基づいたものなのかと改めて感じている次である。私のような浅学非才でへぼな翻訳者を大科学者である偉大な思想家でもあるアインシュタインと並べることでもまことにおこがましいことだと思っている。しかしこれが、アイデアを盗んだとか、著作権に抵触すると言われると話は別である。長年特許文書の翻訳に携わってきたものとしてそれはあるまじきことだからである。
というのは、私の英語物差しの出発点と動機が全く違っているからである。私は、その時すでに英語翻訳者として独立しており、工業英語の購読者でもあったから、相対性原理や量子理論についても無縁ではなかった。また量子理論学者としても有名なロジャーペンローズが言葉と量子理論とのかかわりに強い関心を持ち、既に1989年に’皇帝の新しい心’(The Emperor’s New Mind)と題する本の中で心(言葉)を量子理論をベースに解明する試みを行っている。当時私はそこまでは知らなかったが、これほどまでの関心は、相対性理論そのものが、人【心】の解明とは無関係ではなかったことを示しているのではなかろうか。さて、私の場合全く出発点を異にしているには理由がある。私は、36才ぐらいで独立して英語翻訳者となった。当時は、機械輸出組合の機関誌の翻訳をしており、翻訳は外人のチェックを受けていた。彼は、毎日新聞社の英字新聞のチェッカーでもあったが、私の翻訳に対して、貴重なアドバイスを与えてくれた。それは、翻訳とは、原稿の日本語を英語に訳することではなく、日本語で表そうとしている物をありのままに英語で伝えることだ。と教えてくれました。その時以来私の翻訳がすっかり変わってしまいました。兎に角、日本語の原稿の中に出ている物即ち機械や装置を頭に描きそれが動いて働き出すのを待ちその様子や働きをそのまま英語で表すよう心がけました。まず一番先に現れるもの(機械)が主体となって、ある動作をし、具体的な働きをする。翻訳はこれを英語で表す。毎日毎日これを繰り返すうちに、あるパタンが生まれてきました。それが、主体のもの+動き+その他のもの or 場所や時間、言葉でいうと主語+述語+目的語 or 副詞句(場所、時間)。頭の中では、物が動き働く状況がつくられ、それがそのままの形で英語に表わされるそれが私の翻訳というものでした。私の息子が英語を教えて欲しいと言ってきたときにこれがそのまま一つの形となり、かくして、動詞を点として二本の直線をクロスし、前に主語としての空間、後ろにその他の語句の空間を有する原初的な文の原型が極自然に出来上がったという訳です。このように英語物差しはもともと文の形(文型)を表すものであり、これを組み合わせて複雑な文を作るというものであリましたから、アインシュタインや量子理論とは全く関係なく生まれたものでした。息子はこれをよろこんで使い、先生から褒められたということです。
ところが、英語と真剣に取り組んでいる私にとっては、この形がそんな単純なものではないことに気が付き始めたのです。それは、この形を使って息子のような読み、書きばかりではなく、聞き取りにも利用できないかと考えたからです。聞き取りは読み、書きとは全く異なるものでした。そこには、まったくちがう要素が存在し、それが文を構成していました。それが子音と母音でした。この二つを正確に聞き取らない限り、文そのものを把握できません。また、この形をそのまま音の聞き取りに使うことができれば音の瞬間的なキャッチや読み取りも可能になるはずです。かくして、点と線は全く違った役割を果たすことになったのです。点は子音、線を点の集まりとしての母音というように役割が分担され、はからずも考えにおいて一層アインシュタインに接近することになったのです。従いまして、私のアプローチは、ロジャーペンローズとは全く異なるものであります。私の場合は、以上のようにたまたまそうなったというものであり、理論上見るべきものはないはずですが、いかがでしょう。学者先生にお尋ねしたい。あればご指摘願いたいものです。