私が突然、これまでの内容を削除したことで、皆様にご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。わたしの削除は、私が、英語物差しによる方式を断念したのではないかとの誤解がないようにと、ここにブログを続けることにしました。私がこれまでの内容を削除したのは、すべてが完成途上にあったものだからです。これまでは、ブログに書くことで、わたしの研究を公にしてきました。すべてが試行錯誤の中で、完成した今から思えば必ずしも正しいといえないものも含まれていますので、全面的に削除することに決めたのです。長い間のお付き合いに心から感謝しております。本来ならば、完成した内容についても、このブログで公表すべきところではございますが、それだけは控えさせていただきたい。この内容は、公にすることが、わたしの本意ではないからです。それは、本を含めいろいろな機会に、わたしの研究を公表してきましたが、無視されたり、馬鹿にされたりと私にとって喜ばしいことはなかったからです。公表したところで、無視されると私が孤立するばかりで、ますます、寂しくなるのではないかと怖れています。だからといって、私は、人の同情を求める気持ちは全くありません。たとい、例の三億円事件の絡みで、息子二人を失う羽目になったとしても、そのために、人の同情を誘う気持ちはさらさらありません。むしろ同情は、私にとってマイナスにしかならないと思っております。


 私にとって最も大切なことは、自分を生きることだということです。誰かの同情を買うと、その時点で、それが損なわれると思っております。それぞれが、己の存在を尊び、対等に生きることができれば、人をうらやんだり、ねたんだりして足をひっぱたり、陥れたりすることはなくなるに違いありません。ある意味において同情もその一つではないかと思っています。人は自分を生きることを失ったら、行きながら死んでしまうでしょう。生きた屍になって生きることを望む人はいないでしょう。これがわたしの今の心境です。下手に死に様を曝すより、完成した結果を胸に収めておきたい。今は、そう願っており、すべての公表よりも、完成のお喜びを存分に味わうつもりでいます。ただ、これまで公表したところを探っていくなら、私が完成したといっていることも理解できるに違いありません。これが、わたしの独りよがりでない限り、だれでも、客観的にそこに行き着くはずです。これまで私は、本の未完成部分を補い、サポートする目的で、ブログを書いてきました。多少、独りよがりすぎた面もあったことを反省しております。しかし、新しいことに挑戦するものには、独りよがりになることは避けられません。そのことを気にしていたんでは、何もできなくなりからです。結果として得られるものが肝心であってそのためあらゆるものが犠牲にされます。金も、名誉も、家庭のぬくもりも、場合によっては、命までも。したがってそれが達成できなかったときは、どんなことになるか、今考えるとぞっとします。この先、公表の機会があれば・・・それなりに考えるつもりです。


 今年は、73歳になります。73歳といえば、私が生きることを全く想定していなかった年なので、どうなるものやら全く見当がつかないので困っています。幸い、英語物差しの方が完成したので、英語からの負担は、一つ解放されそうです。しかし、1月27日には法廷があり、こちらは、弁護士が相手なので敗色濃厚といったところです。それは、裁判官に公正は期待できそうもないからです。三億円事件を持ち出せば、頭がおかしいといわれるマスコミも期待できない中にあって、勝ちを求めるのは、絶望的ということです。でも、すべきことは、し尽くすとの信条で突き進むつもりでいる。教会、三億円、英語、裁判と、どこを向いてもぶつかるばかり、私が触れるものは皆不幸になると妻に言っては笑われる。その上、家までも年四十万円と法外な地方税の滞納で差し押さえをかけられとられるとあっては、翻訳の仕事を失ったわたしにとって生きるすべは全くありません。ただあほらしく思うのは、1千万円を詐欺で取られ、8百万円を貸しているのにこの体たらくということだ。むやみに人を信用するとこの様になるということの教訓にして欲しい。それでも神の存在を信じ、キリストを救い主と信じて頼っている私は、一体何なのだと思う。これでは、呆れられられてもいいかえす言葉がない。冷たい、冷たいこの世といっては、息子にまで嫌われる始末。こんな私でも、今は、英語物差しだけは、完成したと心から喜んでいる。これは、わたしの人生で最大の喜びだ。だから胸の奥にしまっておく。くれぐれも誤解のないように。これから、伸びたインスタントラーメンをすすります。では、またの機会に。