野田首相が、解散に踏み切り、総選挙一色という事態になっているが、このいまのわが国において極めて危険な傾向がみられる。それは、一つは、隣国に中国という人口13億以上の国があって共産主義による世界覇権を密かにたくらんで国民をその方向へと誘導し、軍事を強化拡大しているからである。私は、平凡な一国民、今は生活保護でほそぼそと生かして頂いている身。しかし今の憲法では、参政権もあり、国民の一人として政治に参画する平等の権利を有している。この国をどうするかわ、政治家や政党が決めるものではない。まして天皇や皇族それに連なる旧貴族がしゃしゃり出てきて決めるものでもない。日本の憲法は、人によっては占領憲法などといってまるで占領軍に押し付けられた敗戦国の屈辱的遺物の様に言い、まるで価値のないもののように言いふらしている者もいるが、私にとってみれば、この憲法こそ私のようなものに平等の権利を認め堂々と臆することなく政治に参画し、その意思があれば立候補し代議士として働き、と同時に自由人として、自由に語ることができる立場を与えそれにより、、時には辛辣な批判することもできる身分に浴している。この憲法は、民主憲法で、日本という国が世界に誇ることのできる初めて人類がこの世界にもたらした尊い産物であることを特に今の政治家は忘れてはいけない。
こうした本来は、自由に参画できる立場にある我々国民からその平等な権利と立場を今奪っているのは、こうした政治家たちやそれに連なる官僚、皇族たちであることを国民は忘れてはならない。そもそも、選挙には金がかかるとしていることがおかしい。 むしろ選挙には金がかからないようにして自由に立候補できるように制度を改めなければならない。わたしには、分からないことだか憲法には立候補の資格に対して金の制限を設けているのであろうか。憲法のほかに、様々な行政法や地方の定める条例というのもある。こうした様々な法の網によって憲法に制約を設け、本来なら自由に政治に参画できる国民の権利を奪う仕組みが出来上がっていることに、国民は抗議しないことが不思議でならない。こうした制約の網を設けたのが、官僚主導の政治家であった。それには社会党も責任を免れないかもしれない。勿論、その元凶は、戦後の政権を独占してきた自民党である。社会党であれ、自民党であれ、いまの民主党であれ、政治改革などと物々しい言葉使ってはいるが、本当の政治改革をごまかしているにすぎない。この点は法の番人といっている最高裁判所をはじめとする裁判官たちも同罪である。政治の参画には、金をかけてはならない。これが憲法により保障された国民の最大の要求である。これをいろいろな理由をつけて拒み、奪い取りほしいままにしている政治家、裁判官を国民は憲法の名のもとに断罪するところからこの度の選挙はスタートすべきであると私が主張したら、直ちに公安と呼ばれている警察は飛んできて私を逮捕しようとするだろう。それが自由で、民主的で、言論が保障されている日本の実態である。
私は、今私の主張する本来の意味での民主主義もできない国がこの日本であると心底思っている。国民はこのことに怒りを覚えないのであろうか。できないのではない。させないように妨げてきた国である。石原のような知事たちもその先兵となって働いてきた。維新の会に集まっている元知事や市長たちも日本の民主化をいかに妨害するかでその地位を獲得してきた者たちである。本来ならば、立候補する資格もない失格者たちである。特にそこに群がる弁護士たちはその義務に目をふさぎ、同様に日本の国民から正当な権利を奪う仕事をしてきた。しかも彼らは、司法試験により与えられる特権をほしいままに駆使し、この基本的な権利を国民から奪うことしかしてこなかった。その意味では、彼らも断罪すべきである。小沢一郎の検察審査会による一連の法廷を暗黒人民裁判と呼んだ記者がいるという。わたしのいう断罪を人は何というだろうか。戦後の混乱を乗り越え、高度成長時代に入り欲ボケしてしまった記者たちは民主主義の基本すら忘れてなすべき仕事を放擲し、今の地位に得々として満足しきっている。これを体たらくといわずして何と表現しようか。
このようないわば破廉恥者が支配する日本に、社会主義、共産主義を掲げ世界覇権をたくらむ中國が挑戦してきた。私は、社会主義者でもなければましてや共産主義者でもない。私は、憲法の保障する権利が奪われることなく正当に保障されていさえすれば、民主主義で十分と思っている。社会主義も、共産主義も労働者階級による独裁を標榜する。ある社会の階級が政治を独占することを認める国は、当然民主主義を抹殺しようとする。民主主義とは共存できない犯罪国家といっても過言ではない。かって、共産党による人殺し革命をバラ色のように描いてきた者たちがいた。しかし社会主義や共産主義は、すべての国民を平等に扱うことをしない思想が基本となっている。日本が本来の意味での民主国家になった時は、共存はできない国である。だからといって日本の民主主義すらできないように妨げてきた政党太陽や維新の会がこの国を守るために原爆保有を持ち出すののは筋違いもはなはだしい。そんなことをする前に弁護士なら毅然として国民に本来保障さるべき、政治に参画する自由と平等を確保すべく働けと言いたい。すべてはそれからである。この意味において太陽や維新の会に群がる自称政治家を欺瞞者集団という。私が主張する本来の民主主義は、資本主義とは全く異にする。今日本の国民から本来の自由と平等を奪っている元凶こそ資本主義だからである。資本主義は、民主国家を誇ってやまないアメリカが宗主となって主張してきたもの。しかし資本主義の実態は、金による支配である。その証拠はアメリカの貧富の差にある。アメリカが民主国家というのは真っ赤な偽りで、1%の富裕層が金で支配する拝金国家である。今回の選挙でも二人の候補は献金と称して金を奪い合った。あれが本来の民主主義てあるとはだれが思うだろうか。
このように見るとき、いまこそ日本国民は、金に支配されない自由と平等をとりかえすべきで。これこそ今の憲法がすべての国民に保障している基本的人権である。世界の憲法の中で一番日本国民が誇りとすべきものこそ人類が長い暗黒の時代から人間を解放すべく闘った結果つくりあげた夢の憲法である。この夢の憲法の保障する政治に参画する自由と平等を国民の手から奪ってきたものを今こそ断罪しなければならない。それが今回の総選挙である。その権利を国民がその愚かさゆえに放棄する選挙でもあることを肝に銘じなければならない。これまでの偽りの民主主義、幻想の民主主義を断ち切り、中国の共産主義に劣らない民主国家を樹立するときこそ、必要とあれば、自国を守るべく原子装備もできる、最強の平和主義国家となると大いに期待している。このことを無視し私を理想主義者と呼ぶ者も出てくるだろう。しかし、これは理想ではなく憲法に約束されたものを実現することを求めているだけのことである。これまで我々から真の民主主義を奪ってきた者の化けの皮をはがす最大のチャンスが今目の前にある。それが今回の総選挙であると言ったら、これまた無視されるだろうか。