7月19日から2泊3日でボランティア活動で、
岩手県に行ってきました。
昨年の4月中旬に初めてボランティアで被災地を訪れた時、
まだ震災から1ヶ月少ししか経っていなかったので
破壊された街並みが痛々しくてここが本当に日本なのかと
疑ってしまうほどの状況でした。
あれから1年4カ月以上が経っています。
東京にいると現地の復興は進んでいると勝手に思ってしまっていたのですが
今回、現地を再び訪れてまだこんな状態だったのかととても悲しくなりました。
1年4カ月も経っているのに・・・。
今回、お世話になった気仙沼プラザホテルさん。
到着してすぐに支配人さんから当時の映像を見ながら
状況を詳しく説明していただきました。
今まで見たこともないリアルな映像をみて改めて津波の恐ろしさを
感じ、涙が止まらなかったです。
支配人さんの言葉で印象に残ったのは
想像できないですが、この辺りは市役所や学校・病院があり
街の中心としてとても賑わっていた場所だったとのこと。
この巨大な船はこの場所に残しておくようです。
この場所は海岸から少し離れた場所にあるのに。
何トンもする船が街中に流れ来たのですね。
こちらが有名な奇跡の一本松。
この辺りは2kmにわたり6万本ほどの松の木が植えられて
いたそうですが、残ったのはこの1本だけ。
周りの状況を見たらどれだけ奇跡なのかがもの凄くわかりました。
ボランティア1日目は陸前高田で海岸清掃活動。
とっても綺麗な海でした。例年は海水浴場として賑わっている
そうですが、今は誰もいません。
ボランティアの最中に突然この辺りに住んでいる方がいらっしゃって
写真を持って当時の状況を詳しく話してくれました。
あの木の所まで水が来た、当時どうやって何処に逃げた人が
助かったのかなど詳細に教えてくれました。
その方も東京に帰ったらぜひ状況を会社や家族の方に伝えて下さいと。
少しでも多くの方に語り次いで2度とこんな甚大な被害が起きないようにしたいと
強い想いを話してくれました。
2日目は気仙沼での海岸清掃。
こちらの海岸はとても広くてゴミの量も凄いです。
砂浜もかなり削られてしまって、また海水浴場として利用できるには
10年はかかるのではないかと言われているそうです。
一つでも多くのゴミを皆で少しづつ拾っていけば
1年でも早く元の海に戻るのではないでしょうか。
杉ノ下地区はとても甚大な被害を受けたそうです。
指定避難場所にちゃんと逃げて来たのに、想定外の津波に
93名の尊い命が失われてしまいました。
建物がないので写真だと海が近く見えますが、実際この場所は
海からも離れていて坂の上にある高台なのです。
その指定避難所後には慰霊碑があります。
絆
あなたを忘れない
「ここに居れば大丈夫だ」
しかし、無常にも第一波で 下手から家や車が押し寄せ
そして、第二波、第三波が・・・
九十三名の尊い命とすべての財産が海へと散った
あの一声が無上の叫びに
私たちはあなたを忘れない いままでありがとう
こころやすらかに
杉ノ下地区民一同」
裏には亡くなられた方のお名前と一緒に
この悲劇を繰り返すな
大地が揺れたらすぐ逃げろ
より遠くへ・・・より高台へ・・・
と、刻まれていました。