人間によって 飼育されない
猫の コトを
「野良猫 」と いう けれど

イタリア では
ガット リベロ(自由猫)
と 言うらしい

野良なんて
いなくて
野良に しているのは
人間なんだ

と 由ぅ 哲学らしい が

呼び名や 哲学を 変えたって
現実は なんにも 変わらない

猫が
幸せに 暮らせない 社会は
人間も 幸せに 暮らせないのでは
ないか?
とか なんとか
一見
平和な 花し も 広告も
実は なぁ ~の 中身も無い
それらしい 言葉で
一方通行な 脳ミソは
フリーズ して

それは
要するに マスコミや……


少し 書くか……

冬は暖かい場所で
夏は涼しい場所を見つけて過ごす猫

しかし
経済効率優先で
広い道路が伸びる
人工的な街に風を遮るものはなく
寒さや暑さを和らげる空間は
減る一方でR

「猫が街を作ったら
こんな街にはならない」と
ある カメラマン が 嘆いていた


いいっか






現実って

もっと グダグダ だょ




私を含めて世の中の
普通(一般的)の人々は
周りの人間たちの言動をうかがって
「これくらいのことを言っておけば
無難だろう」という発想で
物を言うものじゃ ないかしら?

自分が本心から考えていることを
不特定多数に向けて率直に言ってしまうような人は
変わった人と扱われ
避けられたり迫害を受けたりしやすいと思うのだけれど

みんな
メンタルが強いのか?
馬鹿なのか?




きょう の ブログ も
だいぶ
馬鹿寄りに なって 来たので

削除しようかしら?

とも

思っております




部屋が散らかっているから
心が 乱れるのか?
心が 乱れている から
部屋が散らかっているのか?

もぉ

ほらね
まんまと 2択 に 乗っかるんだから🎵


例えば
男とか 女とか
身体の 形の 区別 を 表す言葉で

身体は 男だけど
心は 女だから
女子トイレに 入ります
と 由ぅのは
 体重 60キロ だけど
心は 30キロだから
45キロ制限の 乗り物に
乗ります
と 由ぅ 花し なのが

なぜ

わからないのかしら?


と 由ぅ


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