先日、こんな絵が新聞に載っていました。

ブリトン・リヴィエールの絵画「良心の呵責」。
この作品についての解説を幾つか調べてみると、
『イタズラが見つかって、ご主人に怒られることを察した小犬。
怒られる直前のこの顔、この尻尾を見たらさすがのご主人も叱るに叱れない。』
という感じものが殆どのようでした。
でも自分の解釈はちょっと違いました。
自分がこの絵を見て、先ず、イタズラが見つかった時、ご主人は図らずも過大に叱りつけてしまう…。
自分は人間。
相手は体の小さな子犬。
ついついキツく怒って、もしかしたら手も挙げてしまったかも知れない。
力の差は歴然なのに…。
この絵のタイトル「良心の呵責」とは、小犬のそれではなく飼い主側の“後悔の念”ではないか?
小学生の頃、偉そうな“ご主人様”として小犬を飼っていた自分の経験からそう解釈しています。
嗚呼、しかしわんこ飼いたい。
自分はあと数ヶ月で60歳の定年となり、退職したとて自然なのですが、職場の歳上の同僚たちは、「若いんだからもっと仕事を続けなよ!?」と勧められます。
でももう自分は働きたくないので「子供たちも皆んな就職してお金もかからなくなったから…、」などと言って、リタイヤする気満々でいます。
