GWのお供に久しぶりに沢木耕太郎の本を借りた



「天路の旅人」

西川一三という戦時下に日本軍の密偵として

中国西域を8年間にわたり、ラマ僧に扮して

滞在していたという人物を知り、彼を訪ねるところから話は始まる。


西川一三は盛岡で日本人の妻、一人娘にと質素に

生活していたが、沢木耕太郎は1年間にわたり

彼にインタビューを実施している。


その後、約20年という時を超えて生まれたのが

この作品。


西川一三は福岡修猷館という名門中学を出たのち、満州鉄道に入社するため、中国へ。


その後、内モンゴルにあった「興亜義塾」へ入塾。興亜義塾はモンゴルとの友好を図るために

日本で設立された財団法人蒙古善隣協会が設立した学校で、2年間のうち、1年間は学科(モンゴル語、中国語、ロシア語、中国西域の地理、経済、歴史など)を学び、もう1年は実施研修と称し、一人でモンゴル草原に放り出され、モンゴル人として生活して過ごすというものらしい。


その後、中国西域エリアへのあこがれから、日本軍の密偵として中国の西域に潜り込み、地理や彼らの様子を実際に手紙で送っている。

(といってもこの時代に郵便はないので人に預ける。よく届くよね…)


実際に毎日起きたことなどを事細かにノートに記載していたようで帰国後、そのノートをもとに書籍まで出している。


ラマ僧に扮しての中国西域エリアを旅する西川一三(モンゴル名:ロブサン・サンボー)の

その生命力・強い意志と美しい心には驚くばかりであったが、

何よりも私自身が学生時代、中国に留学していた時、チベットの聖地カイラスを目指し、

上海から汽車に乗り、チベットへの窓口、ゴルムドで高山病になり、そのまま敦煌へ下り、

チベット行きをあきらめ、新疆ウイグル自治区をキルギスやパキスタン国境まで行った

経験があり、このエリアには並々ならぬ思い出と強いあこがれが今でもあったため、

大変興味深く本を読み進めることができた。


本を読みながら、沢木耕太郎が西川一三を知ったという1988年の11月に放送されたTBSのドキュメンタリー「日曜特集新世界紀行 すごい日本人がいた!遥かなる秘境西域6000キロ大探検」が横浜の放送ライブラリーで見られると

知り、すぐに出かけた!


このドキュメンタリーで実際に旅をするナビゲーター役の研究者がいるのだが、実はこのナビゲーター役は当初、盛岡に住む西川さんに話があったよう。しかし、西川さんは一度訪ねた場所には興味がないと、同行さえもされなかったよう。


彼の8年間の中国というにははばかられ、それは中国ではなくモンゴルや中国西域の回族やチベット自治区そしてインドやネパールでの滞在は実際には想像もできないほど過酷でそれに耐えた、むしろ好んでそのエリアに住み続けたロブサンサンボ―と日本の東北の地で静かな生活を好んだ西川一三が同一人物に思えずあの強烈な滞在をしたロブサンが日本での日々繰り返される平凡で平和な日々をどんな気持ちで過ごしていたのか。


一つ言えることは、ロブサンも西川も誠実な人柄でただ、目の前にある場所で真摯に生きていた。ということは言える。


私が新疆ウイグル自治区を一人旅していたのは1998年。

ロブサン・サンボ―が西域に滞在していたのは1943年から1949年まで。

私が旅していたより50年以上前にあのエリアに日本人がいたとは…


そしてつい最近まで日本で生存していたことが

とても不思議で。

彼がたどった道と私が旅した場所が近いけど少し異なっていた。

しかし唯一同じ場所を訪ねたいたのが

青海湖。

あの荒涼とした乾燥地帯の中にあって

どこまでも青く深い色をした青海湖。そこで見た

青い湖面と白い鳥が集う小さな湖上の島。


同じ景色を同じ場所に時代は違えどロブサンも見ていたと思うと勝手に親近感を抱いてしまい、生前お会いする機会があればお会いしたかったと思った。


ある日、朝から思い立った出かけた横浜




ひたすら朝から夕方までTBSのドキュメンタリーを見た。キラキラ緑が気持ちよくお出かけにベストな季節だー。