ヤスユキブログ -64ページ目

4月1日

今日はエイプリルフールだ。
嘘をついてもいい日とされている。
僕には苦い思い出がある。

それはまだ高校生の頃。僕には当時付き合っている彼女がいた。
その彼女は僕にとって初めての彼女だった。今考えると淡く清い交際だったと思う。
そんな彼女に4月1日、ドッキリをしかけた。
突然、「もう別れよう」と切り出した。
もちろん嘘だ。
泣き出す前にエイプリルフールであることを打ち明けよう。
そう考えていた。

すると彼女は「実は私もずっとそう思ってて…」

えー!!
予想外の展開に何も言えない僕。
エイプリルフール返しか?!とも思ったが、彼女の目はいつまでたっても真剣で、その日に別れを告げられてしまった。
今さら嘘でしたとも言えず、何とも言えない後悔だけが残った。

その日以来僕は嘘をついていない。。

リング禍に思うこと

先日ボクシングの試合で一人の選手が命を落とした。激しい攻防の末KO負けを喫し、そのまま帰らぬ人となってしまった。
僕はその選手のことを知らなかったが、頭部打撃有りのルールの中で試合を行っている者として他人事ではないと思った。
互いに引かない激しい試合は人々の感動を呼ぶ。そこが格闘技の最大の魅力であり、観る人の心を熱くさせる。
だがその反面、選手の体にかかる負担はその激しさに比例する。

2週間ほど前、僕は自分の所属するジムの選手の試合のセコンドとして、会場にいた。
その試合も激しい打ち合いになり、互いの力を出し尽くした感動に値するものだったと思う。
しかし、セコンドとしての自分はどうだったのだろうか。
完全に冷静な判断を欠いていたと思う。
2Rと3Rの間、レフェリーに「危なかったらタオルを投げるように」と言われたのを覚えている。
しかし、タオルを投げ入れることなど頭の片隅にもなかった。
客と同じように熱くなり、ただ声を張り上げていただけだった。

結果的に精神力で盛り返し、好勝負となったのだが、一方的な展開になっていた可能性もある。
そんな時に正確な判断をしなければいけないのがセコンドの役目だ。

選手はリングに骨をうずめる覚悟で試合に臨んでいる。しかし、本当にそうなってはいけないのだ。
周りの人間が冷静に判断を下さなければ事故はこれからも繰り返される。
熱くなるのは観客だけでよい。

試合途中でのタオル投入は決して名勝負に水を差すものではなく、選手の命を守るものだと考えなくてはいけない。

僕は30回以上リングに上がっているが、運良く事故には遭っていない。
毎回試合が終わって思う。
“生きてて良かった”
それは勝ち負け関係なく思う。
無事にリングから降りれてよかったと。

そのため、練習が不十分な状態で試合に臨んだことは一度もない。そんな状態では恐くてとてもリングに上がる気になれない。
これはプロアマ関係なく言えることだと思う。アマチュアであれ、しっかりと練習を積んで試合に臨まないと事故が起きる。
もしそれで死んでしまったとしても自分の責任だが、相手選手にしてみたら、悲劇だ。一生心に傷を負ったまま生きていくことになる。
自分のため、相手選手のためにも練習は積まなければいけないのだ。

亡くなられた辻選手のご冥福をお祈りします。


ポニョ

今更だが、ある友人の勧めで“崖の上のポニョ”を観た。
この映画は凄い!と。
ジブリ作品と言えば子供から大人まで愛される平和的なイメージが強く、この映画もそうだろうと思っていた。

まず一回何も考えずに通しで観てみた。
感想
宗介に恋したポニョが人間となり、海と人間の世界が融合し全てが平和に納まるという話だと思った。
しかし、何かモヤモヤとする違和感も残った。

そして二回目。友人の解説入りで観てみるとその違和感が怖さに変わった。
最初に受けたイメージと真逆のものが頭に残った。
皆平和で無事解決というのは表向きだけで、実は人間世界そのものが終わってしまうという恐ろしいものだった。
生と死の境界線がやんわりと、かつハッキリと描かれていた映画だと思った。

三回目になるとまた新たな発見があり、毎回違う映画を観ているようだった。
観客動員数が多いのも頷ける。リピータ率が凄いのだろう。

一見子供向けのこの映画、その奥底にあるものは素人の僕には全く理解できないが、宮崎駿とはとてつもない人なんだなぁと思った。
もう一度ジブリを観直してみようと思う。