三つ位の事を同時進行中の今日この頃。ようやく暖かくなって来ました。寒かった(>_<)
その間に凹む事もあり、しばし休養中です。
少し無理を通そうとして、自分自身に知らない間に負担かけていた事を様々な事柄を通して気づきました。
私自身の本心よりも逆に進もうとしたら進めなかった。無理に進めたら後々後悔する。と、とっさにブレーキの言葉が口から出てしまった事。そのある事柄に対して、なぜ自分はそんなにムキになったのか…?
ビックリさせたかもしれない…たくさん気を遣ってくれたのに…
そう思った瞬間に、どこかで執着の糸が一本切れたようでした。
春分の日を前に、自分自身の心の変化して洗濯機で回されているような気持ちです。
私は、あるとても小さな事柄について失うまいと必死にもがいていたのですが、失う不安の中に[世間体、負担、情けない、劣等感]と言うキーワードが出てきました。
自分自身の隠していた面が一気に出てきたから、滝のように感情が表に出てきたんだなぁ…と
自分が抑えていた部分に、薄々気づいていたのは、数ヶ月前の事、知り合いが思い切り自分自身の弱い部分を見せていた事。
なぜこの人は突然、このような話をし始めたのかと、そして自分が悩んでいた事と重なり[あれ?これって?私も同じだ…なんで?]と、その時の私は、打ち明ける事すら出来なかったのですが…間接的に励ましてくれたようで感謝するばかりでした。
今思うと『なぜ我慢している?自分の中にある気持ちを吐き出せ』と言われたような…そんな気がしました。
そして今回の出来事はまさに隠した感情を表に出す作業でした。失う不安を手放した時、楽になったのを覚えています。
今の私には不要だと…もし、これを維持するなら絵を描く時間を減らすか辞める事で可能。手放すなら絵を描く自由の代わりに行動の原動力を弱める。と言う究極の選択。ある意味覚悟しています(>_<)これが凶と出るか吉とでるかは?です
気づいたのですが、もうひとつハッとした事があります。
昨年、インドの神様猫[孔雀明王猫]の制作していた時。不思議な事がありました。いっとき一瞬、あるイベントにてヒンドゥー教のシウ゛ァ神を本気で大嫌いになりそうになった時…二週間後にいきなりネパール料理店に連れていかれ、着物と日本庭園が似合うような奥ゆかしいネパール人の方から神様の話を聞いて[ヒンドゥー教の神様、変な誤解してごめんなさい]と猛烈に心の中で謝罪した事がありました。
この出来事や気づきがなければ、私は作品のモチーフに対して、礼儀も弁えずに制作してくれるなと言われたような…しっかり気持ちを込めて作る事は出来なかったんだと感じた事があります。
この時の状況と、今の状況が似ています。偶然にも、どちらも大型作品を制作中の時です。
偶然どちらも、私が間違って突っ走る時に現れ心改めるようにとストレートな鉄槌で殴られたような気がします。描いていて感じたのは、インドの神様達は意思表示がハッキリしてる事。
仏教や密教のモチーフを描く時は、キリッとピシッと静寂の中で気づきなさい的な日本的な雰囲気だったり優しかったりきびしかったりなんだけど…お国柄なのかなぁ?
どちらも気のせいと言う事で!
それぞれ、描いていて感じるものが違います。
そんな一日を過ごしています。3/25のイベント準備頑張ります。
凹む時は素直に凹もう。
ではまた。
