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VS!中学生!!

『強いってなんですか?』

漫画、はじめの一歩の主人公、幕之内一歩の台詞です。

まったく同感のこの台詞!

女性には理解し難い気持ちなのかもしれません。

何を隠そう僕は、はじめの一歩の大ファンです。(隠すも何も、誰も聞いてね―!)

小学校6年生の頃から、約16年ほど一歩を読んできた事になります。

マガジンも毎週買ってますしね。(てゆか、4大少年誌全部買ってんスけど)

我ながら、妙な歴史を感じてしまう年数です。

はじめの一歩に限らず、少年漫画はのべつ読んでいますが、

いじめられっ子がメキメキ強くなってゆくストーリーは僕の心の琴線を揺さぶって止みません。

何故ならば大多数の人間が『弱い』からに他ならないし、その大多数に自分も含まれると自覚しているからです。

『強い』とは、良くも悪くも頭抜けてるという事で、常人の枠に収まりきらない人間の事を指します。

だとすれば、常人というくらいなのですから、圧倒的多数の人間は強くない、という事になりますね。

そして、大概の少年漫画では、腕力のみで大きい顔している男は、嫌なヤツとして描かれ、主人公にコテンパンにやられます。

そこに僕はカタルシスを感じるのかもしれません。

つまり、『正義無き力は暴力なり、力無き正義は無力なり』

とおっしゃった大山倍達先生の御言葉が心に染み込んでくる訳ですね。

現在の日本は法治国家で、原始時代でも、戦国時代でもありません。

『力=腕力』という時代では無くなっていると言う事です。

すばらしい!

現代に生きているという幸運に感謝します。

経済、芸術、音楽、知識、あらゆる分野で頂点を極めれば、それを己の『強さ』に還元する事ができるのです!

『ボクシング対プロレス』異種格闘技の代名詞ともなったこの対決の構図が、僕達の日常で行われているのです。

芸術VS知識

経済VS腕力

コレはスゴイ事ですよ!

腕力に勝てるものがこんなにも日常に転がっているのです!

はじめの一歩に感化され、ボクシングジムに通ったあの頃。

ゲロまみれでした。

一歩というよりゲロ道に近かったです。(ゲロ道=一歩の後輩、出来が悪くすぐゲロを吐く事からこのあだ名が付いた)

そして、絶望感に打ちひしがれました。

自分の腕力関係の才能の無さに。

今現在、ちょっと大きめの中学生に本気で掛かってこられたら、勝てないんじゃないでしょうか。

否、まだいやらしい未練がありますね…そんな中学生にも勝てませんよ!ええ。

でもそんな中学生が足元にも及ばない事を身に付けてきたという自信を持たなければならないのです。

だからこそ、大人なのです!

なので、これからも僕は少年漫画を読み続けます。

もうそろそろ、洒落にならない年齢になろうとしてます。

『少年隊』と同じパラドックスに迷い込みつつあります。

だが、負けない!

少年漫画を馬鹿にする、そこの似非大人共に告ぐ!

貴様ら、諦める事が大人だと勘違いしてないか?!

幻想を舐めてないか?!

そんなものが世の中の価値観をひっくり返してきたという現実を知るがいい!!

そして、夢はいつか叶うとかいってる奴等にも言っとく!

なめるな!

僕は中学生の憧れの的になりたいのです。

あのアホ共をヨダレ流して羨ましがる存在になりたいのです!

僕が中学生の頃に憧れた数々のモノたちは今も僕の心で綺羅星の如く輝いています。

その答えは少年漫画にある!!

以上、少年漫画を大人が読んで何が悪い!のコーナーでした。

大夢真芯。

物心はいつ付くのか?

自分の一番古い記憶を思い返してみる。

断片的に思い出す数々の映像は、やっちゃったな~とか、恥ずかしい!とか

あれ楽しかったなぁ~等、胸がざわざわする映像ばかりだ。

あれ?

何かに似ているぞ!

この感覚は、酒を飲んで記憶を無くした時にクリソツなんだ!

断片的に浮かび上がる記憶と、何したんだ俺…というざわついた記憶。

なるほど、子供って酔っ払ってるんだね。

そう考えれば納得出来る事がたくさんあるな。

突然奇声を上げたり、闇雲に走り回ったり、自分の記憶と照らし合わせても理由なんて無かった気がする。

つい先日も木の周りをぐるぐるぐるぐる1人で回り続けている少女を見た。

『なにしてんの?』って声掛けたかったけど、このご時勢、それだけでも逮捕されそうなので我慢した。

しかし、なんて答えるのか未だに興味ある。

だけどきっと理由なんて無いって言われちゃうんだろうな。

そして、この子はすぐに今日の事なんて忘れちゃうんだろうな。


そんなこと考えてたら、不意に子供ながら自分でもなんちゅう狡いヤツなんだ!と思った思い出が蘇ってきた。

保育園に通ってた時代。

お遊戯会が開かれる事になった。

我ら、くま組の男の子はガンダムのオープニング曲に合わせて踊りを踊るという、

ありがちなお遊戯をする事になった。

確か、メンバーは、くま組から選ばれし10人の男の子達で構成されていたと記憶している。

衣装は白いタイツに厚紙で作った腕のパーツや足の飾りを付けて、耳飾りをつける。

ガンダムというより聖☆闘士(セイント)に近い格好だ。

そのなかで、耳飾り(何ていうか、防寒用のヘッドホンみたいなヤツです)は段ボールに人数分入っていて

白いタイツに早く着替えた者から好きな耳飾りを取っていくというシステムだった。

耳飾りは色も形もバラバラだったが、そんなに大差ないモノだったと思う。

が!

そのなかに一つ、アンテナみたいなのが付いた耳飾りがあったのだ。

保育園児の僕には、そのアンテナがそこはかとなく近未来を感じさせ、すこぶる格好良く見えた。

そして、それ以外は絶対に付けたくなかった。

他の子達も同じ思いを抱いたようで、お遊戯の練習の時からそれは羨望の耳飾りになり、

とんでもない競争率になってしまった。

みんな着替えの速度が尋常でなく早くなり、目がギラギラしていた。

ここから、僕の恐ろしいまでのセコイ作戦が始まる・・・。

あの耳飾りはダサい!という醜聞を流し始めたのだ!

最初は、まったく効果が無かったが、あの手この手を使った。

まず、人気、喧嘩共にトップクラスのけいすけ君を懐柔する所から計画はスタート。

『ねぇねぇ、あのアンテナ付いてるヤツ、実はかっこ悪いよね』

最初は訝しげに聞いていたけいすけ君だったが、あまりにしつこく僕が言うものだから、

そのうち『そうだね、あれ格好悪いよ!』と同調し始めた。

この時点で作戦は7割がた成功したと僕は1人ほくそ笑んだ。

そうすると案の定、1人、また1人と率先してその耳飾りを付けたがる人数が減っていった。

子供の浅はかさ、『アンテナ付きはダサい!』の構図が見事に確立されたのである。

今度はそのアンテナ付きの耳飾りが誰も付けたがらないので最後に余るという事態に発展。

そして僕はわざと最後になるよう、ゆっくり着替え、いつもその耳飾りを付けるハメになるように仕向けた。

あまつさえ、しょうがねえな~のリアクションをしながら、その耳飾りを付ける芝居までしていたのである!

せ、セコイ!

セコ過ぎる!

こんな子供ロクな大人になりませんよ!お母さん!!

ドラえもんに頼んでタイムマシンであの頃に連れてってもらって、拳骨くれたい位にセコイ!!

なんちゅう狡い考えの持ち主か!

もし自分に子供が生まれたとして、こんな子供だったら間違いなく拳骨くれてやる!

そのお遊戯会はなかなかのビックイベントで、もちろんウチの親も人並みに息子の雄姿を写真に収めた。

なので、実家には僕がアンテナ付きの耳飾りをし、得意気にポーズを決めている写真が今も残る。

燃やし尽くしてやりたい。

子供は純粋なんて誰が言ったんだ!!


懺悔話しで御座います。

人間参加。

人が2人いれば、政治は始まる。

些細な事でも体力、容姿、職業、性別、様々な要素がその2人の関係を作り上げていく。

たった2人しかいなくても、きちんと個人と個人で向き合うのは大変な労力を遣うモノだ。

大人数ならば言わずもがな、その労力は計り知れない。


その労力を極力減らすシステムが『社会(国)』であり、『規則(憲法)』と言うことになるのではないだろうか。

規則を守る範囲内では個々の自由は約束される。

現在の日本は極力他人と関わりを持たず生活していく事が、やろうと思えばやれる社会だ。


これは、将来に悪い影響が有るとか無いとかはさて置いて、スゴイ事だと思う。


また、その所為か、個人主義の人間が増えたと言われて久しい。

確かに、人と交わることが苦手な人間はたくさんいると思う。

だが、現代に限って急に増えたとは思えない。

昔だっていたはずだ。

しかし、昔は世捨て人にでもならない限り、どうしても人と関わって生きていかなければならなかっただろう。

情報ツールに乏しい時代、近所付き合いは重要な情報収集の場であったろうし

交通、通信事情の発達していない時代、生まれた土地を離れ

知らない土地で生きていくのは、今では計り知れないほど覚悟のいる事だったのではないだろうか。


そんな人たちからすれば、今の世の中は夢のような世界なのかも知れない。


杓子定規に、ネット社会が悪いだのゲームが良くないだの言っている事は、とても考えが狭いと感じる。

人間が生き生きと出来る世界が広がったと思えば良い。

生きる選択肢が増えたとは考えられないだろうか。

学校や職場でイジメを受け、行き場がなくなって死んでしまうよりも

身近な人間との交流を一切断ち切り、生きていく道があったって良いではないかと思う。


確か手塚治虫先生が描いていたのではないかと思うのだが


『機械は良いことも悪いこともしない、それを使う人間次第なのだ』と。

(うろ覚え過ぎて誰が言ったのか、全然わからねえデス。良く聞くしなぁこのセリフ…すいません)


シンドイ思いをしたくないから

恥を掻きたくないから

ミジメな思いをしたくないから


誰だってそんな思いはしたくないに決まってる。(あ、そんな性癖がある人もいるか・・・人間ってスゴイな)

そこで踏みとどまらなければいけないという意見はもっともだが、


逃げ場が無いから頑張った。

逃げ場があるから逃げ出した。

どちらも当然の感情なのでは無いだろうか。


ただ、社会に参加しているという意識は持たなければならないとは思う。

国でも地区でもなんでも良い、自分は部外者ではない、集団生活に参加しているのだと。


そう自覚していれば、切符を買う時、割り込みなんて絶対出来ないよね?


狭い道路で恋人と腕組んでイチャイチャ歩いて通行の邪魔するなんて到底出来ないよね?


コンビニで雑誌買おうとしてる人を堂々と立ち読みして邪魔するなんて考えられないよね!!


『よっス!』みたいに手を挙げるだけで割り込んでくる車なんてもってのほかじゃない!?


チリンチリン鳴らせば歩行者が避けて行くとでも思ってんのかチャリンコばばぁ!!!!


ヨーグルト買ったらスプーン付けろや!!


たかだか新宿~中野間の電車で必死に人を押しのけてまで席を取って座らんでも良いだろう!!


借りた漫画くらい綺麗な状態で返せ!!


金卸すの終わったんならさっさと退け!!


レジ待ちでふんわり割り込みしてんじゃあねえ!!




ってな事を声に出して言わないのも一つの平和を保つ手段なのでしょう…。

ううう、声に出したいよォ――――!!