「愛と青春の旅たち」という映画を観た。
古い映画で、1982年のアメリカ映画。主演、リチャード・ギア、くらいしか知らない。
親友のシド役は、確か、「メジャー・リーグ2」の悪役だったような気がする。
この映画、超要約すると、海軍の10数週間のトレーニング期間に、主人公の海軍志願兵が地元娘と恋に落ち、連れて旅立つ、という映画。
有名な映画だがちゃんと観たことはなかった。
映画「海猿」のモデルというかパクリ元になっているであろう、なかなか良い映画だ。
要はこうだ。
女、海軍トレーニング地のジモティーで、冴えない工場勤務。打倒現状!を胸に、将来要望な海軍志願兵をモノにする事に骨身を惜しまない。
男、海軍エリートを目指しつつ、地元娘をスケコマしてハメながらハメを外したい。けど、腹ましてしまうと、色々と面倒。
という思惑が交差する内容。
海軍の厳しいトレーニングのなか、友情ありロマンスあり、一人の孤独な青年の成長が描かれている、とも言えるが、自分の見方は違う。
リチャード・ギアが、地元の冴えない工場で働く娘を卒業後に迎えにいって、お姫様抱っこで連れ去る、というのは有名で感動的なラストシーンだが、一方の友人カップルの方は、女が「腹んだ」と男にカマし、真に受けた男は、海軍を自ら脱落。
女にプロポーズするも、「もう海軍じゃないなら用はねー」、と勿論プロポーズ蹴られる。
男、自殺する。
という対照的な悲しい結末。
ヒロインの方は、海軍への登竜門を見事にパスし、エリートに化けた男が迎えにくるというシンデレラストーリーだが、もう一方は工場に取り残される、という女としての残酷さも描かれる。
この自殺してしまう海軍志願兵、名前は「シド」という。
シドが女の為に自ら海軍を去り、女を迎えに行き、「結婚して、オクラホマで暮らそう」とプロポーズしている姿に、男の男であるが故の底抜けの間抜けさがあった。勿論、女は「妊娠なんて嘘。パイロットとしか結婚したくない」とプロポーズを蹴り、作中ではビッチの様に描かれているが、「シドよ、そりゃ、そーなるよ。この場合、男が悪いよ。逆に自殺までされて、女の方がいい迷惑でしょ」と感じずにはいられない。もし私が作中のリチャード・ギアであったなら、シドをスナックにでもつれて行き、こっぴどく叱り、後日、首根っこ捕まえて女性のとこに謝りに行かせることだろう。そして、「本当に愛してるなら、やっぱ海軍のテストは合格しなさい」と父親のように諭すであろう。
子供を10か月間も体内で授かる女性は、生物として男を選別する能力がDNAに色濃く刻まれている。それを汲まない男というのは、求婚の資格はないのである。
「ありのままの僕を愛してくれ」なんて、独りよがりのI want youであり、いい迷惑であろう。
そう考えると、「腹ませる」という実弾射撃というか、ブービートラップというか、計略抜きに、男に身を任せたヒロインは、一種のギャンブラーであり、見事、その勝負をものにしたとも言える。
こういうことは、「見る目がなかった」とか「あげまんでなかった」とか、女に非を求めるものではない。
人類史で何千年も繰り広げられてきている、男女間のゲームだ。
「女なんて利用すればいい。子供の責任なんてとれねー。まずは自分の責任だ」とうそぶいていた主人公の方が、最終的にはハッピーエンドで、「彼女を心から愛しているから海軍辞めて、子供の責任をとる」と純情だった男が自殺を選択する、というのも皮肉な話だが、ようは愛のはき違い、ということだ。
まあ後者の方は、完全に男としての監督不行き届きであり、見る目がなかったし、そもそも、女の意をちゃんと汲んでから行動しようよ。。というのを、この映画から学ぶことが出来る。