世の中にはいろんな人がいます。
例えば、石川遼くんは、クラブハウスのトイレの洗面台を、自分が使う前よりきれいにして出ると決めている、という話を聞いたことがあります。
これが、リッツカールトンのスタッフの話なら、企業文化とか、企業哲学とかいうコトバになるんだろうけど、彼の場合、そういう行動のモチベーションは美学に基づくんだと思う。
人が見てるからとか、ほめられたいとかではなく、そういう自分が好きだとか、そうしないと自分の中の何かが気持ち悪い、そんな感じ。
ゴルフにおける攻めの姿勢も、きっと彼の中の美学が、そうさせるんだと思うんだよね。
彼はまだ19年しか生きていないし、勝ちたい、うまくなりたいという欲をエネルギーにしてる。
けど、彼の行動や発言、立ち居振舞いは、悟りを開いた高僧にも似た清々しさがある気がする。
ああいう境地は、仏教的な価値観では、どんな解釈になるんだろう。
わたしの疑問解決の糸口はそこかもしれない。
例えば、石川遼くんは、クラブハウスのトイレの洗面台を、自分が使う前よりきれいにして出ると決めている、という話を聞いたことがあります。
これが、リッツカールトンのスタッフの話なら、企業文化とか、企業哲学とかいうコトバになるんだろうけど、彼の場合、そういう行動のモチベーションは美学に基づくんだと思う。
人が見てるからとか、ほめられたいとかではなく、そういう自分が好きだとか、そうしないと自分の中の何かが気持ち悪い、そんな感じ。
ゴルフにおける攻めの姿勢も、きっと彼の中の美学が、そうさせるんだと思うんだよね。
彼はまだ19年しか生きていないし、勝ちたい、うまくなりたいという欲をエネルギーにしてる。
けど、彼の行動や発言、立ち居振舞いは、悟りを開いた高僧にも似た清々しさがある気がする。
ああいう境地は、仏教的な価値観では、どんな解釈になるんだろう。
わたしの疑問解決の糸口はそこかもしれない。