「ひめゆりの塔」へ
ひめゆり平和祈念資料館にて。
第二次世界大戦中、唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄の姿を熟読…
当時、沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通われていた13歳から19歳の女学生222名、
教師18名、総勢240名が沖縄陸軍病院に動員された。
迫りくる米軍の攻撃によって多くの人が命を落とした記録でした。
ひめゆり学徒隊は、負傷兵の治療に尽力を注ぎ、
飯上げ
排泄の処理
傷口にわいたウジ虫とり
死体の埋葬
昼夜を問わず働いていました。
1945年4月初めに本格化した内戦から2ヶ月半が経った6月18日、
ひめゆり学徒隊に解散命令が出された。
10代の女学生が「自分の判断で行動しろ」と戦場に放り出された真実を知り震えが止まらなかった。
生存者の証言フィルムで伝えるブースで、
話していたこと。
「天皇万歳」
「お国のために死ぬことは名誉」
そう教えられていた子供たちなのに、
誰も「天皇万歳」といって死なないの。
「お母さん、お母さん」って言って死んでいくんだよ」
お国や先生や大人が言っていることを素直に聞いて、
寝る間も惜しんで一生懸命仕事したのに…
それなのに最後は放り出されて死んでいった真実。
82日間の沖縄戦における
ひめゆり学徒隊、教師の犠牲者は136人。
このうち117人は、
解散命令後に亡くなられた。
出典: ひめゆり平和祈念資料館ホームページより
国や時代に奔走されて、
戦争に巻き込まれて、
その人生を全うできなかった、
ひめゆり学徒隊の全犠牲者の方のご冥福をこころから祈っています。
ひめゆり学徒隊が過ごした地獄のような日々を、
決して人ごとではない戦争を、
非常に身近に感じられました。
沖縄に来た際は、
ぜひ立ち寄っていただきたい場所です。
沖縄県糸満市字伊原671-1
TEL 098-997-2100
9:00~17:25(入館は17:00まで)