母が息を引き取った翌朝、営業マンが一旦帰った後、

 

そんなに間を空けず、営業マンが戻ってきて

「火葬場が混み合っているんですが、やっと予約が取れました。

最短で10日後です。

10日後の告別式で良いですか?」

と言われ、その場で了承しました。

 

コロナ禍で罹患者、死者が急増している事を、改めて実感しました。

 

通夜、告別式の日程が決まったので、両親の兄弟に連絡する事にしました。

母は余命宣告を受けていたので、連絡リストを作ってありました。

主に両親の兄弟でした。

両親は共に兄弟が多く、全員遠方に居住していました。

 

父は「全員俺から連絡する。ただダイヤルはお前が押して、つながったら受話器を渡せ」と言いました。

言われる通りリストの上から順に電話をし、呼び出し音が聞こえると都度、父に受話器を手渡しました。

 

先に連絡した母の兄弟は、全てすぐに電話が繋がり、父は時に号泣しながら、母の死と「家族葬にするので参列は不要」との旨を伝えました。

父の涙を見るのは、祖母(父の母)の葬式以来、人生二度目で、号泣するのを見るのは初めてでした。

 

私は父の横に座り、通話中ずっと父の背中をさすっていました。

父の背中をさするのは、人生初めてだなと思いながら…。

 

一方、父の兄弟は不在の人が複数いました。

「お留守のようだから、また時間をおいてかけてみよう」と私が言うと、

父は激怒し「留守だなんて何故分かるんだ。すぐにかけ続けろ。その内出る」と言い張り、1~2分置きに電話するよう要求しました。

 

不毛な作業だ、と思いながら、言われるがまま、数十回リダイヤルし続けました。

まるでストーカーのようだ、と思いながら…。

 

その合間に何度か「一旦電話をかけ続けるのは止めて、せめて数十分か一時間程度、時間を空けてから電話しようよ」と言ったのですが、

都度「お前はどうしてそんなにいい加減なんだ。ずっとかけ続ければ出るんだ」と怒られて、結局、父の気が済むまで、40分くらいリダイヤルを続けました。

 

「母が亡くなったばかりで気が動転しているだけだ。今だけだ」

私はそう自分に言い聞かせていました。

 

まさか、もっとヘビーな展開になるとは、その時は思わず…。