終わりなき日記 -2ページ目

企業戦士サラリーマン!

昔、好きなマンガにモンモンモンがありました。
その中で、「企業戦士サラリーマン」ってキャラがあって、これが凄いのよ(笑)。
満員電車でも絶対に揺れない安定感、誰にでも頭を下げる謙虚さ、名刺配りの素早さ。
ある意味、最強ですね。

そんなわけで、来年から僕も企業に就職します。これまで、アカデミアの世界で約10年間働いてきたけど、ついに某大手製薬会社の創薬研究員として転職します。
会社に上手く順応できるかどうか、ドキドキですよね。
これまでアカデミアで好き勝手に研究してきた自分ですから、日本の企業になじむまでは時間がかかるかもしれませんね。
それよりも、品川までの満員電車に耐えられるかどうか。。。。。

でもね、僕が興味があることは本当に画期的な抗がん剤が創れるかどうかだけ。
研究者だって社会的にみればサラリーマンだけど、根本的には学者であることは捨てません。
どんなにコミュニケーション能力が高くたって、どんなに優秀そうに見えたって、どんなに仕事ができたって、僕らの世界では新薬を世の中に送り出せなければ敗北ですから。
3万分の1の確率なんて、蹴散らしてくれます。
少なくとも、「研究」とは0から1を生み出す仕事ですから、イノベーションが大切。
広大な砂漠に一本の木を植え付けるようなものです。そのためには、これまでの常識なんて通用しません。

都会でオーロラをみれるような、
真夏に雪を降らせるような、
砂漠でシロクマをみるような、

それくらいのイノベーションが必要。
そして、それらはきっと可能なはずだから。

さぁ、これから過酷な戦いが待ってますね。
一流雑誌に論文を投稿するよりも画期的な新薬を生み出す方が何万倍も難しいでしょう。

画期的な抗がん剤。

そのために残りの研究者人生30年を全て費やしますよ。
あの手この手猫の手を使ってね。

創薬戦士サラリーマン。
上等。

リサーチャーズ•ハイ

僕は勇敢じゃありませんが、昨日の夢を捨てても笑えます。
だって、もっともっと高いところを目指してますから。
昨日よりも、今日よりも、未来の未来の夢を目指してますから。
もしも、失敗したら苦笑い。

たかが、名もない一人の研究者ですが、その人生を捧げてみたいものが見つかったのは面白いです。
中学生からの夢を捨ててまで、つかみたい目標ができたんですから。
そりゃ、全力で挑みますよ。
10年間のアカデミアでの研究者人生の集大成です。
来週はそれを思う存分振り舞わしてみせます。
ホームランか三振かのどちらかしかいりません。

なりふりかまわず、八つ当たりだ!

That's a super philosophy

突然、大好きな映画のグッドウィルハンティングが観たくなって、youtubeで有名なシーンをちらみして、目頭が熱くなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=qM-gZintWDc
誰しも自分の哲学をもっているものですね。
それは、もしかしたら、哲学なんて崇高なものではなくて、単なる頑固さなのかもしれません。
僕にも譲れない想いがありますよ。

僕は絶対に誰にも自分を売ったりはしない。

僕は絶対に家族を守る。

僕は、絶対に自分より先に愛する人が死ぬことを認めない。

天分の深さは計り知れない。
でも、ウィルのような天才でも、「本当の世界」を実際にみて経験してきた人たちには勝つことはできないんですね。人の心の中には、机上の知識や上っ面の想いだけでは到達できない部分があるから。うまく言葉にはできないけど、それが人の深さというか、もっているものというか、能力というか。まさに経験と感性の積分値ですね。

それから、このシーン。
It's not your fault.
http://www.youtube.com/watch?v=UYa6gbDcx18

ウィルはそんなこと頭の中ではわかっていたけど、それを今まで本当に心の中で受け入れることができなかったんですね。自分を守る事に必死だったから、心のどこかで勝手に自分が悪い事にしていた。もし相手が悪い事を認めてしまったら、やり場のない気持ちに耐えられなくなるから。でも、それを誰かに「自分は悪くない」ことを認めてもらった時、守りがはがれて一気に悲しみが吹き出す。その瞬間はとても辛いけど、認めてくれる人がいることで助けられますね。

この先どれだけの心の傷を負うのかわかりませんが、どんな時もsuper philosopyだけは忘れません。
PhDじゃなくてSPhDにしたいくらいに。

私、絶対に失敗しませんから。

病のカテゴリー

人はどうして病気になるの?
そんなこと、考えたことないですか?
僕はあります。そもそも、病気とはなんだろうってね。
たぶん、病気の定義は簡単なものじゃないですね。いろんな定義があって、一番簡単な例は、医療による治療が必要なものは病気に定義されちゃいます。その他にも、本人が健康に不都合を感じれば、それはたとえ病名がなくても病気になる。または、正常ではない異常は病気に分類される。

実は、病気の定義そのものが曖昧だし、絶対的なものじゃない以上、その人の考え方一つ変えるだけで、一般的な病気が正常なことにも思えちゃうかもしれない。
みんな、なにか不都合があると「病気」という都合のいい言葉で片付けて、さぁ病院にいきましょってなる。でもその考え方がもはや異常だと僕は思います。
例えば、僕は自閉症じゃないかって言われる。ただ、人とコミュニケーションを取るのが嫌いで、他人に抑圧されることを極端に嫌って、部屋の片隅で熱帯魚を飼育しているのが好きなだけ。でも、それは「個性」だっていう見方もできますよね。まわりの人とちょっと違うからって、すぐに病気扱いするのは間違っていると思います。本当の自閉症の人は、社会にでることも、外で働く事もできないとか言いますよね。でも、それって、異常ですか?社会で一人前に働けないから、誰ともコミュニケーションをとることができないから、それを異常と決めつけるのは違う気がする。それは単に、他の人とは極端に違うだけ。もしかしたら、この社会の方が異常だとは何で思わないのだろうか。
たとえば、戦争が起きたとします。そこで、いわゆる正常なコミュニケーションがとれる、積極的な人たちは武器をとって自分を愛する人を守ります。他人を殺してでも、愛する人を守ります。でも、自閉症の人たちは、ただ何もすることができず、ただオドオドするだけかもしれない。愛する人も守れないかもしれません。でも、誰も殺すことはない。僕からみれば、前者のほうが「異常」だと思います。愛する人を守るためならば人を殺していいわけじゃない。
つまり、見方をかえれば、世界がかわれば、正常と異常の判別なんて簡単にかわる可能性だってあるのだと僕は思います。
日本では現在、2人に1人は癌に罹患します。そのうち、日本国民全員が癌に罹患する日もくるかもしれません。そしたら、人が癌になるのはごく当たり前のこと。我々の健康の過程の中で最初から癌が生じるようにプログラムされていたこと。だとしたら、それを病気と呼ぶのは、ある病気の定義からしたら当てはまらないかもしれませんね。癌にかかること、癌で死ぬことはごく当たり前のこと。それに対して医療行為で延命処置をとることの方が異常なことかもしれない。そして、抗がん剤治療はもはや「健康に生きること」を目指すどころか「不健康に死ぬこと」を意味しているかもしれない。
ダウン症の子供を障害児扱いする人がほとんだと思います。でも、僕はそうは思いません。もちろん、社会的にはハンディキャップを持っていることは認めます。彼らは単に、人よりも21番染色体が一本多いだけ。それは、見方を変えればとてもユニークな事です。彼らを障害児扱いしているのは、私たちの社会です。それも、日本は特に。残念ですね。
ダウン症や自閉症の子供の中にはサヴァン症候群のような特殊な能力をもつ人もいるのにね。
それを受け入れられない社会は悲しいですね。

とはいえ、誰だって、「健康」「長生き」を願います。
それは生き物として当たり前のことだと思います。
僕だって、「健康」でいたいし70歳くらいまでは長生きしたいです。
でも僕らは、自分たちの価値観で、自分たちの幸福論で、自分たちの健康についてもっと考えなくてはいけないのかもしれません。誰かに社会に強要された健康のカテゴリーに当てはまろうとするのではくて。

みんな、自分の幸せのカテゴリーを築いていきたいものです。
じゃぁ、その日までさようなら。

オヤガコドモヲタタクトキ

久々に、一人晩酌をして酔っぱらってしまいました。
アメリカに来てからほとんど飲まなくなったのに、たまには気分転換にいいものです。

昔、同じタイトルでブログを書いたことがあります。
その時はまだ結婚もしていなかったけど、今はもう一児のパパです。
いつのまにか、偉くなったものです。

なんだか、乱暴ですよね。親になるのに、講義もトレーニングも免許もいらないなんて。公に子供の教育を携わる学校の先生には免許が必要なのに、その子供と最も多くの時間を共有する親が親としての資格は要求されない。
子供が生まれた瞬間から、どんな人間も親を強いられる。否応無しに、親にならなければならない。でも、biological parentと本当の親は違うと思う。単に産みの親か育ての親かの違いじゃなくてね。
世間的には、「最初から親なんていない。みんな子供と一緒に親になっていくんだよ」って言うけど、残念ながらそうなのかもしれません。

僕が大好きなドラマの一つに「薔薇のない花屋」があります。5年くらい昔になっちゃうけど、毎週涙しながらあのドラマを観ていました。その中で、英治が雫を一度だけ叩いてしまうシーンがあるんです。自分の娘を叩いてしまう父親。英治は叩いたあと後悔して自分自身を責めます。
親は子供を絶対に叩いてはいけない。
どんなに理不尽な理由があっても、親は子供を決して叩いてはいけないんです。
子供をしつけるために、時には叩くことも必要だなんて、そんなの馬鹿げてます。
そんなの、怠慢な親が都合よく言い訳しているだけ。
子供は犬猫なんかじゃない。
しつけのためにムチをふるう必要なんてない。
そんな腐った考え、火にくべてしまえばいい。
だって、僕たち人間には卓越した「言葉」という叡智があるんだから。
子供が悪いことをするなら、言葉で怒ればいい。
それでも言う事を聞かないなら、ちゃんと理解できるようにゆっくり言葉で話しかければいい。
それでも言う事を聞かないなら、なんどもなんどもなんども言葉でわかりやすく教えてあげればいい。
諦めずに、なんどもなんどもなんども、言葉で話しかければいいんです。
言葉を理解できない赤ちゃんですら、優しく話しかければわかってくれるんです。
赤ちゃんは言葉を理解できなくても、親の気持ちや心には敏感だから、ちゃんと理解できるんです。
叩くことなんて、これっぽっちも必要ないんです。
どんなに言い訳をしても、叩くことは暴力でしかない。
でこぴんですら、それは暴力です。
どんなに小さな暴力も、暴力しか生み出さないから。

なんだかちょっと熱くなってしまいましたね。いかんいかん。
幸運なことに、僕は親に叩かれたことは一度もありません。
どんなに悪い事をしても、一度たりとも叩かれたことはないです。
その点は、僕は自分の親を尊敬しています。

それにね、親は子供の絶対的な見方でなくちゃいけないと思うんです。
たとえ自分の子供が万引きをしても、殺人者になっても、僕は絶対に自分の子供の見方でいます。
たとえ世界中が僕の子供の敵になったって、僕だけは彼の見方でいます。
それができるのは、親だけだと思うから。
親が子供以上に守らなくてはいけないものなんて、たぶんこの世にはから。


そんなことを、この子が生まれる時に、密かに心の中で決めていました。
僕の子供が生きて行くこの世界は、不平等だし、紛争や差別は絶えないし、貧富の差は激しいし、最低な世界。だからこそ、親は子供を必死に守ってあげなくちゃいけない。そして、同時に、最低な世界でも生き抜く価値はあることを教えてあげなくちゃいけない。

残念ながら、僕にも親としての免許も資格もありません。
でも、どんなことがあっても、君をたたくことはしないよ。
どんなことがあっても、君の絶対的な見方でいるよ。

僕の手のひらに残っている愛情をフル動員して、自分の子供を育てて行きたいものですね。
そしたら、この世から戦争なんて消え失せてなくなってしまえばいいのに。

ねぇ、神様。

ウーギークックのこどもたち

だいぶ前の話ですが、Womanというドラマを思い出して少し胸がきゅっとしました。
あのドラマは目を背けたくなるような厳しい現実が描かれていて、観るとすっごく暗い気持ちになって嫌でした。でも、主題歌が明るくてかろうじて全部観ることができたかな。
やっぱり、女性って強いよね。男である僕には到底及ばない存在だとすっごく思います。女性は男性よりも精神的にも頭脳的にもずっと優れた人だと思う。男が女よりも勝っているのは肉体的力だけ。だから、男は昔から女性を社会的弱者におさえつけることで、自分たちの地位を確保してきたんだろうね。ほんとうは、男性は女性にもっと敬意を示すべきなのに。

さてさて、話が変なとこに飛んじゃいましたが、あのドラマには何度も泣かされました。小春の誠実でまっすぐに全力で子育てしながら生きようとする、女としての母としての強さに感動しっぱなしです。そんな中でも、僕が一番涙してしまったのは第9話で小春が自分を捨てた母親に「助けてよ」って訴えるシーンです。言葉では憎んでるとか許さないと言っても、どうしても憎みきれない。本当は素直に「お母さん」って言いたいはずなのに、憎しみで言えなかった辛さがよくわかります。僕も一度だけ、親とそういう状況に陥ったことがありますから。
それと、母親が「あなたは絶対にそうはなりませんから、死んだりなんてしませんから」って、声を震わせながら断言するシーンも号泣です。愛する人の死を絶対的に否定したいおもい、すっごくわかります。たぶん、僕もそんなこと絶対に認めないと思います。神様に逆らったて、そんなこと絶対に認めない。

なにはともあれ、最後は小春が無事に助かってハッピーエンドで終わってくれて安心しました。あのドラマでハッピーエンド以外は観たくないです。なんだか、最後は娘の望海の絵日記の視点からその後が淡々と描かれていて、少し怖かったですが、僕はハッピーエンドだけを信じます。望海が絵日記に嬉しかったことしか描かないなんて知りません。幸せか不幸かなんて存在しなくて、幸せだと思う心しかないなんて知りません。
どんなこと言ったって、生きていることが幸せだと思いたいです。
死んだ人の幸せを否定しているわけじゃないです。でも、生きてこそ人は幸せになれるチャンスがあると思う。
誰だって、ハッピーエンドしか観たくないんだから。


ウーギークックが「人は悲しい。人は死ぬことを知っている唯一の生き物だから」
これを最初に聞いて、僕は人は死ぬことを知っているから幸せだと思いました。
だって、全てのことに終わりがあるから、終わらないことを願う幸せがあると。

でもね、よく考えたら、人間だけが唯一の生き物ではないかもしれない。
たぶん、生き物はみんな死ぬことを本当は知っている。
てんとう虫もクジラもプレーリードックもねずみも、みんな死ぬことを本当は知っているのかも。
だから、みんな人間以外の生き物は必死に生きようとする。
でも、人間は、死ぬことを恐れ逃れようとする唯一の生き物。だから、自ら生きることをやめようとするんだと思う。
だれも、生き物は全て死んでいくのにね。
だったら、それを知った上で全力で生きばいいのにね。
どんなにぼろぼろになったって、恥かいたって、生きて生きて生きまくればいいのにね。
僕らのまわりの動物たちのように。

そして、僕らの人生の最後のページは、子供たちに読んでほしいものです。
ちゃんと順番を守ってね。


大切なものはそんなに多くはありませんから

連日の更新、びっくり。それだけ、時には言葉にしたい思いがあるんですね。
昔、「あなたの好きな言葉は?」と聞かれ、「肉をきらせて骨をたつ」と答えてドン引きされたことがあります。もちろん言葉の意味としては捨て身ってことでしょうが、個人的な思いとしては「本当に欲しいもの得るためには自分の肉をきらせるくらいのリスクと犠牲が必要」ってことです。
今まで、そんな思いで何事も努力してきたつもり。もちろん、大きなリスクを負うことは怖いけれどね。

でも、今の世界ではリスクを恐れていたら何も得られない気がします。当たり前だった事が、当たり前に行かない時代。当たり前の給与も地位も命も平和も当たり前ではなくなっちゃいました。でも、きっと大昔から、世界の大半は「当たり前」なんてなかったはず。幸せなことに平和ぼけした日本人の僕たちがただ勘違いしていただけ。「半沢直樹」に心躍らせた僕たちは、きっとまだ「当たり前」の世界の中から抜け出せないみたい。もうバブルはとうの昔に終わったのに、戦う相手は世界ではなく社内だと勘違い。うんざりですね。安定と発展を求めるためには、変化し続けなくちゃいけない。そんなことを未だに日本の企業は実行できない。ダーウィンの進化論もたじたじです。


話は変わりますが、シリア問題も悩ましいですね。
多くの世界が自分の国益や侵略のことしか考えていない。
きっと、自由を得るために戦争なんていらないはずなのに。
きっと、資源を手に入れるために戦争なんていらないはずなのに。
きっと、平和を手にするために戦争なんていらないはずなのに。
きっと、自分の幸せを得るために他人を傷つける必要なんてないはずなのに。

全世界が軍事費のたった25%を削るだけで、9億人もの飢餓に苦しむ人たちが全員救われるのに。
もしもみんなが、いっせーのせで戦争をやめたら平和になるのに。
そんな簡単なことを、たぶん僕たち人類はきっと成し遂げられない。
とても悲しいです。


昔から、僕は友達が少ないですが、全然気にしませんよ。
だって、本当に大切な人はそうは多くありませんから。
だって、本当に大切にできる人はそう多くありませんから。

いつまで生きられる人生かわからないからこそ、数少ない大切な人を大切にしていきたいですね。目一杯の苦悩と愛情で。たとえ、肉をきらせてもね。
もう、二度目の人生はいりませんから。

それでも、人生は素晴らしい。

約2年3ヶ月ぶりにブログの更新です。時が経つのは本当に早いですね。アメリカ生活も2年4ヶ月が過ぎました。
昔、「薔薇のない花屋」というドラマを毎週のように涙しながら観ていたことを思い出しました。本当に感動的なドラマでした。僕の弱い部分をことごとく狙い撃ちしてきました。
日本には二万人以上もの名もなき戦士たちがいること。
親が子供をたたくとき。
親が子供に本当の親ではないと伝えるとき。
そして、名もなき戦士の一人が幸せのど真ん中に迎えられたとき。
もう、すべてに胸が痛くなりました。

この二年間の間もいろんな心の痛みを感じてきました。映画に感動した小さな痛みから、第一子を失いかけた大きな心の痛みまで、その心の傷は深ければ深いほど、癒えるのも時間がかかりますね。初めての彼女に振られた時なんて、8年間あきらめられませんでした(笑)。ホント、最近のことを思い出すと涙が止まらなくなります。このままあと30年生きたら、最後は毎日涙しながら夜を過ごす人生になってしまいますね。でも、そういう心の痛みを背負うたびに、少しだけ人に優しくなっているように思えるのが唯一の救いです。人の心の痛みに共感するたびに、自分も心を痛めるものです。
そんなとき、なぜかCoccoの「強く儚い者たち」を自然と口ずさんでしまいます。とても大好きな曲。単なる浮気の曲だと言う人もいますが、僕は違うと思います。人を愛することの強さを歌った曲だと。
ミスチルの桜井さんが「僕はもう恋はしなくていいんです」って宣言していたけど、それができるなら人生は素晴らしいですね。

綺麗な花が咲く野原の中で、できるかぎり素直でいたいものです。
どんなに心の痛みをともなっても、いつかは消えてなくなってしまうのならば。

お姫様。

これっぽちの僕に何を選べというの?

今日はアメリカで初のつけ麺を食べましたよ。
もちろん、お店じゃなくて妻の手料理。
どうやって作ったのか詳細は不明ですが、スパゲティの麺をベーキングパウダーでゆでたようです。スープはカツオだしらしいですが、本当においしかった。

いつもいつもこんな地でも美味しい日本食が食べれて僕は本当に幸せ。

最近はradwimpsの透明人間18号を頻繁に聞いてます。
好きな曲。

何にも染まりませんよ。
ちゃんと日本人らしく日本に帰りますから。



終わりなき日記-神に誓いを
終わりなき日記-星に願いを

ココロの余裕

最近、忙しさのあまり心に余裕がありません。
当たり前かもしれないけど、余裕がないと何もかもうまくいかないですね。
どんなに忙しくても、心に余裕は保ちたいです。きっとその余白が次に進むためのステップに必要だったり、何か思いがけないことが起きたときの処理能力に大きく関係してくるから。パソコンのメモリみたい。いつでもメモリはたっぷり確保したいです。

昨日、ついにテネシー州の運転免許試験を受けてきました。もちろん合格です。とはいっても、試験は日本と同様にknowledge testとroad testの二段階なので、とりあえずknowledge testをパスしました。一晩しか勉強していなかったので不安だったんですけど、楽勝です!でもね、それには裏話があって、実は英語ではなく日本語で試験を受けられたんです!知り合いの日本人からは「日本語で受けたいとお願いしたけど、断られた」」と聞いていたんですけど、ちゃんとアメリカでの運転免許試験は日本語で受けられます。少なくともテネシー州についてはどこのstationでも日本語版knowledge testを受けられると電話で確認しました。僕も最初日本語を希望したときには少し嫌な顔をされたんだけど(面倒だから?)、ちゃんと電話で確認したからねって押したら日本語で受けさせてくれました。たぶん、英語が上手な日本人でも日本語で受けた方がいいと思います。なぜなら、問題が驚くくらい簡単だからです!!たぶん日本語に翻訳した問題は、問題数が少なく難しい問題はつくりにくいから?なんて思いましたが、とにかく英語の練習問題よりも遥かに簡単でした。もちろん、言語の問題じゃなくてね。ただ、テストはパソコンで30問の問題をさくさくクリックしていくだけなんですけど、日本語がところどころ文字化けしていたり、端が切れていたりしたので、それを想像で解読するのが大変でしたが。結局、30問中3問間違ってしまいました。でも、その間違いの理由は、問題の端が切れていて完全に読めなかったからです!とりあえず、30問中24問正解で合格なので無事に合格です。次はroad test。早く予約しなくちゃ。

ちなみに、今回のknowledge testはstationに到着してから帰るまでに7時間もかかりました。最悪です!!前々からものすごく待たされると聞いてはいたのですが、まさか朝の8時に行って昼の3時までかかるとは思ってもいなかったです。たったknowledge test受けるだけなのに。
ここには二度と来たくない場所の一つですね。
でも、road testの時にまたこなくちゃ(涙)

ちなみにこちらは毎週末行っているcostcoです。たぶん日本でも有名な会員制のスーパー。とにかく広くてでかいです。


$終わりなき日記-costco

こちらは、先週末飲みに行ったbeale streetの横のFedex forumです。Beale streetも有名らしいけど、僕にはFedexのほうが有名。実はMemphisにはFedexの本社があるんですね。

$終わりなき日記-fedex forum


ではでは、余裕で頑張ります。
ちゃお