まもなく上映です Way Back In to Love

まもなく上映です Way Back In to Love

宣伝、勧誘、友達作りや何らかの利益を得る目的でもなく、単に自分の記憶&雑想整理の為に書いてるだけなので、どちらかと言うと寄り道がメインの、わがまま気分屋ブログである事を御承知おき下さい。。

詐欺や商売用ブログではないので、登録やクリックをあおるような事はありませんが(笑)、よくあるような、日記的なシンプルなブログでもありません。
内容的には雑学的に多岐(たき)にわたるので、それぞれの専門分野の上っ面を軽く触れる部分や、初歩的知識をわざわざ表記している部分も多々あり、その分野に精通されてる方には今更知識になりますが、不特定多数の方が閲覧可能なブログとして投稿する以上、たまたまココに訪問された方の多くが読みやすいよう、または理解されるように、あくまでも一般雑学の読み物として留まっている事をご了承下さい。

















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100万ドルとも呼ばれる夜景が美しい香港(ホンコン)は、大きく分けて、中国大陸と繋(つな)がる九龍(カウロン 英語名=カオルーン)半島、その先にある香港島、その他合わせて235の島々で構成されている。


香港島の南岸にある漁師町・香港仔(ホンコンツァイ、英語名=アバディーン)周辺地域では、その昔、香木(こうぼく)や芳香剤(ほうこうざい)などの交換(こうかん)が行われていた………そこから「良い香りのする港湾(こうわん)」を地名の由来(ゆらい)とする【香港】という名称が誕生する。

東京都の約半分の面積を持つ香港の街並みといえばネオン街や高層ビルが密集(みっしゅう)している印象があるが、実際には都市開発は制限され、都市機能が香港全体の土地面積の約12%にあたる一部地域に集中し、香港島の一部と九龍(カウロン)を中心とした限られた地域におよそ700万人が密集しており、面積の7割は自然保護区となっている。

その為、海、山、離島(りとう)などの自然は豊富(ほうふ)にある。


香港は低い税率制度を掲(かか)げ、世界中の企業を誘致(ゆうち)し、有能な人材を集めて経済的発展をしてきた。

低率なのは法人税だけでなく、個人が支払う所得税も例外ではなく、標準課税方式と累進(るいしん)課税方式の2通りがあるが、よほどの高所得でなければ、累進課税方式のほうが有利な税率になっていて、最高でも17%

消費税、相続税、贈与税(ぞうよぜい)、健康保険料の徴収(ちょうしゅう)もなく、所得税は基本的に香港での収入に対して課税される。

文化については、かつてはイギリス領だったことから西洋文化が残っており、建造物の階数表記も日本でいう1階を〈グランドフロア〉と呼び、日本での2階に当たるフロアが〈1階〉と表示されたりするが、これも建物によって様々なバリエーションがあり、統一(とういつ)はされていない。

路上(ろじょう)にタバコのポイ捨てや唾(つば)を吐(は)くなどの行為(こうい)は法律で禁止され罰則(ばっそく)があり、違反者には香港ドルで1500ドル、日本円で約2万700円ぐらいの罰金が命じられる。

香港は東京の約2~3倍ぐらいの生活費がかかると言われているが、一般的な年収はさほど東京と変わらず、住居が非常に貴重な存在となってくる。

世界最大の事業用不動産サービスと投資(とうし)企業の一つであるアメリカのCBREが2019年に発表した個人住宅市場についてのリポートによると、香港の平均住宅価格は約963万香港ドル(約1億3,800万円)で、世界一住宅の高い都市であるとされている。

また、香港の賃貸(ちんたい)物件の平均家賃は2万1800香港ドル(約31万1,000円)

日本では建物1つに対してオーナーが付いているのが通例だが、香港では1部屋ずつでオーナーが違い、同じ建物内でも部屋によって家具から家賃まで変わってくる。

生活水準については非常に貧富(ひんぷ)の差が激しく、2016年のデータでは約44倍もの格差(かくさ)があるとなっている。

ところで、5000香港ドル(約7万円)で借りられる賃貸物件といえば、居住(きょじゅう)面積10平米(10へいべい/およそ6.46帖、ワンルーム程度)、トイレ・バスは共同、エレベーター無し、というのが標準となる。

しかも、ここに住むのは単身者ではない。

部屋には2段ベッドを置き、家族3人が無理矢理に住む世帯も珍(めずら)しくなく、あまりの狭(せま)さに結婚してもそれぞれの親元に住んでいるケースすらある。夫婦共働きでも収入はそのまま家賃に消えてしまうのが実情だ。

また、トイレとシャワーとキッチンが一体化した超極小(~ごくしょう)物件というものも登場している。

アパートなどの一室を壁で仕切(しき)り、通称(つうしょう)「コフィン・キュービクル(棺<かん>おけ部屋)」と呼ばれる、複数の小部屋を作り、その小部屋一つの中にベッドや家具や電化製品が置かれる為(ため)に身動きがとれないほど狭(せま)く、トイレで水を流した際には、その水しぶきが目の前のキッチンに飛ぶという不衛生さも問題となっている。


このような超極小住宅で生活しているのは2016年時点で約21万人。香港の全人口の3%ほどにもなる。

司法制度(しほうせいど)が充実(じゅうじつ)し、金融(きんゆう)システムが発達している香港は、中国高官(~こうかん)、財界人らが大陸で築(きず)いた財産を香港の不動産に置(お)き換(か)えることで“ロンダリング=洗浄(せんじょう)”する場となり、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)と化している。

ショッピングサイトや決済(けっさい)サービスなどで世界的にも有名な中国のIT企業「アリババ(阿里巴巴集団)」。

日本の通販事業で有名な楽天の年間流通額は4兆円(2016年)ほどだが、アリババはその半分以上の額を、たった1日の販売促進(はんばいそくしん)イベントで売り上げた事でもニュースになった。

そのアリババの創業者であり会長でもあり、ソフトバンクグループの取締役にも名を連ねているジャック・マー(馬雲)をはじめ、中国本土の大手不動産グループのトップや家電メーカー創業者一族など、経済界の大物はみな香港に豪勢な別宅(べったく)を持っている。

多くの観光客が訪(おとず)れ、海水浴場も賑(にぎ)わう香港南区の高級住宅地・レパルスベイには、中国国家主席の習近平(しゅう きんぺい)も6億4000万香港ドル(約86億3,400万円)相当の物件を所有していると地元紙は報じている。

【↑レパルスベイ

中国大陸の政治家や金持ち達が香港の不動産を次々と買いあさり、不動産価格を高騰(こうとう)させ、住宅事情がますます悪化する一方、狭(せま)いスペースでアリのような暮らしを強(し)いられる生活者が増えているというのが、現在の香港の実情である。

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2020年7月、日本の厚生労働省の発表によると、香港人男性の平均寿命(~じゅみょう)は82.34歳、女性は同88.13歳となり、長寿(ちょうじゅ)世界一の座は5年連続となった。

高い医療水準や、格差はあれどある程度の生活水準の高さや、香港市民の健康に対する意識の高さなどがその要因(よういん)として挙(あ)げられ、加えて温暖(おんだん)な気候も関係しているのかも知れない………と言っても、気候については亜熱帯性(あねったいせい)気候ゆえに夏の間は湿度(しつど)が90%を超える日が続くため、部屋では一日中エアコンを稼働させねばならず、エアコンを切ってしまうとアッという間にクローゼットの衣類にカビが生(は)えてしまうという厄介(やっかい)な問題もある。

香港市民の喫煙率(きつえんりつ)は世界的にみても低く、日本のおよそ半分の10.5%で、建物内は勿論(もちろん)、全面禁煙になる。たばこの値段が一箱1000円程度するため、たばこをやめた香港人は多い。

生活や健康についてはいつも意識しており、冷たい飲み物を飲まずに温かいお茶やスープを飲んだり、漢方入りのスープを自家製で作ったりと、体に良いことが風習として残っている。

また、高齢者については映画やコンサートなどのイベントも半額程度に割引がされ、一部の交通機関も同様に半額になる制度がある。このため、公園での太極拳(たいきょくけん)というお馴染(なじ)みの光景も含め、香港の高齢者の外出の頻度(ひんど)が高い事が元気の要因の一つだとされている。

地下鉄やバスの中では、高齢者に席を譲(ゆず)る光景が珍(めずら)しくなく、乗り降りでもサッと手を差し伸べる習慣が多くの香港人に身に付いている。

世界一の長寿(ちょうじゅ)の国を目指(めざ)してきた香港は医療レベルも非常に高水準だと言われ、医者の数が少ない分、医療従事者個々の臨床(りんしょう=実際に病人を診察・治療する事)経験の豊富(ほうふ)さ=つまりは現場経験の豊富さが際立(きわだ)っている。しかし日本のような国民保険がないため、ほとんどの人が公立(香港政府経営)の病院を利用している。

公立では香港IDがあれば診察費が安く抑(おさ)えられて初診は1700円、一般的な内診は700円、緊急の処置も2500円ぐらいで、出産費用はなんと7000円ほど。

香港IDは香港での滞在日数が180日を超える在住者が取得を義務付けられており、公立病院の利用以外に、携帯電話の契約や銀行口座開設にも必要となる。

公立の他に国立病院やクリニックを敢(あ)えて選ぶ人もいる。

そのメリットは院内が非常に綺麗(きれい)で、予約も取れて待ち時間が非常に短く「サービス」が行き届(とど)いており、様々な言語での対応も可能で、旅行で訪(おとず)れた時の体調不良はこの2つの病院が安心できるのだそうだ。

ただ、デメリットは何といっても診察費の高さ。

診察費が約11000~15000円、薬代約4000~5600円、検査費用に至っては約42000~15万円ほど。例えばレントゲンを撮(と)るだけで98000円ぐらいかかる驚きの値段設定だ。

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香港の高齢者介護の主流は老人ホーム(護老院)と、在宅ではメイド(主に外国籍)による身の回りの支援が中心となる。

メイドは住み込みで月に3~4万円程度で雇(やと)うことが出来る。が、介護や医療の専門家ではないので、世話をするのにも限界がある。

自宅以外の老人ホームや病院といった施設に入居する高齢者は8.1%にとどまる。ただし、入所待機(~たいき)組は3万8千人にのぼると言われている。

現在、香港の老人ホームのベッド数は、約7万床強といわれており、そのうち、1万床強が政府より何らかの保障を受けている老人ホーム、残りの6万床強が全額自費サービスの老人ホームであり、その多くは低価格ではあるけれど劣悪(れつあく)な環境の施設(しせつ)となる。

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香港を代表する映画監督の一人にアン・ホイ(許 鞍華、Ann Hui)という人物がいる。

2008年、第19回福岡アジア文化賞大賞を女性で初めて受賞し、2009年の第22回東京国際映画祭では「アン・ホイNow & Then」として特集上映もされた。

アン・ホイは、アジアの女性監督のパイオニアとしての功績(こうせき)も大きく、国際的にも高い評価を受けている。


社会派からホラー、コメディー、歴史叙事詩(~じょじし)からラブストーリー、ホームドラマ等々、何でもござれとジャンルを横断(おうだん)する器用(きよう)さもさることながら、時事的な話題は勿論(もちろん)、高齢者の孤独(こどく)、認知症、ジェンダーまで、常(つね)に“今起きている事”を強く意識した題材も多く、特に境界(きょうかい)、彷徨(ほうこう)、故郷の喪失(そうしつ)といった、香港人にとっても身に迫(せま)る切実(せつじつ)なテーマが、多くの作品のなかで重要な位置を占(し)めている。


本人曰(いわ)く、映画で何かを主張したり、問題提起(~ていき)を行(おこな)うことは不得意だそうで、【人間性の追究(ついきゅう)】こそ自分らしさが出せる分野だという。


彼女が10代の頃、母が日本人(大分県出身)であることを知り、中国における当時の反日教育の影響もあって様々な葛藤(かっとう)もあり、母に反感を抱(いだ)いていた時期もあった。


日本人である母との仲は子供のころから上手(うま)くいかず、彼女は父方の祖父母(そふぼ)にばかり懐(なつ)いていたという。


1990年制作のアン・ホイ監督による香港・台湾合作映画『客途秋恨(きゃくとしゅうこん)』は、そんな監督自身の自伝的映画で、確執(かくしつ)と理解と和解(わかい)のドラマであり、異文化理解の困難(こんなん)さについて非常に深い洞察力(どうさつりょく)を持って描(えが)かれている作品である。


●●●………映画『客途秋恨(きゃくとしゅうこん)』………終戦直後に中国人と結婚して大陸に残った日本人の母(ル・シャオファン)と、母の孤独を理解できずに衝突(しょうとつ)ばかりしてきた娘(マギー・チャン)。


そのため母が、住んでいたマカオから、父のいる香港に移る時も娘は祖父母の元にとどまり、祖父母が大陸に移住を決めたことから15歳で母親と再び同居する事となるが、母親の置かれている状況が相変(あいか)わらず理解できず、母に対する反発をますます強めてゆくだけだった。


娘達の結婚や留学が重(かさ)なり、家族の状況にも大きな変化が訪(おとず)れた時、突如(とつじょ)、望郷(ぼうきょう)の念(ねん)にかられた母は故郷である日本の九州に行こうと思い立つ。


気乗りのしない娘だったが、家で1人泣く母の姿を見て、母の故郷・日本へと同行することを決める。


娘は言葉の通じない日本に来て、カタコト程度でほどんど言葉が通じない状態で、日本人であるがゆえの周囲(しゅうい)からの辛(つら)い仕打(しう)ちや、マカオで舅姑(キュウコ=しゅうと&しゅうとめ)の冷ややかな視線に耐(た)えてきた母親の心情を少しずつ理解し始める。


さらに、母とともに満州(まんしゅう)で暮らしていた母の実兄(加地健太郎)を通して、母親が満州でどのような苦労を経験し、そして父親と出会ったのかを知ると共に、特攻隊(とっこうたい)志願(しがん)の経験を持つ母の実弟から、中国人と結婚した母が、日本に対する裏切り者として、どんなに冷たい視線や罵声(ばせい)を浴(あ)びせられてきたかを知る。


娘は、日本にも香港にも居場所がなくなってしまった母親の状況を理解することで、初めて母と和解する気持ちになるのだった…………●●●



【↑映画『客途秋恨(きゃくとしゅうこん/日本公開1991年・100分)』


劇中、中国人の父が「お母さんを責(せ)めるな。お母さんを孤独(こどく)にしたのは私の責任なんだ!」 と娘を叱(しか)る場面が何とも切ない。と同時に、《相互尊重(そうごそんちょう)》は相互理解無くしてあり得ないという普遍的(ふへんてき)なテーマが浮かび上がってくる。


アン・ホイ監督が73歳になった2020年………9月開催の第77回ベネチア国際映画祭において、彼女は金獅子生涯功労賞を受賞。

同映画祭はアン・ホイ監督を「アジアで最も優れた女性監督の1人」と評している。


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「今回は何日?」

「二日。」

「………ね、牛タン食べたい。牛タン作って。」

「また手術したいの?アァ?このまま食べずに我慢(がまん)なさい。今日はカニ、出したでしょ?牛タンはダメ、絶対。」

「………煮込みがいい。」

働き盛(ざか)りの息子と母との何気(なにげ)ない会話………のように見えるが、実際は60年間、同じ家族に仕(つか)えてきた家政婦と雇(やと)い主(ぬし)の息子との会話である。

〇〇〇………中国・広東省(かんとんしょう)生まれの桃(タオ)さん(ディニー・イップ)は、幼い頃に養子に出され、その育ての親も戦争で亡くし、身寄(みよ)りのないその後は13歳から60年もの間、梁(リャン)家の使用人として4世代の家族の世話をしてきた。

その梁(リャン)家の家族がアメリカに移住した現在は、生まれたときからタオさんが面倒を見てきたロジャー(アンディ・ラウ)だけが香港に残り、彼の身の回りの世話をするタオさんとの二人暮らし。

ロジャーは映画プロデューサーとして中国本土と香港を往復する多忙(たぼう)な日々を送っていた………〇〇〇

【↑『桃(タオ)さんのしあわせ(アン・ホイ監督 アンディ・ラウ,ディニー・イップ主演/2011香港・中国製作/119分)』】

日本では2012年の秋に公開されたアン・ホイ監督作品桃(タオ)さんのしあわせ』は、人生の終盤を迎(むか)えた老家政婦と、息子のような雇(やと)い主(ぬし)とが織(お)り成(な)す親子以上の情感を、しみじみと人情味豊かに《相互尊重(そうごそんちょう)》を描(えが)いた珠玉(しゅぎょく)の作品である。


〇〇〇…………中年独身男のロジャーの為に、ご飯は炊飯器ではなくわざわざ土鍋で炊き、市場で新鮮な食材を吟味(ぎんみ)し、蒸(む)した魚や煮込みスープ、一日おきに魚の胆(きも)、そして鮑(アワビ)か海鼠(ナマコ)等々の他、ロジャーの好みと栄養バランスを考え、野菜を多く使った料理を彼一人のために作り、体調を気づかって漢方スープやお茶を作ったり、洗濯や掃除をしたりするタオさんの姿は、家政婦ではあるのだけれど、どこにでもいる息子思いの母親像にみえて仕方がない。


ロジャーもそうしてくれることが当たり前な感じで、特に感謝や労(ねぎら)いの言葉もなく、何て事はない普通の母と無口な息子との生活のような、淡々(たんたん)とした静かな幕開けで映画は始まる。


タオさんを演じるディニー・イップは元々歌手としても演技派女優としても評価を得(え)てきた人で、11年ぶりの映画出演となる本作では、過去にキャサリン・ヘップバーン、ベティ・デイビス、ヴィヴィアン・リー、イングリッド・バーグマン、シャーリー・マクレーン、カトリーヌ・ドヌーブ、ジュリエット・ビノシュ、ケイト・ブランシェット等々の、そうそうたる大女優達が受賞してきた第68回ベネチア映画祭女優賞(ヴォルピ杯)を獲得の他、世界中で高い評価を受けるなど、本当に素晴らしい仕事をしている。

映画を観ている間、彼女が演技をしているという事も忘れ、全く違和感(いわかん)なく受け止められる事に感心する。やはりプロだ。

特に目の演技が豊(ゆた)かで卓越(たくえつ)しており、内面の感情表現は勿論、タオさん自身のこれまでの歴史や運命や未来をも彼女の目からは伺(うかが)えるようだ。

ユーモアも気の強さも茶目っ気も寂(さび)しさも不安も抱(かか)え、そして本当の息子のようにロジャーを想うタオさんの姿は、観る者の心の中で深く静かに感動の襞(ひだ)を起こしてゆく。

ロジャーを演じたアンディ・ラウは、『ゴッドギャンブラー(1989)』『インファナルアフェア(2002)』『墨攻~ぼっこう~(2007)』等々で海外にも多くのファンを持つアジアの大スターだが、本作の共同製作者R・リー自身の実体験をもとにした映画化の企画に賛同し、ノーギャラ出演と共同製作総指揮に名乗りをあげている。


そのアンディが演じる劇中でのロジャーの職業は映画プロデューサーで、香港と中国を行き来しながらバリバリに働いているのだが、普段から着るものに無頓着(むとんちゃく)なキャラのようで、作業着のようなものを平気で着用している。その身なりのおかげで勘違(かんちが)いした高飛車(たかびしゃ)な他人に見下(みくだ)されたような対応をされてしまう印象強い場面があり、格差による蔑(さげす)みが社会に蔓延(まんえん)している事を映画はさりげなく提示(ていじ)しているのが興味深い。

映画の日本版予告編では、「タオさんに訪(おとず)れた、人生の仕舞(しま)い支度(じたく)の季節。」という美しいナレーションが流れ、主人公であるタオさんの死を予感させる内容を予(あらかじ)め暗示している。

実際に本編を観ると、昨今(さっこん)の日本映画のように、もっとクドクドと泣かせる映画にしようと思えばいくらでもそのような演出はできたはずなのに、ソコは敢(あ)えて排除(はいじょ)し、人生の終わりを迎(むか)えようとする老婦人・タオさんの、やっばり幸せだったなと思える日々を穏(おだ)やかに綴(つづ)ってゆく作りにはとても好感が持て、作品に対する、或(ある)いは人の一生に対する作り手の真摯(しんし)な想いが伝わってくる。


〇〇〇………タオさんはある日、脳卒中(のうそっちゅう)で倒れてしまう。

手足が麻痺(まひ)する後遺症が残ると言われたタオさんは、仕事を辞(や)めて老人ホームに入るとロジャーに告(つ)げる。

タオさんに世話をやいてもらうのが当たり前だったロジャーは、彼女がかけがえのない存在だった事に改(あらた)めて気づき、老人ホームの入居費用も含め、タオさんの面倒をみる事を決意する………〇〇〇


脳卒中とは、【脳梗塞(のうこうそく=脳の血管が詰まる、細くなる)】、【脳出血(=脳内の動脈が破<やぶ>れて出血する)】、【クモ膜下(まくか)出血(=脳表面の大きな血管にできた動脈瘤<どうみゃくりゅう>というコブが破れて、脳の表面を覆<おお>っているクモ膜の下に出血する)】などに代表される、脳の血管が破れたり詰(つ)まったりする病気の一般的な総称で、正式な医学用語では脳血管障害

脳卒中発作(~ほっさ)は《突然、意識を失って倒れる病気》とは限らない。そうしたひどい症状で発症するのは一部に過ぎない。

脳梗塞(のうこうそく)では、手足が痺(しび)れて動かなくなったり、物が二重に見えたり、上手(うま)く喋(しゃべ)れないなどの症状があらわれるが、脳出血クモ膜下(まくか)出血では、突発する頭痛や嘔吐(おうと)、意識がなくなる、手足が麻痺(まひ)するといった症状が突然あらわれる。

近親者に脳卒中の経験がある人がいる場合は、そうでない人より脳卒中を起こす確率が高いとも言われ、高齢者や家族歴のある人は、特に予防を心がけ、また、前ぶれ症状(←ネット検索<けんさく>すればスグに分かる)には日頃から注意した方が良い。


〇〇〇………小さな面積に人口が密集する香港。

タオさんが入所する老人ホームも、狭い建物に高齢者がすし詰(づ)めにされている状態で、決して快適(かいてき)な場所とは言えず、いつも雑然(ざつぜん)としている。

映画では数人の役者を除(のぞ)いて本物の老人ホーム入居者が沢山(たくさん)画面に映(うつ)っており、落ち着きがなくいつもウロウロしてる者、夜中に家に帰ると騒ぐ者、口から食べ物をポロポロ落として満足に食事が出来ない者、虚(うつ)ろな目をしている者など、このまま死を待つだけの姿をカメラは感情を押し殺して撮り続ける。

これまで完璧と言えるほどの丁寧(ていねい)な仕事で気丈(きじょう)に働いてきたタオさんにとっては相当にギャップのある環境だが、それでも彼女は、時々同じ入居者の世話をやきながらホームでの生活を続ける。

入居者の中には色んな者がいて、やたらに金の無心(むしん)をしてくる陽気(ようき)な爺(じい)さんもいる。タオさんも財布に金があれば貸(か)してやる。

金を貸しても女遊びに使われる事を知ったロジャーは爺さんを咎(とが)めるが、タオさんはそれでも金を貸してやる。

「好きな事が出来るうちが花なのよ。」

そんなタオさんにも不安や寂(さび)しさや、やるせなさが襲いもする。

麻痺(まひ)の残る手を膝(ひざ)におき、一人、椅子に座るタオさんの静かなる姿は、言葉にならぬ言葉が画面を覆(おお)い尽(つ)くすかのようだ。


ロジャーが多忙(たぼう)の合間(あいま)を縫(ぬ)って献身的(けんしんてき)にホームに訪(たず)ねてくる時には、職員から「彼氏が来たわよ。」とからかわれる程(ほど)に、まるで少女のような輝いた表情になるのが微笑ましく、我々が知らないタオさんの生きてきた歳月に鮮(あざ)やかな色彩が施(ほどこ)されたような印象を与える。

ホームの入居者から「息子さん?」と聞かれて「はい。」と答えるロジャーの言葉に嬉しそうに顔を綻(ほころ)ばせるタオさん。

ロジャーと外出するため入念(にゅうねん)に身支度(みじたく)をしながら、何度も鏡をのぞき込(こ)むタオさん。

仕事に対応するロジャーの姿を頼(たの)もしそうに見つめるタオさん。

それらの表情がすべて、人のために真面目(まじめ)に生きてきたタオさんへの“しあわせの贈り物”のような気がする。


………映画の中で、ロジャーの母がタオさんの老後の為に、所有している賃貸(ちんたい)物件に住まわせてはどうかと提案(ていあん)する場面がある。家族の全(すべ)てが長い間尽(つ)くしてきてくれたタオさんに感謝をしており、出来るだけの事はしたいと思っているのだ。

その物件は住人が長い間居座(いすわ)って母も困(こま)っており、ロジャーは知人に頼(たの)んでコワモテの男たちに『三日以内に出ていけ!』と住人を脅(おど)してもらう。

結局、タオさんはこの部屋に住む事はなかったが、こういうさりげないシーンでも、香港の厳しい住宅事情が伺(うかが)える。

………やがて、二度の脳卒中に肺気腫(はいきしゅ)が重なり、日に日に体が弱っていくタオさんにも、人生の幕が降りる時が近づいてきた。

これから中国出張の為に、留守中にタオさんは息を引き取るかも知れない事を覚悟(かくご)するロジャー。

彼は細くなったタオさんの足に触(ふ)れ、履(は)いている靴下を整(ととの)えてやる。それが、タオさんとの今生(こんじょう)の別れとなった………


他の兄姉達にくらべ、タオさんはロジャーには幼い頃から特別に甘かった。

子供の頃の彼だけにはソーダ水をコッソリと飲ませてやったり、好きな映画雑誌も与えていた。

そんなチョッとした思い出話や、タオさんが拵(こしら)えてきた料理の数々、タオさんがいまだに大切に保存している初めての彼女の給料、ロジャーをおぶった時の紐(ひも)……そういう何気ない会話で二人が過ごしてきた大切な時間(とき)をジンワリと伝える演出が上手(うま)い。


タオさんにとってのしあわせとは、生きてきた時間に光を与えること。

その光を与えたのが他ならぬロジャーであった事が、この映画そのものを幸福にさせている。それもこれも人生を真摯(しんし)に生きてきたタオさん自身がもたらしたものだ。

「タオさんがいてくれて、僕たち家族は幸せでした。」

ロジャーが挨拶(あいさつ)をするタオさんの葬儀の場………老人ホームでやたらに金を無心していたあの爺さんも、白い花束をタオさんの棺(ひつぎ)に手向(たむ)け、深々と頭を下げていた。

そしてまた、ロジャーの日常は続く。

生まれてからずっと、留学の期間以外は、タオさんはロジャーのそばにいつもいた。

帰宅するロジャーの姿を窓から確認するいつものタオさんは、もういない。

玄関に近づいてくるロジャーの足音をドア越しに耳をすまして確認するいつものタオさんは………もういない。

誰もいない暗い部屋にロジャーが帰宅(きたく)して、映画は終わる………。

この映画の英語タイトル『simple life(シンプル・ライフ)』は、《簡素(かんそ)な生活》と訳(やく)せる。

簡素な生活とは
一切(いっさい)の無駄(むだ)を省(はぶ)き、本当に必要なものだけで生活をすること。

本当に必要なものだけを
選んで大切に生きる………

生きる上で、本当に必要なものとは何か?

映画はそれに対して一つの答えを提示(ていじ)していると思う。


【追記】………………映画の中でタオさんがリハビリを受けるシーンがあるが、そこで脳梗塞で倒れた私の亡き母のリハビリの様子を思い出し、目頭が熱くなった。

不自由な体で何が出来るわけでもなく、時間をもて余(あま)すだけで、ただ病院の食堂のテーブルの前で一人、車椅子に座って黙ってうつ向いていた母の後ろ姿が、今も目に焼きついている………。

母も父も亡くした今、私自身も病を患(わずら)い、どんな死に方をしたいかを考える時、どう生きるかが見えてくるような気がしている。

宗教やスピリチュアルや占いや、何とかコーチング等々は気休めにはなるかも知れないが、役には立たない。

己の道は己の光で照らすしかない。
1990年代初頭(しょとう)、バブル景気のピーク時にブームとなったイタリア料理。そこで最大のヒットとなったのが〈チーズをベースとしたクリーム〉と〈コーヒーリキュールを使用したスポンジケーキ〉に〈ココアパウダー〉の3つの要素を層状(そうじょう)に重(かさ)ねたスイーツ「ティラミス」。


もともと高級イタリア料理店で普通に作られていたデザートだが、海外旅行へ行き、ブランド物も買うけれど、貯蓄(ちょちく)や投資(とうし)もし、東京近郊(~きんこう)の大学を出て一流会社に勤(つと)めて3~5年以上、今すぐ会社を辞(や)めても当面は生活できる資金があるという、当時の首都圏(しゅとけん)の結婚平均年齢のキラキラ27歳を中心とした女性を対象読者とした情報カルチャー・キラキラ雑誌「Hanako(マガジンハウス)」の特集が日本中に流行を加速(かそく)させた。

ティラミスの流行は、イタリア料理店だけでなく、洋菓子店や喫茶店にも波及(はきゅう)し、ファミレスやコンビニスイーツにも広がった。

近年では卵や乳製品のアレルギー対策やダイエット対策で、豆腐(とうふ)クリームを使ったアレンジティラミスなども誕生している。

ティラミスという名前の語源は勿論(もちろん)、イタリア語。
イタリア語の〈Tiramisu〉は、直訳(ちょくやく)すると「私を引っ張(ぱ)り上げて」。

お菓子が気分を引っ張り上げる=元気づけてくれるお菓子、というのが直接の意味合いだ。

★★★★★★★★★★★★★★★

様々な記録やニュースに流れる北朝鮮の映像は、当局の監視下におかれ検閲(けんえつ)もされ、内容はヤラセ演出だらけだというのは誰でも想像はつくだろう。


映画『太陽の下で~真実の北朝鮮~(2015露・独・チェコ・北朝鮮)』は、ロシアのドキュメンタリー映画監督ヴィタリー・マンスキーと北朝鮮当局の共同制作で1年の期間をかけて、当時8歳の少女リ・ジンミが「朝鮮少年団」に入団し、故・金日成(キム・イルソン)主席の誕生日である太陽節を祝う行事を準備する過程(かてい)を記録する作品として撮影が始まった。

しかし、一方的な監視&演出を押し付ける北朝鮮側の政治的意図(~いと)に違和感(いわかん)を抱(いだ)いた監督は途中で制作方針を変更し、撮影前後に密(ひそ)かにカメラの録画スイッチを入れたまま放置(ほうち)し、北朝鮮当局が見せたくないであろう【演出している様子】を捉(とら)えた映画に作り変え、撮影済(ず)みフィルムを北朝鮮国外に持ち出したのである。

そういうわけで本作においては、珍(めずら)しい北側の演出の様子が画面に映(うつ)り、それはそれで奇妙な新鮮さがあるが、大体、予想通りの内容ではある。

役者でもない素人(しろうと)達が何度も何度も同じセリフを言わされ、少しずつ修正が加えられ、拍手のタイミングや顔の向く方向さえも細かく指示される。
ジンミの両親に至(いた)っては職業さえも映画用に変更され、それぞれが馴染(なじ)みのない職場でぎこちない演技をやらされている。

が、見どころはそこではない。

映画では少女ジンミが少年団に入る様子(ようす)が描かれるが、決められたレールの上を生きていくしかなく、他に考える選択肢(せんたくし)もないから疑問を持つという事もなく、それを可哀想(かわいそう)だと異文化(いぶんか)の我々の生活思考感覚で捉(とら)えようとしても捉えきれるものではない。

素(す)の状態のジンミの表情はお馴染(なじ)みの北朝鮮特有の歓喜の笑顔でもなく、かといって哀しみでもなく、ただひたすら遠くを見つめる〈〉だ。

記録映像にはふさわしくないであろう泣きべそをかくジンミから、北側の監視員兼演出者である大人は何とか映画用の笑顔を引き出そうとする。

「何か好きな事を考えてごらん?」
「楽しい事を思い浮かべてごらん?」

が、少女にはそれすらも分からない。


時間が経過(けいか)し、やがて少女の口から出たものは【偉大なる大元帥(だいげんすい)様を称(たた)える詩】だった。それが彼女が暗唱できるくらいに徹底的に覚(おぼ)えさせられた詩だった………そして、詩を口ずさむ少女の表情がやはり〈〉である事に、何ともやりきれぬ思いに駆(か)り立てられるのである。

★★★★★★★★★★★★★★★

………1929年の世界大恐慌(だいきょうこう)直後の真冬のニューヨーク。
街は仕事も住む場所もない人で溢(あふ)れ、誰もが希望を失っていた。
そんな中、ニューヨーク市立孤児院(こじいん)に住む11歳の赤毛の女の子、アニーはどんな時も夢と希望を忘れない。

10年前に孤児院の前に捨てられていたアニーは、いつか本当の両親が迎えに来てくれると信じている。

一方、自分のイメージアップの為にクリスマス休暇を一緒に過ごす孤児を探していた大富豪オリバー・ウォーバックスの為に、秘書(ひしょ)のグレースは孤児院で出会って気に入ったアニーをウォーバックスの自宅に連れて行き、休暇(きゅうか)を過ごさせる。

前向きなアニーに魅(ひ)かれたウォーバックスは、アニーを気に入り、養女(ようじょ)にしたいと考える。

「自分の両親がまだ生きている」と信じるアニーの気持ちに心打たれたウォーバックスは、5万ドルの報奨金(ほうしょうきん)で親を探(さが)す。

するとお金を目当てに大勢の人々が自分こそアニーの親だと名乗りをあげ、これに目を付けた孤児院の院長のハニガンとその弟のルースターらも、この金をだまし取ろうと画策(かくさく)する。

ウォーバックスと一緒にホワイトハウスを訪(おとず)れたアニーは閣僚(かくりょう)たちを目の前にして希望を失わないことを説(と)き、大統領のフランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を発案。

ルースターがウォーバックス宅にて変装してアニーの親であると告白したが、FBIの捜査によってアニーの両親は既(すで)に死亡していたことが分かり、ハニガンらの企(たくら)みは失敗。アニーはウォーバックスの養女となる………


誰もが知っているミュージカル『アニー』は1924年、新聞『ニューヨーク・デイリー・ニュース』で連載されたマンガ『小さな孤児アニー(ザ・リトル・オーファン・アニー)』が原作。

アニーは孤児ではあるが前向きな少女。このマンガの連載が始まった頃のアメリカは好景気、いわゆる”バブル”な状態だった。それが1929年の大恐慌で一変する。当時の大統領は共和党のフーヴァーで無策を繰(く)り返していたが、1932年に民主党のルーズベルトが大統領に当選する。そしてあの有名なニューディール政策を進める。


【↑↑フランクリン・D・ルーズベルト】

1932年11月の大統領選挙に向けて、民主党候補に指名されたフランクリン・D・ルーズベルトは、指名受諾(~じゅだく)演説で「ニューディール(新規まき直し)」という言葉を使った。が、この表現を特に強調したわけでもなければ、この表現に何らかの含(ふく)みを持たせる明確な意図(いと)も彼にはなかったと思われる。

共和党の大統領ハーバート・フーヴァーは、1929年10月のウォール街大暴落と世界恐慌の直前までアメリカが好景気を享受(きょうじゅ)していたのは自分の手柄(てがら)だとイチ早く主張し、逆に不況(ふきょう)になってからの責任の矛先(ほこさき)を自分以外のあらゆるもの、あらゆる人に責任転嫁(せきにんてんか)しようと必死だった。

そのような人物が、景気回復の舵取(かじと)り役に適任だという印象を国民に与えるわけがなく、「新規まき直し」という何だか分からないけれど新しそうな御題目(おだいもく)を唱(とな)えるルーズベルトの圧勝は決定的だった。

選挙戦でルーズベルトは、大統領に選ばれたら何をするつもりか具体的(ぐたいてき)に明言しないばかりか、矛盾(むじゅん)する声明(せいめい)を出すことさえあった。あるときは公共支出の削減(さくげん)を約束したかと思えば、その次には、雇用(こよう)を増やすための大規模(だいきぼ)プログラムへの資金提供を約束する、といった具合(ぐあい)である。

彼は大統領就任(~しゅうにん)演説でも多くを述(の)べず、ただ世界恐慌を招(まね)いた銀行家や資本家の無責任と腐敗(ふはい)を非難し、あの有名な言葉「われわれが恐れるべきものはただ1つ、恐れそのものだ」をひたすら強調するだけだった………まるでどこかの国のワンフレーズ元首相のようである。

今日(こんにち)ではニューディール政策が民間企業の働きを抑制(よくせい)し、大恐慌(だいきょうこう)からの回復を遅(おく)らせたという歴史的評価は一般化している。
恐慌を本当に終わらせたのは第二次世界大戦による戦争需要(~じゅよう)だったという見方は多い。

キリスト教、利権、プロパガンダ、共産主義………当時の日本の知らないところで世界はつながっている。日米だけを見ていては戦争や経済を理解できるはずがない。

日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案(わへいていあん)を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下………瀕死(ひんし)の日本に、ルーズベルト政権はどうしてそこまでする必要があったのか……………?

ところでルーズベルトに敗(やぶ)れた側の第31代米国大統領ハーバート・C・フーヴァーには「無能」というレッテルが貼(は)られてしまっている。


【↑↑ハーバート・C・フーヴァー】

世界恐慌に対して有効な経済政策を打たなかったからで、「無能なフーヴァー、有能なルーズベルト」という固定化された評価がまかり通ってきた。しかし、このフーヴァーと日本との縁は深い。

太平洋戦争終結の翌年、1946(昭和21)年5月、フーヴァー元大統領を団長とする「アメリカ食糧使節団」が来日。

フーヴァーは、トルーマン大統領の特命を受けて、飢饉(ききん)緊急委員長として東南アジアを巡(めぐ)り日本を訪(おとず)れた。

フーヴァーは第一次世界大戦によって敗れたドイツの戦後処理をした経験があり、ドイツで学校給食を開始し普及(ふきゅう)を図(はか)ってきた実績(じっせき)がある。

荒れ果てた日本を視察したフーヴァーは、日本への食料支援をしなければならないと判断。

「日本の秩序(ちつじょ)破壊や悪疫(あくえき)流行を避(さ)けるためであり、日本の食糧不足は日本の再建の妨(さまた)げとなる」

フーヴァーは、トルーマン政権に日本は最低でも870,000トンの食糧を輸入しなければならないと勧告(かんこく)し、これにより日本国民の飢(う)えを満たすばかりか、日本再建への希望の光が差し込んだ。

そのフーヴァーが第二次世界大戦の過程(かてい)を詳細(しょうさい)に検証した回顧録(かいころく)がある。
長い間、公(おおやけ)にされなかったが、2011年に米国フーヴァー研究所から刊行され話題を呼んだ。

「私(フーヴァー)は、日本との戦いは狂人(ルーズベルト)が望んだものだと言うと、彼(マッカーサー)はそれに同意した。」

「日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている………原爆使用を正当化しようとする試(こころ)みは何度もなされた。しかし、アメリカの軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述(の)べている。」

漫画「アニー」をもとにして1930年にはラジオドラマが始まり、1932年にはトーキー映画『Little Orphan Annie(小さな孤児アニー)』が公開されており、アニーはこの時代の人気キャラクターだった事は間違いない。

どんなに辛(つら)くても夢と希望を持ち続けるひたむきな姿が共感を呼ぶのはいつの時代でも同じだろうが、作者の意図(いと)はともかく、穿(うが)った見方をすれば、アニーは結果的にルーズベルト政権の見事なアシスト的役割の一端(いったん)を担(にな)っているような気がしなくもない。

連載自体は作者のグレイが1924年から死去するまでおよそ45年間休むことなく描(えが)き続け、亡くなってからは5人の作家が連載を引き継いだ。

70年代初頭に作詞家マーティン・チャーニンがこの作品に注目し、ミュージカル化を決意。
1977年にブロードウェイで初演されると大ヒットを記録、およそ6年間のロングラン、そして、アメリカの演劇界で最も権威(けんい)ある賞と見なされているトニー賞では作品賞を始め7部門を独占している。

ミュージカル版『アニー』の設定は1933年で、時代背景は大恐慌の後とし、巨万の富(とみ)を築(きず)いたウォーバックス氏は大統領やFBI等と電話でつながっているというVIP設定で、劇中でもニューディール政策が話題になり、お馴染(なじ)みの♪Tomorrow(トゥモロー)♪を歌う。ここは史実(しじつ)と虚構(きょこう)が上手く混(ま)ざり合っているが、少々むず痒(がゆ)さも覚(おぼ)えてしまうのが正直なところだ。

当時のアメリカの世相(せそう)や世界情勢などを知っていると面白さは倍増するだろう。

またウォーバックスという名前だが、綴(つづ)りは”Warbucks”。
”War”は戦争、”Bucks”は牡鹿(おじか)とか雄々(おお)しいなどという意味があるが、別の意味合いもあり、俗語(ぞくご)で”doller”=つまり”ドル”。第一次大戦で大儲けしたという推測(すいそく)も成り立つ。

よく知られている映画版はジョン・ヒューストン監督、アイリーン・クイン、アルバート・フィニー出演の1982年製作のもの。そして1995年には続編となる『アニー2』が製作され、1999年にはディズニーによってテレビ映画としてリメイクされている。

日本でもミュージカル『アニー』はよく知られている作品で、日本初演は1978年、日生劇場で幕を開けた。


主演のアニー役は子役が演じるのが今では当たり前のようになっているが、初演は宝塚歌劇団の〈愛田まち〉という人が演じた。身長がかなり低かったということでのキャスティングだったらしい。

そして大富豪ウォーバックスを演じたのはなんと若山富三郎親分だ。

現在は衆議院議員である山尾志桜里や、アントニオ猪木の娘も2代目アニーをダブルキャスト、つまり交代(こうたい)で演じていた事がある。

ーーーーーーーーーー――――ーー

アニー・ベネット………
26分署前に放置。
発見時の年齢、推定4歳。
里親制度へ。
………以後、データ無し。

2014年………設定も大胆(だいたん)に改変し、ストーリーにも修正が加(くわ)えられ、アップデートされた新生『アニー』がスクリーンに帰ってきた。

時代設定は1933年のニューヨークから現代に変更され、大富豪ウォーバックスはスタックスと名前を変えている。


(2014年米コロンビア映画/監督ウィル・グラック/118分)

かつて大いに感動させられ、魅了(みりょう)もされた映画「ハッシュパピー~バスタブ島の少女(2012米)←〈前回のブログで紹介ずみ〉」の主演で、当時6歳で史上最年少のアカデミー主演女優賞にノミネートを果(は)たした少女、クヮヴェンジャネ・ウォレスがアニーを演じるという事で観る気になった。おそらく、他の子役だと上手(うま)くてもスルーしたに違いない。元々そんなにアニーの熱心なファンでもないからだ。

それほどに「ハッシュパピー」における彼女の野性味(やせいみ)溢(あふ)れる演技と存在感には圧倒(あっとう)されたのである。

アメリカでは白人の赤毛の女の子というイメージが定着しているアニーを黒人の女の子が演じるという事で相当の物議(ぶつぎ)を醸(かも)したようで、ネット上ではかなりの論争が巻き起こっていたらしい。
2014年版アニーは、公開前からかなりのアンチが存在していた。

そして新作でのアニーは孤児ではなく、あくまでも里子(さとご)だという呼び方にこだわっている。

………映画の冒頭、クラスの発表会で過去のアニーを彷彿(ほうふつ)とさせる赤毛の白人の女の子アニー(A)が優等生の演説をし、優等生のミュージカル風ダンスで締(し)めると、シラケた拍手がパラパラ。

続いて本作の主役であるアニー(B)がクラスメートを巻き込んで、各々の体を使ってリズムとビート感溢(あふ)れる人間の本能に即(そく)した説得力のある発表をする。「これが既存のイメージをひっくり返した僕らのアニーだ!」という、映画の作り手達の声が聞こえてきそうな幕開けである。

後にアニーと縁を持つ事になる大富豪スタックス(ジェイミー・フォックス)は世界一のスマホ会社の社長。次回の市長選を狙(ねら)ってて(……ちなみに対立候補の応援はマイケル・J・フォックス!)、人と触れるのが大嫌いで、その潔癖症(けっぺきしょう)具合(ぐあい)が面白すぎる男。

貧乏と貧乏人と貧乏人の食事が大嫌いで、この街には俺が必要だと豪語(ごうご)し、秘書のグレース(オーストラリア出身の美人女優、ローズ・バーン)からはバットマン気取りと皮肉タップリに揶揄(やゆ)される………それがスタックスという男。

彼が自分の運転手に
「もし私に雇(やと)われてなかったら私に投票するか?」と聞くと、
「いいえ。」
「正直にありがとう、クビだ。」
………それがスタックスという男。

広すぎるくらいの部屋に住み、召し使いも雇わず、そこで一人でいるのが好きで、親しい人間は片手の数だけで十分と言いながら、アニーからは「(数えられる指を挙<あ>げず)拳(こぶし)を作ってるわよ。」と指摘される………それがスタックスという男。

現代の富の象徴(しょうちょう)は無人のオートメーションであり、声で反応するスマートハウス仕様(しよう)のスタックス邸(てい)には「食事係」「お風呂係」「洋服係」といった人たちがいない。

彼の住まいはウォール街を擁(よう)するロウアー・マンハッタンにある「新ワールド・トレード・センター」。そこは現代において、新たな発展と再生を象徴する場所………2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で崩壊(ほうかい)したワールドトレードセンター跡地(あとち)である【グラウンド・ゼロ】に建てられ、2014年秋に開業した。
映画はオープン前の新ワールドトレードセンターでロケ撮影をしている。

そんなスタックスとアニーとの出会いの場面………アニーが車に轢(ひ)かれそうになり、間一髪(かんいっぱつ)のところでスタックスによって救われる。
たまたま現場に居合(いあ)わせた一般男性はその動画をYouTubeに即座(そくざ)にアップ。みるみるうちに動画再生回数が増え、それと同時にスタックスの支持率も上がっていくというイカにも現代風の展開となり、スタックスの支持獲得(~かくとく)の為にはアニーの存在が必要となる。


本作は色々な場面で、フェイスブックはもちろん、ツィッター、インスタグラムと、様々なSNSが登場し、市長選挙参謀(~さんぼう)のガイが支持率アップの為に、アニーの名前を勝手に使ってツィッターの公式アカウントを作り、アニーが飼(か)い出した犬のサンディーと一緒に子供達がインスタグラムで撮影してたりと、あらゆる場面でSNSが駆使(くし)され、大胆(だいたん)なくらいに現代風にリメイクされているところが興味深(きょうみぶか)い。

クライマックスのアニーの大捜索(だいそうさく)騒動の場面でもインスタグラムが大活躍している。

過去のアニー作品に登場する犬のサンディーはオールド・イングリッシュ・シープドッグだったが、本作ではチャウチャウとゴールデン・レトリバーのミックスで、チョッと日本犬に近い。これにも不評の声が多いようだが、むしろこの方が原作漫画のイメージに近い。

過去のアニーと比べると、新作映画における各キャラの強気な性格やひねくれた性格、打算的(ださんてき)生き方や悲惨(ひさん)さや展開の違いに低評価の声が多い。が、逆にそれが本作の魅力の一つであり、汚(けが)れのない夢見る砂糖菓子のような甘いだけのモノを求めていない私からすると、この方がシックリとくる。

因(ちな)みに本作は毎年の最低映画を選出する第35回ゴールデンラズベリー賞で「最低リメイク・パクリ・続編賞」を受賞している。

一方で、アカデミー賞の前哨戦(ぜんしょうせん)とも呼ばれ、アメリカ合衆国における映画とTVドラマの優秀な作品に与えられるゴールデングローヴ賞では、アニーを演じたクヮヴェンジャネ・ウォレスが主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされている。

クヮヴェンジャネ・ウォレスのアニーにはバネがある。
設定が現代に変わっても物語の骨格は過去のアニーと同じだが、本作でのアニーはある種のヒーローのようにも見える。

映画の舞台となる現代のニューヨーク・ハーレムで子供が生き抜くには大人顔負けの打算や策略(さくりゃく)や知謀(ちぼう)も必須(ひっす)となるのは当たり前。現代のアニーだからこそ砂糖菓子だけじゃ成り立たない。
そういう大人にとっての理想的な子供像ではない小生意気(こなまいき)なアニーの姿には逞(たくま)しささえ感じる。

♪こんなに厳(きび)しい 私たちの人生
歓迎(かんげい)なんてされない 
キスでなく キックされる つらい人生♪

全(すべ)ては生きるため。

人にぶつかった弾(はず)みで自分の出生記録の紙が道端(みちばた)の汚ない水溜(みずた)まりに落ち、その水面(みなも)に浮かんだ自(みずか)らの顔を見ながらアニーは自身を鼓舞(こぶ)するかのように♪tomorrow(トゥモロー)♪を唄い出す。

♪暗い寂(さび)しさから抜け出せない時には
アゴを上げて 笑顔を作って
つぶやくよ
明日になれば太陽はのぼる
だから明日までがんばろう♪

それにしても本作で引退とされるキャメロン・ディアスが愉快(ゆかい)に演じるアニーの里親・ハニガン役のヤサグレ感のハンパ無(な)さは爽快(そうかい)ですらある………メイキング映像でのキャメロンの楽しそうな様子がとても印象的だけに、引退は残念だ。

【↑左端=キャメロン・ディアス】

元々コメディ演技に定評(ていひょう)があるキャメロン・ディアスは彼女の引退作品となる本作でもハジケた素晴らしい仕事をしている。

そのハニガンも、行政からの補助金目当て(子供一人当り、週に157ドル)でアニーを含(ふく)む複数の孤児を預(あず)かっているだけで、酒浸(さけびた)りの堕落(だらく)した生活を送っている。

90年代のミュージシャンが成功を夢見て挫折(ざせつ)し、今は落ちぶれて忸怩(じくじ)たる思いの日々を送っているハニガン。

♪私のいるべき場所は
専用ジェット,ステージ,MTV
なのにこのゴミ溜(た)め
檻(おり)の中でネズミどもと暮らす
このみすぼらしさの出口はどこ?♪

そんなハニガンに逃げ道はあるとウマい話を持ち掛けるのが選挙参謀(~さんぼう)のガイ。

彼女は金目当てにガイと結託(けったく)してニセモノのアニーの親を仕組んだりもするが、自分の歌について「声が好きだ」「聴くと良い気持ちになれる」と、褒(ほ)めてくれるアニーの言葉をスタックスから聞いて罪悪感に苛(さいな)まれるシーンが胸を締(し)め付ける。

♪今の私はどんな人間?
主義はある?それとも欲だけ?
いい子の私はどこへ…………♪


「WHO AM I」と題されたこの名曲は、過去のアニー作品にはない2014年版映画の新作オリジナル曲で、両親を探し続けてニセモノの親と会ったアニー、富と名誉を手に入れたが孤独な社長スタックス、青春時代の挫折(ざせつ)から立ち直れずにいる元歌手ハニガンの心情(しんじょう)をストレートに表現した内容になっており、それぞれが違う場所で唄っている歌声がやがてはシンクロし、感情を揺さぶり盛り上がるシーンだ。

スタックス………♪私は誰だ?
心の鎧(よろい)のせいで愛を求めていたと
君に気づかされた♪

アニー………♪私は誰?
独(ひと)りぼっちで家と呼(よ)べる場所をずっと探(さが)してる 
両親と出会って嬉(うれ)しいはずなのに
何かが違う♪

この映画をプロデュースしたのは、ラッパーとしても活躍する俳優のウィル・スミスと音楽プロデューサーのジェイ・Z。彼らと監督、音楽、振り付けスタッフらの音楽センスも上手(うま)い具合に溶(と)け込(こ)んでおり、作品内の数々のナンバーも現代風にビートの効(き)いたドラムを効果的に使い、聴いてても飽(あ)きがこない。


2014年版としてアップデートされた映画『アニー』は、甘いだけではないポップでエネルギッシュな作品だ。

ゴールデングローブ賞主題歌賞にノミネートされた2014年版「アニー」の新作楽曲「オポチュニティ/opportunity(機会,好機)」

すごく明るい光の輝きの下で
暖かい夜空に向かって顔をあげるの
もう無数の目も恐れない
どうにもできないことがあっても
500の笑顔があるわ

扉を開けるのは私 だから力の限り歌うわ スポットライトの下で 新しく歩き出そう♪

心に思い描(えが)いてきた夢が、現実に近づいてゆく瞬間(しゅんかん)の新たな決意、そして胸の高鳴(たかな)りを発露(はつろ)するナンバーで、明日への希望を歌う「トゥモロー」のまさに第2章とも言える内容の名曲を、アニーのクヮヴェンジャネ・ウォレスが唄い上げるシーンはまさに圧巻(あっかん)で、今という時代に生きるエネルギッシュなアニーがそこにいる。

生活環境(~かんきょう)が一変(いっぺん)してもアニーが求めるものにブレはない。


喜びを分(わ)かち合い、笑い合える人がいて、希望を持てる生き方が出来れば、それは明日へとつながる。

時代に合わせて形やパッケージは変われど、この作品の根幹(こんかん)はあくまでも家族と希望を描くことにある。



・・・・・・・・・・・・・・・

「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」と、スナフキンは言った。

北朝鮮の少女・ジンミも、そしてアニーのような境遇(きょうぐう)の子も含(ふく)め、世界中の全(すべ)ての子供たちに必要なのはティラミスのように元気に引っ張り上げ、アシストしてくれる周囲(しゅうい)の環境(かんきょう)だ………ジンミの場合は相当に困難である事が何とも悩ましい。彼女にはアニーのように希望や夢や明日を信じる環境がそもそもない。

世の中は、そして生きていくという事は思い通りにいかない事の方が圧倒的に多い。
それでも心折れずに明日を信じて今日を生きていくには、希望を口ずさめる精神力が必要となる。

笑って怒って涙して、ヤンチャもしてもがき苦しみジタバタして。
何でもいい。
とにかく顔を上げて、メロディを奏(かな)でてみる事から始めてみる事が大切なのかも知れない。

…………【追記】

人々の目に晒(さら)されるプレッシャーについて、「重すぎるエネルギーを感じていた」と話すキャメロン・ディアスは、映画にはもう出演しないと事実上の引退宣言をした。


「映画に出演するということは、映画に支配されるという事。1日12時間、何ヶ月も撮影し続ける。他のことは何も出来なくなる。
そして私は、自分の人生をバラバラのパーツにして他の人々に明け渡しているということに気づいた。
私はそれを取り戻して、自分の人生を生きる責任を持たなきゃいけなかった。」と、彼女は語る。

「他人に教えてもらうんじゃなくて、自分がどう生きたいのか、どこに進みたいのかを自分で考えたかったの。

そして引退後の今では「私は魂の平和を得たの。ようやく自分自身をケアするようになったのよ。」
カラオケカラオケカラオケ……………

今更ではあるが、最近、事あるごとに聴くJPOPは女性アーティストの一青窈(ひととよう)が自ら作詞をして唱った「ハナミズキ」だ。


空を押し上げて 
手を伸ばす君 五月の事
どうか来てほしい
水際(みずぎわ)まで来てほしい
蕾(つぼみ)をあげよう
庭のハナミズキ
~(中略)~
ひらり蝶々を追いかけて 
白い帆を揚げて
母の日になれば ミズキの葉 贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ
薄紅(うすべに)色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと 
終わりますように♪


「水際」とは花の世界では生命の源を指す。恐らくは生と死との境目を表現していると思われる。
「蕾」から連想出来る事は【将来】や【希望】である。

凡(およ)そ9300人の死傷者を出した2001年9月11日の米国同時多発テロをキッカケに、平和を願う歌として書かれたものだ。

彼女(一青窈)自身、小学2年で台湾人の父を癌(がん)で亡くし、高校生の頃には日本人である母も同じく癌で他界しており、命の重みを肌で感じ、亡き両親を想う歌も幾つか発表している。

………桜のおよそ半月後に咲くハナミズキ。

〈水木〉の仲間だが、花びらが目立って美しい事から【花水木】と名付けられた。



花びらに見える四枚は蕾を包んでいた葉であり、花序(かじょ…花の配列状態)全体を包む総苞(そうほう)と呼ばれるものである。
その総苞が包み込む中心部に固まっている小さな粒状のものが、花の本体だ。

秋には葉が見事に紅葉し、更には果実が真っ赤に熟して季節の日に映(は)える、花も葉も実も三拍子揃って美しい存在感を放つ落葉小高木(ラクヨウショウコウボク)である。

御存知の方も多いとは思うが、ハナミズキが日本に入ってきたのは1915年(大正4年)。
その三年前に日本からアメリカ・ワシントンD.C .へ桜が贈られた返礼と、日米友好の印として我が国に迎え入れられたのが始まりだ。
当初はアメリカ・ヤマボウシと呼ばれていたらしい。



………こんな伝説がある。

昔のハナミズキはとても大きく固い木で、古くは処刑用の十字架として利用されていた。

そして、ナザレのイエスの磔刑(たっけい…罪人を板や柱などに縛り付け、槍などで突き刺す公開処刑の事)の際にも使われ、ハナミズキは自分のそういう扱われ方をとても悲しんでいた。

イエスはそんなハナミズキの悲しみを癒(いや)すために、木が大きくならないように祈り、その結果、現在の形になったのだった………


因(ちな)みにイエスが処刑されたのは紀元29~36年頃だとされている。

彼の生まれた翌年を紀元元年(西暦0001年)とするのは6世紀のローマ修道僧が計算した事で、これは誤りである。
実際のイエスの誕生年は紀元前4年頃ではないかと言われている。加えて、12月25日をイエスの誕生日とする事には確かな根拠はない。寧(むし)ろ、聖書の記述を検証すればするほど、冬を誕生日とする事には無理がある事が分かる。

クリスマスはイエスの誕生日を祝うというより、誕生を祝う日=降誕祭だと解釈した方が良いのだろう。

ついでに言うと、イエスが生きていた時代には姓というものが無く(…山田太郎の<山田>が無いようなもの)、『ドコソコ村のナニナニさん』という呼び方が一般的であったので、キリスト教を信奉していない者なら、ナザレ(現在のイスラエル北部の中心都市)で生まれ育ったイエス=『ナザレのイエス』と呼ぶのが妥当(だとう)であろう。

ダ・ヴィンチ村のレオナルドを『レオナルド・ダ・ヴィンチ』と呼ぶのと同じ事だ。



キリスト…というのはギリシャ語読みで、ヘブライ語ではメシア。元々、イスラエルにおいては王に与えられる称号であり、現在では《救世主》の意味で使われる。
つまり『イエス・キリスト』と呼ぶ人は『救世主イエス』、つまり、イエスを人類の救世主と認めている事になる。

ハナミズキの原産国は北アメリカであり、実際のところ、イエスが処刑されたとされる頃のエルサレムにはハナミズキは存在しなかったし、聖書にもそんな記述はない。
恐らくは、四枚の花びら(…のように見える総苞)が十字架のように見える事から生まれた創造なのであろう。

まあ、伝説だから真偽(しんぎ)のほどを詮索(せんさく)しても仕方がないのだが、いずれにしてもハナミズキの存在感には、そんな物語性すらも感じさせるほどに、人々に何かを訴える力があるようだ。


カチンコカチンコカチンコカチンコカチンコ……………

その目は生命力に溢(あふ)れた大胆不敵な戦士のようだった…

4000人のオーディションの際、29歳の新人監督にそのように評価された小さな黒人の女の子が主演した製作費僅(わず)か200万ドルのインディペンデント映画………実力派揃いのアメリカ・サンダンス映画祭においてグランプリと撮影賞を獲得し、カンヌ映画祭をはじめ、世界中で絶賛され、2013年度のアカデミー賞において、史上最年少(9歳)の主演女優賞の他に、作品、監督、脚色賞の計四部門にノミネートされたのが『ハッシュパピー~バスタブ島の少女(アメリカ映画.93分/ベン・ザイトリン監督/日本公開=2013年4/20)…原題Beast Of The Southern Wild<南部の野生獣> 』である。


【↑映画『ハッシュパピー~バスタブ島の少女』DVD発売 東宝】

ハッシュパピー………靴メーカーでもなく、トウモロコシ粉で作った揚げパンでもなく、主人公の少女の名前だ。

余談だが、日本の宮崎駿アニメとの類似性を指摘する見当違いな声も多いようだが、ああいう靴の底から足裏を掻(か)かれるようなモドカシサはなく、少女を神格化しようとする歪(ゆが)んだコンプレックスも勿論ない、真正面から生命そのものを描こうとした極めて剥(む)き出しな作品であり、私的には似て非なるものだ。


カチンコカチンコカチンコ………アメリカ南部のルイジアナ州。

川や湿原の上に掘っ立て小屋を建てた貧しい人々のバスタブと呼ばれるコミュニティーが舞台。

彼らはよく叫び、歌い、暴れ、飲んで日々を謳歌(おうか)する。
まるで野生の生き物のように。

母と別れ、時折行方不明になる飲んだくれの父と暮らす(と言っても住んでいる小屋は別々)六歳のハッシュパピー………。

この辺(あた)りは100年ぶりの大嵐に襲われ、大洪水で住み慣れた小屋は水没し、ハッシュパピーを含めたコミュニティーの人々は、行政による強制退去命令で避難所に入れられる………

6歳の少女の前に立ちはだかる現実は厳しい。

沈みゆく島。

心臓に疾患(しっかん)を抱えているであろう余命わずかの父。

コミュニティー全体にも言える事だが、パピーの父はとにかく言葉が汚い。しかも容赦なく娘に手をあげる。

礼儀作法なんて別世界の話であり、日本の教育評論家やPTAが見たら卒倒するくらいの父娘関係である。

当然ながら、娘のパピー自身も凶暴な野生動物のような側面を見せる。



しかし、父が願うことはただ一つ………ハッシュパピーが一人で生き抜いていく為の勇気と強さを身に付ける事。

学問を教える事は出来ないが、生きる術(すべ)、食べる術を不器用に荒々しく叩き込んでゆく…その姿は、娘と接する事の出来る残り少ない時間の非情さを憎んでいるようにも見え、限られた時間が故(ゆえ)の濃密な裸の肉親愛がスクリーンからこだまする。



16㎜フィルム(通常の劇場用映画の大半は35㎜以上)で撮影された本作の映像は、御世辞にも美しい光景が映し出されるわけではない。

生き物の死骸、画面から独特の臭みさえ漂(ただよ)うかのような甲殻類(こうかくるい)や魚の醜い大量の山、都市から流れてきた残骸、ドロドロとした焦土、腐った訳のわからない物等々………

人によっては気分を悪くされる方もいるだろう。
しかし、これは我々の世界そのものである事も忘れてはならない。



一個の命の存在は世界を構成するピースの一つである事を、ハッシュパピーは知っている。

バランスが崩れると世界は崩壊してしまうと彼女は理解している。

ドラマでは具体的な台詞や説明はないが、私はパピー自身が、自分というピースが今にも世界のパズルから抜け落ちてしまいそうな不安に駈(か)られているのではないかと思った。
それは、彼女の家族、家庭環境のアンバランスさによるところも大きいと思う。

しかし、この小さな女の子は家庭の不満は口にはしない。そこで生きていくしかない事も分かっているからだ。


映画の後半、パピーはコミュニティーの数人の子供たちと一緒に、別れた母を探しに行く。

行き着いた先は売春宿と思われる淫靡(いんび)な店である。彼女はそこで出会った初対面の女に母の面影を重ねてしまい、つい子供の本音を口にする。

私とパパの面倒をみてよ…。

「それは出来ないわ…自分一人だけで精一杯だもの。」

宿の女は鰐(ワニ)の肉のフリッター(…洋風天ぷら。日本の天ぷらと違って衣はフワッとしている)を作り、パピーに食べさせる。

パピーは発泡スチロールの箱に入れた残りの鰐肉のフリッターを持って、既に危篤(きとく)状態にあった父の元へ帰る。

父のいる小屋を目前にした時、突然、古代の野生獣オーロック(パピーの空想)の大群がパピーに迫り来る。

本作では現実とも幻想ともつかない、少女の意識下にあるものが随所(ずいしょ)に登場する。

紙芝居のような分かりやすい映画が主流の現代では、観る人によっては混乱する場合もあるようだ。
だが、少女の空想は現実逃避ではない。
厳しい現実を生きる為の水先案内としての役割を果たしていると感じられる。

それは我々にとっては非日常的とも思える世界を描きつつも、無駄にファンタジー路線に甘える事なく、常に足元は現実に根差すという絶妙なバランスを保とうとする監督の意図を感じさせる。

甘くキレイで親切な綿菓子のようなファンタジー作品を期待するなら、本作ではなくディズニーやジブリでも観ておけばいい………と言っても、《サツキとめいは死んでるんだよォ》的な都市伝説に浮かれているバカは論外としても、ディズニーにせよジブリ作品にせよ、その作品の本質はやさしい雰囲気のパッケージの奥にある事は分かる人には分かるはずなのだが………。



………角の生えた牛豚のようなその大きな獣を目の前にした彼女は、恐怖も勿論(もちろん)あったであろうが、決して泣くことも怯(ひる)む事もなく、毅然(きぜん)とオーロックを見据(みす)える。

………あなたは友達よ…自分でやってくわ。

父は病床の窓からそんな娘の逞(たくま)しく成長した姿を見て、安心と嬉しさの混じった優しい涙を流す。

小屋のベッドにたどり着いたパピーは、鰐肉を父の口元へ運んでやる。
それは、父と娘との命の連鎖の儀式のようにも見える。


………亡くなった父の遺体はガラクタを寄せ集めて作った船に載(の)せ、そこに火を着け、火葬のまま川へ流す。

炎と共に、たった一人の肉親を乗せた船は、残された少女から段々と離れ、やがてその姿は小さくなってゆく………



故人を見送るコミュニティーの仲間達が別れの歌を唱うシーンには胸を突き刺すものがある。


  入り江に立ち
  去り行く船をみる

  船が行く
  だが、船は無くならない

  去り行く先で、また生きてゆく

  別の場所(船の行く先)の友が言う

  『船が来た!!』

  それが死の真実

  船が来た!!…♪


………泣こうと思って映画を観る趣味は私には無いが、この作品は何故(なぜ)か、自然に涙が出てきてしまった。

決して完璧な出来というわけではない。欠点も多々ある。
それを差し引いても、胸の拳に突き刺さる映画だった………。

少女はこれから一人で、何処(どこ)に向かうのだろう。

今、目の前にある現実をしっかりと受け止めて、叫んで唄って暴れて、ひたすらに走り続けるしかないのかも知れない。

映画は、ハッシュパピーを先頭に、コミュニティーの人々が水没しかけの汚泥(おでい)だらけの道を、スクリーンの観客側の我々に向かって、力強く歩いてくるシーンで幕を閉じる。



………彼らこそ、オーロックなのだ。

暴走するBeast Of The Southern Wild 達の姿には、日々を謳歌(おうか)する魂の叫びがあり、そして、世界というパズルを構成するピースなのだという存在感が、そこにはあった………


………全てが過ぎたあと、感じたわ。
私を私にしたモノが、私の周(まわ)りに漂(ただよ)っている。
見ようとしても見えないけれど、全てが過ぎて、そこにいる事が分かった。


【↓映画『ハッシュパピー~バスタブ島の少女』予告編】


………カチンコカチンコカチンコカチンコカチンコ



人間は、惜しまれて死ぬようでなければならない。

………2013年6月に亡くなった、私の母の口癖だ。


脳梗塞(のうこうそく)で病院に運ばれ、およそ一年十ヶ月の闘病生活を経て最期は呼吸困難となり、血中内酸素濃度数値も極端に下がり、やがて心肺機能停止をもって人生の幕を閉じた。

因(ちな)みに【脳梗塞】とは脳卒中(…のうそっちゅう=脳の血管がつまったり、破れたりして、その先の細胞に栄養が届かなくなって 、細胞が死んでしまう病気。一般用語で医学用語ではない…)の一種で、脳の血管が詰まったり何らかの原因で脳の血のめぐりが正常の5分の1から10分の1くらいに低下し、脳組織が酸素欠乏や栄養不足に(陥おちい)り、その状態がある程度の時間続いた結果、その部位の脳組織が壊死(えし=梗塞<こうそく>の意味)してしまう症状の事である。

………末期の頃には両手両足や頭を自力で動かす事も不可能になり、寝返りすらも打てず、喜怒哀楽の表情を作る事も無かった。

手足は細い棒のようになり、体重20㎏台にまで痩(や)せ細ってしまった体だったが、自宅から斎場(さいじょう)に向かう車へ男数人で運んだ際には、硬直のせいか、ズシリとした重みのある感覚が意外だった。



………体は痩(や)せ細っていたが、母の顔は不思議にやつれた様子は無かった。
末期の頃でも肌には艶(つや)があった。
死に顔も穏やかで、綺麗なものだった。


………闘病生活前半の母は、右半身は何とか動けたし、言葉も喋れたし、不自由ながらも自力で飲食が出来ていた………そして、泣いてばかりいた……。

意識や記憶等は正常であるが故に、思うようにならない自分の身体の有り様を理解し、絶望したのであろう。

リハビリは素直に受けていた。

進歩もあった。

ある日、医者から宣告された。

これ以上、治る見込みはありません。

せめて自力でトイレに行けるようになれたら…という淡(あわ)い期待は見事に打ち砕かれた。



一時、自宅療養の時期もあった。

リハビリ病院を退院して、父は母を車椅子に乗せ、近所の食堂へ連れて行き、そこで二人で玉子丼を注文した。

病院の味気ない食事に辟易(へきえき)していた母は、玉子丼を口にした時、「…美味しいな…美味しいな…」と、何度も同じ言葉を繰り返し、心の底から絞(しぼ)り出すように満足げな言葉を発していた。

寅さんが好きだった母の為に、私は父母の食事の用意と共に、よく『男はつらいよ』のDVDを持参して見せていた。

他にも同じ山田洋次監督作品である『家族』『遥かなる山の呼び声』『幸福の黄色いハンカチ』、『二十四の瞳(木下恵介監督)』『じゃりン子チエ(高畑勲監督)』『長屋紳士録(小津安二郎監督)』、都はるみや水前寺清子、五木ひろしに森昌子等々のコンサート映像など、母の喜びそうなDVDを選んで来てはデッキにかけていた。

中でも『幸福の黄色いハンカチ』における、武田鉄矢が腹をこわして下痢に悩まされるお下劣シーンに母はゲラゲラと笑い転げ、 私自身が幸福な心持ちになったものだ。

自宅療養の半(なか)ば頃に二度目の脳梗塞を発症し、それから言葉が不自由になり、程無くして「アー、ウー」という類いの声しか出せなくなって、同時に嚥下障害(えんげしょうがい)となった。

物を食べるという事は、食べ物を認識し、口に入れ、噛んで、飲み込むまでの動作から成り立つ。
このうち【飲み込む】という動作が【嚥下(えんげ)】にあたる。
つまり、【嚥下障害】とは【飲み込みの障害】を指す。

その頃から、母の感情の起伏が激しくなったように感じた……まるで、子供に帰ったように……。

水前寺清子のコンサートDVDを観ている際には、水前寺が亡くなった両親の思い出話をする場面で言葉にならない号泣をしていた……母は小さい時に父(つまりは私の祖父)を亡くしており、結婚後暫(~しばら)くしてから都会に引っ越しした為、母親を一人故郷に残す事になり、独身時代は田舎で長らく母娘二人暮らしをしていた自分の母親の死に目に会えなかった事を一生後悔していた。

リハビリ病院に入院中の時にも、「ばあちゃんの死に目に会わんかったから、罰が当たったんや。」と、繰り返し嘆(なげ)いていたものだ。

コミュニケーションが筆談に変わり、後に肺炎で再入院した時にも、母はお絵描きボードに【バーチャンガ ムカエニキテル】と書いたので、私が饅頭(まんじゅう)作りが得意だった祖母を思い出し、「ばあちゃんは、まだ饅頭が出来とらん。お前はセッカチ過ぎるって言ってるよ。」と言ったら、苦笑いをしていた。

「じゃあ、また来るからな。」と言って私が帰ろうとすると、母が「ウー、ウー…」と、そして遂(つい)にはウェーン、ウェーンと大声で泣かれた時には、私自身が本当に泣きたい気持ちになったものだ。

健康な時には人前で涙を滅多(めった)に見せず、ましてや声をあげて泣くなんて事は有り得なかった母が、病のせいか、感情の制御機能が衰えたようで、発病後は本当によく泣いていた。まるで、長年溜(た)めていた涙を一気に吐き出すかのように………


イエカエッテ スイジセンタク ソージヲシタイ(家に帰って、炊事や洗濯や掃除をしたい。)』と、母は文字にしていた事もあった。
要は、元の日常の姿に戻りたいという願望のあらわれだったのだろうと思う。

遠方にいる兄から自動ベッドを家に送ってくるからという話を聞いて、それを喜ぶ事よりも『タカカッタヤロ(高かったやろ……)』と、金の心配ばかりをしていた。

そんな母も、末期の頃には私が顔を見せても表情の変化を見せなくなっていた。

寂しい気持ちもあったが、それでも良いと思った。

生きててくれるだけでも良いと思う気持ちも否定は出来なかった。


呼吸困難状態が何度となくあり、緊急的に病院に呼び出された事もあった頃、念のために、私が病院に泊まり込む事もあった。

その深夜…当時は声を発したとしても「アー、ウー」程度のレベルしかなかったのが、明らかに何らかの言葉を喋ろうとする母の必死な様子が見てとれた。
結局、言葉は聞き取れなかったのだが、あの時、母は何を伝えようとしていたのだろうと、いまだに考えてしまう………



二葉百合子の『岸壁の母』が好きだった母。

雪村いづみの『青いカナリヤ』が好きだった母。

千昌夫の『北国の春』が好きだった母。

もんた&ブラザースの『ダンシング・オールナイト』と久保田早紀の『異邦人』が好きだった母。

イングリッド・バーグマンと『E.T.』とオロナミンCと餡蜜(あんみつ)と蜜柑(みかん)と、井村屋の小豆(あずき)バーと『火垂るの墓』が好きだった母。

手芸が好きで、人形作りをコツコツとしていた母。

トマトジュースとケチャップとビーフシチューと鰻(ウナギ)と青菜の漬け物と乳製品が全くダメだった母。

回転寿司に連れていっても動くレーンを眺(なが)めるだけで、自分からは皿を取ろうとしなかった母。

カラオケに連れて行った時に唄った、大川栄作の『目ン無い千鳥』の歌唱を私が褒(ほ)めた事がよほど嬉しかったのか、いつまでも覚えていて、闘病中にも筆談でその事を書いていた母。

そして、入院中、お絵描きボードに【ヨルガ サビシイ】と書いていた母……

学歴も資格も飛び抜けた才能も見せる事の無い、本当に平凡な母であった………。



………母の死が近いと感じた時、私は涙は流すまいと決めていた。

私自身がこの世を去った後、アッチの世界で湖が出来るほどに吐き出してやる、と思った。



………私の実家の庭には二本のハナミズキの木があり、毎年、それぞれ白と薄紅(うすべに)色の顔を見せる。

ハナミズキの花言葉は「返礼」と「私の想いを受けてください」

母に対する礼や想いは語り尽くせないほどある。そして勿論、後悔も多々ある。

葉も色づき、実も熟した頃には、母の乗った船は何処(どこ)かに着いているかも知れない。


『船が来た!!』


別の場所の友が、心から歓迎してくれている事を、切に願いたい………


★追記………

とある商店街に、花売りの露店を出している婆さんがいる。

私はソコを避けて通るようにしている。

顔こそは似ているわけではないが、全体の雰囲気が亡き母の面影を想起させてしまい、通る度に要(い)らぬ花を買ってしまうのだ(苦笑)。

★追記②………

母が最後にファンになった歌手は島津亜矢だった。

普段から演歌を聴くわけではない私は、当時はまだその存在すら知らなかったのだが、現役の演歌歌手の中では恐らく最高峰レベルの、その歌唱力に魅了され、最近では父と一緒に彼女のDVDをよく見るくらいに、今ではお気に入りの歌手の一人となっている。

ファンの方からすれば、毎年、紅白歌合戦に出演出来るかどうかでヤキモキされているようだが、純粋に歌手としての評価が出場基準とはなっていない番組で、しかも大手事務所に所属していないともなれば、それだけでも不利であろう。


二葉百合子が1972年にリリースし、日本国中を感動の嵐に包んで大ヒットした『岸壁の母』は様々な有名演歌歌手がカバーしているが、二葉本人は別として、島津亜矢以上に唄える歌手を私は知らない。

【↓島津亜矢『岸壁の母(二葉百合子版)4分45秒』】



★追記③………

母が映画館で最後に観た作品は『インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国』だったが、その時には父も一緒に連れて行ったにも関わらず、この間、父にDVDを観せたら「こんな映画、観に行ったっけ?」………オイオイオイ!

★追記④………

島津亜矢の第67回NHK紅白歌合戦への出場が決まったようだ。
これで父の楽しみが増えてよかった。

★追記⑤………

紅白歌合戦で出場歌手が唄う曲目はNHKからの意向が重要となり、歌手本人が唄いたい楽曲とは異なる場合が多い。
島津亜矢が唄う曲目は美空ひばりの『川の流れのように』だそうだが、良い歌かも知れないが私的には名曲とは思わない。
日本全体が自信やパワーを失っている今、島津らしいパンチの効いた力強い元気の出る楽曲、例えば『独楽(こま)』などでもイイんじゃないかと個人的には思う………。