1990年代初頭(しょとう)、バブル景気のピーク時にブームとなったイタリア料理。そこで最大のヒットとなったのが〈チーズをベースとしたクリーム〉と〈コーヒーリキュールを使用したスポンジケーキ〉に〈ココアパウダー〉の3つの要素を層状(そうじょう)に重(かさ)ねたスイーツ「ティラミス」。
もともと高級イタリア料理店で普通に作られていたデザートだが、海外旅行へ行き、ブランド物も買うけれど、貯蓄(ちょちく)や投資(とうし)もし、東京近郊(~きんこう)の大学を出て一流会社に勤(つと)めて3~5年以上、今すぐ会社を辞(や)めても当面は生活できる資金があるという、当時の首都圏(しゅとけん)の結婚平均年齢のキラキラ27歳を中心とした女性を対象読者とした情報カルチャー・キラキラ雑誌「Hanako(マガジンハウス)」の特集が日本中に流行を加速(かそく)させた。
ティラミスの流行は、イタリア料理店だけでなく、洋菓子店や喫茶店にも波及(はきゅう)し、ファミレスやコンビニスイーツにも広がった。
近年では卵や乳製品のアレルギー対策やダイエット対策で、豆腐(とうふ)クリームを使ったアレンジティラミスなども誕生している。
ティラミスという名前の語源は勿論(もちろん)、イタリア語。
イタリア語の〈Tiramisu〉は、直訳(ちょくやく)すると「私を引っ張(ぱ)り上げて」。
お菓子が気分を引っ張り上げる=元気づけてくれるお菓子、というのが直接の意味合いだ。
★★★★★★★★★★★★★★★
様々な記録やニュースに流れる北朝鮮の映像は、当局の監視下におかれ検閲(けんえつ)もされ、内容はヤラセ演出だらけだというのは誰でも想像はつくだろう。
映画『太陽の下で~真実の北朝鮮~ (2015露・独・チェコ・北朝鮮)』は、ロシアのドキュメンタリー映画監督ヴィタリー・マンスキーと北朝鮮当局の共同制作で1年の期間をかけて、当時8歳の少女リ・ジンミが「朝鮮少年団」に入団し、故・金日成(キム・イルソン)主席の誕生日である太陽節を祝う行事を準備する過程(かてい)を記録する作品として撮影が始まった。
しかし、一方的な監視&演出を押し付ける北朝鮮側の政治的意図(~いと)に違和感(いわかん)を抱(いだ)いた監督は途中で制作方針を変更し、撮影前後に密(ひそ)かにカメラの録画スイッチを入れたまま放置(ほうち)し、北朝鮮当局が見せたくないであろう【演出している様子】を捉(とら)えた映画に作り変え、撮影済(ず)みフィルムを北朝鮮国外に持ち出したのである。
そういうわけで本作においては、珍(めずら)しい北側の演出の様子が画面に映(うつ)り、それはそれで奇妙な新鮮さがあるが、大体、予想通りの内容ではある。
役者でもない素人(しろうと)達が何度も何度も同じセリフを言わされ、少しずつ修正が加えられ、拍手のタイミングや顔の向く方向さえも細かく指示される。
ジンミの両親に至(いた)っては職業さえも映画用に変更され、それぞれが馴染(なじ)みのない職場でぎこちない演技をやらされている。
が、見どころはそこではない。
映画では少女ジンミが少年団に入る様子(ようす)が描かれるが、決められたレールの上を生きていくしかなく、他に考える選択肢(せんたくし)もないから疑問を持つという事もなく、それを可哀想(かわいそう)だと異文化(いぶんか)の我々の生活思考感覚で捉(とら)えようとしても捉えきれるものではない。
素(す)の状態のジンミの表情はお馴染(なじ)みの北朝鮮特有の歓喜の笑顔でもなく、かといって哀しみでもなく、ただひたすら遠くを見つめる〈無 〉だ。
記録映像にはふさわしくないであろう泣きべそをかくジンミから、北側の監視員兼演出者である大人は何とか映画用の笑顔を引き出そうとする。
「何か好きな事を考えてごらん?」
「楽しい事を思い浮かべてごらん?」
が、少女にはそれすらも分からない。
時間が経過(けいか)し、やがて少女の口から出たものは【偉大なる大元帥(だいげんすい)様を称(たた)える詩】だった。それが彼女が暗唱できるくらいに徹底的に覚(おぼ)えさせられた詩だった………そして、詩を口ずさむ少女の表情がやはり〈無 〉である事に、何ともやりきれぬ思いに駆(か)り立てられるのである。
★★★★★★★★★★★★★★★
………1929年の世界大恐慌(だいきょうこう)直後の真冬のニューヨーク。
街は仕事も住む場所もない人で溢(あふ)れ、誰もが希望を失っていた。
そんな中、ニューヨーク市立孤児院(こじいん)に住む11歳の赤毛の女の子、アニーはどんな時も夢と希望を忘れない。
10年前に孤児院の前に捨てられていたアニーは、いつか本当の両親が迎えに来てくれると信じている。
一方、自分のイメージアップの為にクリスマス休暇を一緒に過ごす孤児を探していた大富豪オリバー・ウォーバックスの為に、秘書(ひしょ)のグレースは孤児院で出会って気に入ったアニーをウォーバックスの自宅に連れて行き、休暇(きゅうか)を過ごさせる。
前向きなアニーに魅(ひ)かれたウォーバックスは、アニーを気に入り、養女(ようじょ)にしたいと考える。
「自分の両親がまだ生きている」と信じるアニーの気持ちに心打たれたウォーバックスは、5万ドルの報奨金(ほうしょうきん)で親を探(さが)す。
するとお金を目当てに大勢の人々が自分こそアニーの親だと名乗りをあげ、これに目を付けた孤児院の院長のハニガンとその弟のルースターらも、この金をだまし取ろうと画策(かくさく)する。
ウォーバックスと一緒にホワイトハウスを訪(おとず)れたアニーは閣僚(かくりょう)たちを目の前にして希望を失わないことを説(と)き、大統領のフランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を発案。
ルースターがウォーバックス宅にて変装してアニーの親であると告白したが、FBIの捜査によってアニーの両親は既(すで)に死亡していたことが分かり、ハニガンらの企(たくら)みは失敗。アニーはウォーバックスの養女となる………
誰もが知っているミュージカル『アニー 』は1924年、新聞『ニューヨーク・デイリー・ニュース』で連載されたマンガ『小さな孤児アニー(ザ・リトル・オーファン・アニー)』が原作。
アニーは孤児ではあるが前向きな少女。このマンガの連載が始まった頃のアメリカは好景気、いわゆる”バブル”な状態だった。それが1929年の大恐慌で一変する。当時の大統領は共和党のフーヴァーで無策を繰(く)り返していたが、1932年に民主党のルーズベルトが大統領に当選する。そしてあの有名なニューディール政策を進める。
【↑↑フランクリン・D・ルーズベルト】
1932年11月の大統領選挙に向けて、民主党候補に指名されたフランクリン・D・ルーズベルトは、指名受諾(~じゅだく)演説で「ニューディール(新規まき直し)」 という言葉を使った。が、この表現を特に強調したわけでもなければ、この表現に何らかの含(ふく)みを持たせる明確な意図(いと)も彼にはなかったと思われる。
共和党の大統領ハーバート・フーヴァーは、1929年10月のウォール街大暴落と世界恐慌の直前までアメリカが好景気を享受(きょうじゅ)していたのは自分の手柄(てがら)だとイチ早く主張し、逆に不況(ふきょう)になってからの責任の矛先(ほこさき)を自分以外のあらゆるもの、あらゆる人に責任転嫁(せきにんてんか)しようと必死だった。
そのような人物が、景気回復の舵取(かじと)り役に適任だという印象を国民に与えるわけがなく、「新規まき直し」という何だか分からないけれど新しそうな御題目(おだいもく)を唱(とな)えるルーズベルトの圧勝は決定的だった。
選挙戦でルーズベルトは、大統領に選ばれたら何をするつもりか具体的(ぐたいてき)に明言しないばかりか、矛盾(むじゅん)する声明(せいめい)を出すことさえあった。あるときは公共支出の削減(さくげん)を約束したかと思えば、その次には、雇用(こよう)を増やすための大規模(だいきぼ)プログラムへの資金提供を約束する、といった具合(ぐあい)である。
彼は大統領就任(~しゅうにん)演説でも多くを述(の)べず、ただ世界恐慌を招(まね)いた銀行家や資本家の無責任と腐敗(ふはい)を非難し、あの有名な言葉「われわれが恐れるべきものはただ1つ、恐れそのものだ」 をひたすら強調するだけだった………まるでどこかの国のワンフレーズ元首相のようである。
今日(こんにち)ではニューディール政策が民間企業の働きを抑制(よくせい)し、大恐慌(だいきょうこう)からの回復を遅(おく)らせたという歴史的評価は一般化している。
恐慌を本当に終わらせたのは第二次世界大戦による戦争需要(~じゅよう)だったという見方は多い。
キリスト教、利権、プロパガンダ、共産主義………当時の日本の知らないところで世界はつながっている。日米だけを見ていては戦争や経済を理解できるはずがない。
日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案(わへいていあん)を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下………瀕死(ひんし)の日本に、ルーズベルト政権はどうしてそこまでする必要があったのか……………?
ところでルーズベルトに敗(やぶ)れた側の第31代米国大統領ハーバート・C・フーヴァーには「無能」というレッテルが貼(は)られてしまっている。
【↑↑ハーバート・C・フーヴァー】
世界恐慌に対して有効な経済政策を打たなかったからで、「無能なフーヴァー、有能なルーズベルト」 という固定化された評価がまかり通ってきた。しかし、このフーヴァーと日本との縁は深い。
太平洋戦争終結の翌年、1946(昭和21)年5月、フーヴァー元大統領を団長とする「アメリカ食糧使節団」が来日。
フーヴァーは、トルーマン大統領の特命を受けて、飢饉(ききん)緊急委員長として東南アジアを巡(めぐ)り日本を訪(おとず)れた。
フーヴァーは第一次世界大戦によって敗れたドイツの戦後処理をした経験があり、ドイツで学校給食を開始し普及(ふきゅう)を図(はか)ってきた実績(じっせき)がある。
荒れ果てた日本を視察したフーヴァーは、日本への食料支援をしなければならないと判断。
「日本の秩序(ちつじょ)破壊や悪疫(あくえき)流行を避(さ)けるためであり、日本の食糧不足は日本の再建の妨(さまた)げとなる」
フーヴァーは、トルーマン政権に日本は最低でも870,000トンの食糧を輸入しなければならないと勧告(かんこく)し、これにより日本国民の飢(う)えを満たすばかりか、日本再建への希望の光が差し込んだ。
そのフーヴァーが第二次世界大戦の過程(かてい)を詳細(しょうさい)に検証した回顧録(かいころく)がある。
長い間、公(おおやけ)にされなかったが、2011年に米国フーヴァー研究所から刊行され話題を呼んだ。
「私(フーヴァー)は、日本との戦いは狂人(ルーズベルト)が望んだものだと言うと、彼(マッカーサー)はそれに同意した。」
「日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている………原爆使用を正当化しようとする試(こころ)みは何度もなされた。しかし、アメリカの軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述(の)べている。」
漫画「アニー」をもとにして1930年にはラジオドラマが始まり、1932年にはトーキー映画『Little Orphan Annie(小さな孤児アニー)』が公開されており、アニーはこの時代の人気キャラクターだった事は間違いない。
どんなに辛(つら)くても夢と希望を持ち続けるひたむきな姿が共感を呼ぶのはいつの時代でも同じだろうが、作者の意図(いと)はともかく、穿(うが)った見方をすれば、アニーは結果的にルーズベルト政権の見事なアシスト的役割の一端(いったん)を担(にな)っているような気がしなくもない。
連載自体は作者のグレイが1924年から死去するまでおよそ45年間休むことなく描(えが)き続け、亡くなってからは5人の作家が連載を引き継いだ。
70年代初頭に作詞家マーティン・チャーニンがこの作品に注目し、ミュージカル化を決意。
1977年にブロードウェイで初演されると大ヒットを記録、およそ6年間のロングラン、そして、アメリカの演劇界で最も権威(けんい)ある賞と見なされているトニー賞では作品賞を始め7部門を独占している。
ミュージカル版『アニー』の設定は1933年で、時代背景は大恐慌の後とし、巨万の富(とみ)を築(きず)いたウォーバックス氏は大統領やFBI等と電話でつながっているというVIP設定で、劇中でもニューディール政策が話題になり、お馴染(なじ)みの♪Tomorrow(トゥモロー)♪を歌う。ここは史実(しじつ)と虚構(きょこう)が上手く混(ま)ざり合っているが、少々むず痒(がゆ)さも覚(おぼ)えてしまうのが正直なところだ。
当時のアメリカの世相(せそう)や世界情勢などを知っていると面白さは倍増するだろう。
またウォーバックスという名前だが、綴(つづ)りは”Warbucks”。
”War”は戦争、”Bucks”は牡鹿(おじか)とか雄々(おお)しいなどという意味があるが、別の意味合いもあり、俗語(ぞくご)で”doller”=つまり”ドル”。第一次大戦で大儲けしたという推測(すいそく)も成り立つ。
よく知られている映画版はジョン・ヒューストン監督、アイリーン・クイン、アルバート・フィニー出演の1982年製作のもの。そして1995年には続編となる『アニー2』が製作され、1999年にはディズニーによってテレビ映画としてリメイクされている。
日本でもミュージカル『アニー』はよく知られている作品で、日本初演は1978年、日生劇場で幕を開けた。
主演のアニー役は子役が演じるのが今では当たり前のようになっているが、初演は宝塚歌劇団の〈愛田まち〉という人が演じた。身長がかなり低かったということでのキャスティングだったらしい。
そして大富豪ウォーバックスを演じたのはなんと若山富三郎親分だ。
現在は衆議院議員である山尾志桜里や、アントニオ猪木の娘も2代目アニーをダブルキャスト、つまり交代(こうたい)で演じていた事がある。
ーーーーーーーーーー――――ーー
アニー・ベネット………
26分署前に放置。
発見時の年齢、推定4歳。
里親制度へ。
………以後、データ無し。
2014年………設定も大胆(だいたん)に改変し、ストーリーにも修正が加(くわ)えられ、アップデートされた新生『アニー』がスクリーンに帰ってきた。
時代設定は1933年のニューヨークから現代に変更され、大富豪ウォーバックスはスタックスと名前を変えている。
(2014年米コロンビア映画/監督ウィル・グラック/118分)
かつて大いに感動させられ、魅了(みりょう)もされた映画「ハッシュパピー~バスタブ島の少女(2012米) ←〈前回のブログで紹介ずみ〉」の主演で、当時6歳で史上最年少のアカデミー主演女優賞にノミネートを果(は)たした少女、クヮヴェンジャネ・ウォレス がアニーを演じるという事で観る気になった。おそらく、他の子役だと上手(うま)くてもスルーしたに違いない。元々そんなにアニーの熱心なファンでもないからだ。
それほどに「ハッシュパピー」における彼女の野性味(やせいみ)溢(あふ)れる演技と存在感には圧倒(あっとう)されたのである。
アメリカでは白人の赤毛の女の子というイメージが定着しているアニーを黒人の女の子が演じるという事で相当の物議(ぶつぎ)を醸(かも)したようで、ネット上ではかなりの論争が巻き起こっていたらしい。
2014年版アニーは、公開前からかなりのアンチが存在していた。
そして新作でのアニーは孤児ではなく、あくまでも里子(さとご)だという呼び方にこだわっている。
………映画の冒頭、クラスの発表会で過去のアニーを彷彿(ほうふつ)とさせる赤毛の白人の女の子アニー(A)が優等生の演説をし、優等生のミュージカル風ダンスで締(し)めると、シラケた拍手がパラパラ。
続いて本作の主役であるアニー(B)がクラスメートを巻き込んで、各々の体を使ってリズムとビート感溢(あふ)れる人間の本能に即(そく)した説得力のある発表をする。「これが既存のイメージをひっくり返した僕らのアニーだ!」という、映画の作り手達の声が聞こえてきそうな幕開けである。
後にアニーと縁を持つ事になる大富豪スタックス(ジェイミー・フォックス)は世界一のスマホ会社の社長。次回の市長選を狙(ねら)ってて(……ちなみに対立候補の応援はマイケル・J・フォックス!)、人と触れるのが大嫌いで、その潔癖症(けっぺきしょう)具合(ぐあい)が面白すぎる男。
貧乏と貧乏人と貧乏人の食事が大嫌いで、この街には俺が必要だと豪語(ごうご)し、秘書のグレース(オーストラリア出身の美人女優、ローズ・バーン)からはバットマン気取りと皮肉タップリに揶揄(やゆ)される………それがスタックスという男。
彼が自分の運転手に
「もし私に雇(やと)われてなかったら私に投票するか?」と聞くと、
「いいえ。」
「正直にありがとう、クビだ。」
………それがスタックスという男。
広すぎるくらいの部屋に住み、召し使いも雇わず、そこで一人でいるのが好きで、親しい人間は片手の数だけで十分と言いながら、アニーからは「(数えられる指を挙<あ>げず)拳(こぶし)を作ってるわよ。」と指摘される………それがスタックスという男。
現代の富の象徴(しょうちょう)は無人のオートメーションであり、声で反応するスマートハウス仕様(しよう)のスタックス邸(てい)には「食事係」「お風呂係」「洋服係」といった人たちがいない。
彼の住まいはウォール街を擁(よう)するロウアー・マンハッタンにある「新ワールド・トレード・センター」。そこは現代において、新たな発展と再生を象徴する場所………2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で崩壊(ほうかい)したワールドトレードセンター跡地(あとち)である【グラウンド・ゼロ】に建てられ、2014年秋に開業した。
映画はオープン前の新ワールドトレードセンターでロケ撮影をしている。
そんなスタックスとアニーとの出会いの場面………アニーが車に轢(ひ)かれそうになり、間一髪(かんいっぱつ)のところでスタックスによって救われる。
たまたま現場に居合(いあ)わせた一般男性はその動画をYouTubeに即座(そくざ)にアップ。みるみるうちに動画再生回数が増え、それと同時にスタックスの支持率も上がっていくというイカにも現代風の展開となり、スタックスの支持獲得(~かくとく)の為にはアニーの存在が必要となる。
本作は色々な場面で、フェイスブックはもちろん、ツィッター、インスタグラムと、様々なSNSが登場し、市長選挙参謀(~さんぼう)のガイが支持率アップの為に、アニーの名前を勝手に使ってツィッターの公式アカウントを作り、アニーが飼(か)い出した犬のサンディーと一緒に子供達がインスタグラムで撮影してたりと、あらゆる場面でSNSが駆使(くし)され、大胆(だいたん)なくらいに現代風にリメイクされているところが興味深(きょうみぶか)い。
クライマックスのアニーの大捜索(だいそうさく)騒動の場面でもインスタグラムが大活躍している。
過去のアニー作品に登場する犬のサンディーはオールド・イングリッシュ・シープドッグだったが、本作ではチャウチャウとゴールデン・レトリバーのミックスで、チョッと日本犬に近い。これにも不評の声が多いようだが、むしろこの方が原作漫画のイメージに近い。
過去のアニーと比べると、新作映画における各キャラの強気な性格やひねくれた性格、打算的(ださんてき)生き方や悲惨(ひさん)さや展開の違いに低評価の声が多い。が、逆にそれが本作の魅力の一つであり、汚(けが)れのない夢見る砂糖菓子のような甘いだけのモノを求めていない私からすると、この方がシックリとくる。
因(ちな)みに本作は毎年の最低映画を選出する第35回ゴールデンラズベリー賞で「最低リメイク・パクリ・続編賞」を受賞している。
一方で、アカデミー賞の前哨戦(ぜんしょうせん)とも呼ばれ、アメリカ合衆国における映画とTVドラマの優秀な作品に与えられる
ゴールデングローヴ賞 では、アニーを演じたクヮヴェンジャネ・ウォレスが
主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) にノミネートされている。
クヮヴェンジャネ・ウォレスのアニーにはバネがある。
設定が現代に変わっても物語の骨格は過去のアニーと同じだが、本作でのアニーはある種のヒーローのようにも見える。
映画の舞台となる現代のニューヨーク・ハーレムで子供が生き抜くには大人顔負けの打算や策略(さくりゃく)や知謀(ちぼう)も必須(ひっす)となるのは当たり前。現代のアニーだからこそ砂糖菓子だけじゃ成り立たない。
そういう大人にとっての理想的な子供像ではない小生意気(こなまいき)なアニーの姿には逞(たくま)しささえ感じる。
♪こんなに厳(きび)しい 私たちの人生
歓迎(かんげい)なんてされない
キスでなく キックされる つらい人生♪
全(すべ)ては生きるため。
人にぶつかった弾(はず)みで自分の出生記録の紙が道端(みちばた)の汚ない水溜(みずた)まりに落ち、その水面(みなも)に浮かんだ自(みずか)らの顔を見ながらアニーは自身を鼓舞(こぶ)するかのように♪tomorrow(トゥモロー)♪ を唄い出す。
♪暗い寂(さび)しさから抜け出せない時には
アゴを上げて 笑顔を作って
つぶやくよ
明日になれば太陽はのぼる
だから明日までがんばろう♪
それにしても本作で引退とされるキャメロン・ディアスが愉快(ゆかい)に演じるアニーの里親・ハニガン役のヤサグレ感のハンパ無(な)さは爽快(そうかい)ですらある………メイキング映像でのキャメロンの楽しそうな様子がとても印象的だけに、引退は残念だ。
【↑左端=キャメロン・ディアス】
元々コメディ演技に定評(ていひょう)があるキャメロン・ディアスは彼女の引退作品となる本作でもハジケた素晴らしい仕事をしている。
そのハニガンも、行政からの補助金目当て(子供一人当り、週に157ドル)でアニーを含(ふく)む複数の孤児を預(あず)かっているだけで、酒浸(さけびた)りの堕落(だらく)した生活を送っている。
90年代のミュージシャンが成功を夢見て挫折(ざせつ)し、今は落ちぶれて忸怩(じくじ)たる思いの日々を送っているハニガン。
♪私のいるべき場所は
専用ジェット,ステージ,MTV
なのにこのゴミ溜(た)め
檻(おり)の中でネズミどもと暮らす
このみすぼらしさの出口はどこ?♪
そんなハニガンに逃げ道はあるとウマい話を持ち掛けるのが選挙参謀(~さんぼう)のガイ。
彼女は金目当てにガイと結託(けったく)してニセモノのアニーの親を仕組んだりもするが、自分の歌について「声が好きだ」「聴くと良い気持ちになれる」と、褒(ほ)めてくれるアニーの言葉をスタックスから聞いて罪悪感に苛(さいな)まれるシーンが胸を締(し)め付ける。
♪今の私はどんな人間?
主義はある?それとも欲だけ?
いい子の私はどこへ…………♪
「WHO AM I」 と題されたこの名曲は、過去のアニー作品にはない2014年版映画の新作オリジナル曲で、両親を探し続けてニセモノの親と会ったアニー、富と名誉を手に入れたが孤独な社長スタックス、青春時代の挫折(ざせつ)から立ち直れずにいる元歌手ハニガンの心情(しんじょう)をストレートに表現した内容になっており、それぞれが違う場所で唄っている歌声がやがてはシンクロし、感情を揺さぶり盛り上がるシーンだ。
スタックス ………♪私は誰だ?
心の鎧(よろい)のせいで愛を求めていたと
君に気づかされた♪
アニー ………♪私は誰?
独(ひと)りぼっちで家と呼(よ)べる場所をずっと探(さが)してる
両親と出会って嬉(うれ)しいはずなのに
何かが違う♪
この映画をプロデュースしたのは、ラッパーとしても活躍する俳優のウィル・スミスと音楽プロデューサーのジェイ・Z。彼らと監督、音楽、振り付けスタッフらの音楽センスも上手(うま)い具合に溶(と)け込(こ)んでおり、作品内の数々のナンバーも現代風にビートの効(き)いたドラムを効果的に使い、聴いてても飽(あ)きがこない。
2014年版としてアップデートされた映画『アニー』は、甘いだけではないポップでエネルギッシュな作品だ。
ゴールデングローブ賞主題歌賞にノミネートされた2014年版「アニー」の新作楽曲「オポチュニティ/opportunity(機会,好機)」 。
♪ すごく明るい光の輝きの下で
暖かい夜空に向かって顔をあげるの
もう無数の目も恐れない
どうにもできないことがあっても
500の笑顔があるわ
扉を開けるのは私 だから力の限り歌うわ スポットライトの下で 新しく歩き出そう♪
心に思い描(えが)いてきた夢が、現実に近づいてゆく瞬間(しゅんかん)の新たな決意、そして胸の高鳴(たかな)りを発露(はつろ)するナンバーで、明日への希望を歌う「トゥモロー」のまさに第2章とも言える内容の名曲を、アニーのクヮヴェンジャネ・ウォレスが唄い上げるシーンはまさに圧巻(あっかん)で、今という時代に生きるエネルギッシュなアニーがそこにいる。
生活環境(~かんきょう)が一変(いっぺん)してもアニーが求めるものにブレはない。
喜びを分(わ)かち合い、笑い合える人がいて、希望を持てる生き方が出来れば、それは明日へとつながる。
時代に合わせて形やパッケージは変われど、この作品の根幹(こんかん)はあくまでも家族と希望を描くことにある。
・・・・・・・・・・・・・・・
「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」 と、スナフキンは言った。
北朝鮮の少女・ジンミも、そしてアニーのような境遇(きょうぐう)の子も含(ふく)め、世界中の全(すべ)ての子供たちに必要なのはティラミスのように元気に引っ張り上げ、アシストしてくれる周囲(しゅうい)の環境(かんきょう)だ………ジンミの場合は相当に困難である事が何とも悩ましい。彼女にはアニーのように希望や夢や明日を信じる環境がそもそもない。
世の中は、そして生きていくという事は思い通りにいかない事の方が圧倒的に多い。
それでも心折れずに明日を信じて今日を生きていくには、希望を口ずさめる精神力が必要となる。
笑って怒って涙して、ヤンチャもしてもがき苦しみジタバタして。
何でもいい。
とにかく顔を上げて、メロディを奏(かな)でてみる事から始めてみる事が大切なのかも知れない。
…………【追記】
人々の目に晒(さら)されるプレッシャーについて、「重すぎるエネルギーを感じていた」と話すキャメロン・ディアスは、映画にはもう出演しないと事実上の引退宣言をした。
「映画に出演するということは、映画に支配されるという事。1日12時間、何ヶ月も撮影し続ける。他のことは何も出来なくなる。
そして私は、自分の人生をバラバラのパーツにして他の人々に明け渡しているということに気づいた。
私はそれを取り戻して、自分の人生を生きる責任を持たなきゃいけなかった。 」と、彼女は語る。
「他人に教えてもらうんじゃなくて、自分がどう生きたいのか、どこに進みたいのかを自分で考えたかったの。 」
そして引退後の今では「私は魂の平和を得たの。ようやく自分自身をケアするようになったのよ。」