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まもなく上映です Way Back In to Love

宣伝、勧誘、友達作りや何らかの利益を得る目的でもなく、単に自分の記憶&雑想整理の為に書いてるだけなので、どちらかと言うと寄り道がメインの、わがまま気分屋ブログである事を御承知おき下さい。。

『どう交渉すればいいかという交渉のテクニックを求めてこられた時、私は人間として何が正しいのかという一点で考えているだけですから、もともとテクニックなど何もなく、「人間として正しいかどうかを基準に考えて、それはおかしいということを主張してきただけです。」と答えました。』……………稲森和夫(1932年~/京セラ,第二電電<現・KDDI株式会社>創業者)

稲森和夫が三十代前半で会社を始めていろいろ悩んでいた時期に、江戸時代の京都の商人だった石田梅岩(いしだばいがん)という人のことを知り、《商(あきな)いは我も立ち先も立つことが必要で、自分もうまくいき、相手もうまくいくことが商売だ》という梅岩の言葉に、これだ、と思ったそうである。

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ボウフラは人を刺さない。だが、蚊(か)になれば人を刺す。これは蚊に人を刺してやろうという心があるからだ。また、蛙(カエル)は、蛙だから蛇(ヘビ)を怖がる。これは蛇が怖いという心がそうさせる。つまり蚊には蚊の心があり、蛙には蛙の心があり、その心が決めている。

すなわち心とは形となって表れる。何かの形は、そのものの心を表している。したがって、正しい行いをしたければ、まず正しい心をもたねばならない………石田梅岩』



【↑石田梅岩像(大阪府堺市・菅原神社)】

江戸時代中期の思想家である石田梅岩(いしだばいがん/1685~1744)は、《(石門心学(せきもんしんがく)》の祖といわれているが、中国の明(みん)の時代に、王陽明がおこした※儒教(じゅきょう)の一派である陽明学(ようめいがく)でも"心学"という用語を使うことから混同を避けるために《石門心学》と呼ばれ、いつしか略されて「心学」が一般的呼称となっていった。

※儒教(じゅきょう)………紀元前の中国に興(おこ)った、孔子(こうし)を始祖とする道徳・倫理(りんり)の思想・信仰の体系………※※※

"心学"とは元々は儒教の言葉であるが、梅岩の場合は、商人の誠心誠意の働きを説き、"正直な商(あきな)い"を旨(むね)とする思想であり、簡単に言えば読んで字のごとく、【人間の心を学ぶこと】で、自分自身を問題にする実践道徳哲学である。


………石田梅岩は、数えで11歳のときに京都の商家の丁稚(でっち)になるが、その店は倒産してしまい、梅岩は倒産後も「奉公に出たら主人を親と思い大切に勤めよ。奉公先の恥(は)じを口外してはならない」という父親の言葉を実直に守り、国元にも帰らずに人足(にんそく/力仕事に従事する労働者)のような仕事をして、潰(つぶ)れた奉公先の主人を養っていた。

やがて、そのことが父親に知れ、十五歳の時に故郷に連れ戻され、二十三歳の時、ふたたび京都に出て、今度は大店(おおだな)の呉服商に奉公し、その実直さと勤勉さが認められて番頭にまで出世する。

だから彼は商売については身をもって詳しく、単なる思想家や学者が説いた机上(きじょう)の商人道ではないところに重みと説得力がある。


★★★………石門心学が世に受け入れられていった背景を知るには、当時の日本の経済状況に注目する必要がある。

………元禄(げんろく)時代(1688~1704)に入ってからの日本の景気は、金銀の国内産出量が低下しているにも関わらず、貿易においては金銀の海外流出が続き、その一方で経済発展により貨幣需要は増大していたことから、市中に十分な貨幣が流通しないために経済が停滞(ていたい)するという、いわゆるデフレ不況の危機にあった。

そこで幕府が考えた事は、金銀本位の《実物貨幣》から幕府の権威による《信用通貨》へと移行することができれば、市中に流通する通貨を増やすことが可能となり、財政をこれ以上圧迫することなくデフレを回避できるという事だった。

元禄8年(1695年)、幕府はそれまで出回っていた慶長金(けいちょうきん)・慶長銀を改鋳(かいちゅう)………つまり作り直して、金銀の含有率(がんゆうりつ)を減らした元禄金・元禄銀を流通させた。

これにより、豪商や富裕層が貯蓄していた大量の慶長金銀の実質購買力は低下し、商人たちは貨幣価値の下落(げらく)に直面して貯蓄から投資へ転じた。

こうして経済構造に変化が生じ、幕府財政に負担をかけずに緩(ゆる)やかなインフレをもたらすことが実現され、その結果、経済は好景気に沸(わ)き、いわゆる《元禄バブル》を享受(きょうじゅ)することになる。

ところが連続する大規模な自然災害に加え、《宝永(ほうえい)の大火(宝永5年3月8日<1708年4月28日>)》→→天皇の御所や上皇(=じょうこう/天皇の位を生前に後継者に譲った天皇の称号)法皇(=ほうおう/俗世間から離れて仏門に入った上皇に送られる称号)の御所なども含めて公家(くげ)屋敷95軒、家屋(かおく)1万351軒、寺社(じしゃ)119カ所、大名屋敷21軒が焼失し、文字通り京都市街の多くが火の海となった大火や、将軍の代替わりによる出費が続いたという不運もあり、幕府の赤字財政からの脱却は困難を極めていた。

そこで財政赤字の補填(ほてん)を目的として宝永3年(1706年)には宝永銀、宝永7年(1710年)には宝永金・永字銀と立て続けの貨幣改鋳(かへいかいちゅう)を行ったが、その結果、銀貨を筆頭に価値が大幅に低下して通貨量が増大したことから著(いちじる)しいインフレが発生し、商人が保有する資産価値は低下、そして景気が悪化して、華やかな元禄文化は終止符を打ったのである。



………皆がじゃんじゃん金を使うことから始まった、いわゆる《元禄バブル》がハジけてしまい、有力商人が相次いで追放・財産没収の憂(う)き目にあい、経済的にも停滞期であった閉塞感(へいそくかん)漂(ただよ)う世の中になり、商人だけでなく、一般庶民たちが日々どのように生きていけばよいのか困惑している中、石門心学は儒教・仏教・神道に基づいた道徳を通し、人としてあるべき姿を独自の形で、そして町人にもわかりやすく身近な例を用いて日常に実践できる形で説いたのである………★★★★★


心学は「町人の哲学」とも呼ばれていた。

私たち日本人がよく使う「本心」という言葉は、石門心学が最初に使いはじめたものだ。

その核心は、宇宙万物が等しく持つ「自然的秩序(~ちつじょ)」を人間も持っている。人は誰でも人の形に基づく性・本心を持っており、欲心に惑わされず、本心に従うことが人の道であり、商人の道であるということ。

………事態が進展しない、問題が解決しない事を「埒(らち)があかない」と我々は言うが、元々は「物事の決まりがつく」「カタがつく」などの意味として「埒が明く(らちがあく)」という表現をしていた。が、現代ではナゼか否定表現である「埒が明かない」と使われることが多い。

「らち(埒)」とは囲(かこ)いや仕切りのことで、主に馬を繋(つな)ぎとめる馬場の周囲に設けた柵(さく)のことをさす。

梅岩は、人の一生のなかで自分で自分を卑下(ひげ)したり自分を高慢(こうまん)にしてきた自身の人生の流れを歴史に見立て、自分という性(さが)をつくっているのは、年代を追って重なってきた地層のようなものだと考えた。

彼自身、生来が正直で律儀(りちぎ)で、物事を理詰めで考える真面目な性格だった。

ある時、あまりに理詰めで物事を考え過ぎて、体調を崩したことを心配した主人から「気晴らしに遊んで来い」と言われ、一時は遊びに興(きょう)じたが、回復後も遊んでいた自分をふと反省し、「これは主人のお金を使っている限り、盗みと一緒だ」と考え、衣類や脇差(わきざし/護身用の小さな日本刀)を売ってまでして遊興費を返したというエピソードがあるほどだ。

しかしそういう性格ゆえに、他人からすれば意地悪で理屈っぽく融通(ゆうづう)がきかないと見られ、周囲から嫌われていた事を自身も自覚しており、何とか自分の中の不自由な地層を掘り起こそうと、過去の一枚一枚のネジくれた地層・壁を砕(くだ)き、そして、その奥に眠るナマの純粋な層と対峙(たいじ)し、本来あるべき性格=【本心】を取り戻そうとしたのである………それを彼は「手前の埒をあけていく」という表現をした。

要は世俗(せぞく)の固執(こしつ)、執着(しゅうちゃく)、依存(いぞん)に囚(とら)われないところの、沈黙の内なる心を指しているのであろう………言葉として外に出してしまうと、もう余計なものがくっついているからである←←吉本隆明からの受け売りだが(苦笑)。

人は誰でも日々を生きるにあたって様々な事に興味を持ったり夢中になったり、欲しくもなったり、頼ったりスガッたり、意固地になったり反発したり、個人の解釈やルールやプライドに固執しようとするもので、その積み重ねがその人の歴史となり顔となる。つまりは、それらを取り除いたところの人としての自分の原点に立ち返れ、という事なのだ。

人生とは、自分の心の創造物。

道を行くためには、"他者の言葉"ではなく、自分自身が道にならねばならない………

迷い道や袋小路(ふくろこうじ)に入らないためにも、原点に立ち返るというのは不可欠なのである。

注意………

混同されやすいので、敢(あ)えて補足しておきたいのだが、ここで言う本心とは、巷(ちまた)で頻繁(ひんぱん)に使われる《潜在意識(せんざいいしき)》の事ではない。

潜在意識》は、『ポジティブ』『プラス思考』『マイナスイオン』『水素』『コラーゲン』『アルカリ』『トルマリン』『自己啓発』『引き寄せの法則』等々と同様、詐欺的勘違いビジネスに利用されやすいキーワードであるが、そもそも《潜在意識》というのは反証ができない命題であり、反証不可能な命題は正しいとも間違っているとも結論を言わせない非科学的ワードで、いわば言った者勝ちとなり、【見かけ上の】論理的整合性だけは強い単なるキーワードの一つという程度の認識で良い。

つまり、《潜在意識》という言葉を振りかざすようなものは、正直で誠実な真心を旨(むね)とする心学の精神とはかけ離れている事に注意してもらいたい。

日本では「不自然」という言い方が批判の意味合いになるが、「本心」は「自然」であり、人の形に基づく人の心である。

自分の中に世界の秩序を構成する天然自然があり、それが「本心」を成(な)しているのだ。

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当たり前のようでいて、実は疎(おろそ)かになりがちな事………事業の基盤は顧客(こきゃく)や従業員からの信用・信頼である。

梅岩は言う………

」とはお客さまに対する思いやり。
」とは人としての正しい心、正直のことで不正やインチキをしない。
」とはお客様をうやまう心がけ。
」とは知恵を商品に生かす心………この四つの心を備えれば、お客様の「信=信用・信頼」となって商売はますます繁盛するのだ、と。


………彼の言う『商人の正直さ』とは、要するに、富の主は本来、天下の人々であるという事。

だからこそ、自分の個人的欲望をはなれて、「生れながらの正直」つまり宇宙的真理の心にもとづいて商売をする、それが商人の道だと考えた。

そして、その"正直"によってこそ『真の商人は先もたち、我もたつことを思うなり』=「自分がお客様だったら、何をしてもらいたいか」という主客一体化の視点から、相手の立場にたってサービスを工夫すること………それが、商売を成り立たせる最大の根拠であると、ドラッカーよりも250年も前に経営の本質を理解していた梅岩は言う。


科学はモノの本質を究(きわ)めることを目的とするが、心学は心の本質を究めるのがその目的であり、道徳にかなった性質や行いを生活思想にまで高めようとし、当初は都市部を中心に普及していたが、次第に農村部や武家にまで広がり、江戸時代後期には大流行して全国的に広まり、そして、明治期には衰退(すいたい)していった………。

日本人の"美徳"の一つとされているのが「勤勉と倹約(けんやく)」だが、それを平易(へいえき)で実践的な言葉で提唱し、現代にまで続く日本人の習性として影響を与えたのが、石田梅岩その人であり、《心学》だったと言われている。

寛政(かんせい/1789~1801)以降の事………落とし物の大金を届けた正直者の芝浦の魚売りの実話を元にした噺(はなし)に、当時、流行していた心学を落語に取り入れ、特に庶民の女房に焦点をあて、女性の働きを尊重して家庭味や生活感の彩(いろど)りを添(そ)え、一方で酔っぱらいで怠(なま)け者である亭主の右往左往(うおうさおう)する姿を滑稽(こっけい)に表現しつつも、心学でいうところの誠実さと真心を込めた人の道を暗に説いたものが古典落語の人情噺(にんじょうばなし)の傑作の一つ『芝浜』である。

一般的に『芝浜』の成立は、お題を三つ、お客様からいただいて、その場で落語に仕立てた即興噺(そっきょうばなし)で、「酔っ払い、芝浜、革財布」という三つのキーワードから出来たとされているが、この説の根拠はどうも怪しいらしい………

🍵🍵🍵🍵🍵芝浜』………………

貧乏だけれど機嫌(きげん)よく働く、そういうお前さんをいつまでも見ていたくて、わたしゃ、一緒になったんじゃないか!それなのに情け無いねェ!近頃のあんたは、一体どうなっちまったんだいッ?!

………呑(の)んべいの魚屋・勝五郎………腕はいいが酒に溺(おぼ)れて仕事をしなくなっていたのだが、女房にたたき起こされ、しぶしぶ半月ぶりに魚河岸(うおがし)のある"芝浜"へと出向く。



………現在の東京都港区にある、山手線や新幹線が走る線路とマンションとの隙間(すきま)に細長く存在する本芝(~ほんしば)公園となっているあたりには、江戸時代、「雑魚場(ざこば)」と呼ばれる魚市場があった。

この場所は昭和39年(1964年)頃まで漁船の入る入江(いりえ)になっており、魚市場本芝組の雑魚場(ざこば)として江戸前の魚介類が豊富に揚(あ)がり、浅草海苔の生産地としても有名だった。

本芝公園内には『~昔、浜になっていて、舟で魚を運んでここで魚河岸としての商(あきな)いが行われていました~』という案内板もあり、ここら辺(あた)り一帯が昔、"芝浜"とよばれていたことがわかる。


🍵………勝五郎は、女房が時間を間違えたために、まだ誰もいない時間に河岸(かし)に到着してしまい、仕方なく煙草を一服していると、ひょんなことから大金42両の入った革財布を拾う事に。

これでもう働かなくてもいいぞとばかりにバカな亭主は友人を呼んで飲めや歌えのドンチャン騒ぎ。翌日女房に同じように起こされ目を覚ましたところ、「そんな大金なんてどこにもないよ!おまえさん、貧乏がすぎて夢みたんだろ。」と女房………

さあ大変である。お金もないのにドンチャン騒ぎをしてしまっては稼ぎもないのに借金だけが残ってしまう。


情け無いねぇ! 本当に酔っ払いたいんなら、夢で拾ってきたお金や、私が借り集めてきたお銭々(ぜぜ)で酔うんじゃなくて、おまえさんが自分の腕と足とで稼いできたビタ(鐚/劣悪な銭貨)で、堂々と酔っ払ったらどうなんだいッ?!


そして女房は私が切り盛りするから働いてちょうだいというので、観念して一念発起した勝五郎は酒をぷっつりやめて仕事に精を出す。

………そして三年後。

真面目に働いてきた夫婦は長屋の裏から表に出れるようになるまでに、財を築く。

大晦日(おおみそか)、畳も新しくなった家で、女房は財布を出してくる………それは、三年前に勝五郎が芝浜で拾った革財布だった。

大金を拾ったのは夢ではなかったのだ。

大家(おおや)さんに相談して、お前さんには夢だったことにして噓をついたのだと謝(あやま)る女房に、怒る亭主。

しかし、よくよく考えてみれば、あのまま大金を手にしていればロクな生き方しか出来なかったであろうと、勝五郎は逆に女房に頭を下げる。そして、すすめられたお酒を飲もうとして………

………やめとこう、夢になるといけねェ。

……………🍵🍵🍵🍵🍵

………落語『芝浜』は、賢(かしこ)い妻が機転を効(き)かせて亭主をくるめ、真人間に戻らせるという、やや教訓めいた話とも受け取れる。

だが、『落語は人間の小ささを大切にする。始末の悪さ、愚かさをそのまま語る。そこが落語の物凄いとこなんだ。』とする立川談志(たてかわ だんし/1936~2011)は、独自の『芝浜』を構築した。



談志の"女房"はあくまで、江戸のどこにでもいそうな、普通の平凡な情けない女であり、貧しさゆえに亭主が財布を拾ったことが実は嬉(うれ)しかったと打ち明ける女房だ。

「窃盗(せっとう)がみつかれば死罪」と大家に脅(おど)され、やむを得ず42両を隠して夢と偽(いつわ)ったときのことを、談志の「女房」は泣き崩れながらこう告白する。

夢じゃなかったんだよ………
お前さん、本当に拾ってきたあん時。うれしくてどうしようかと思って。

ぶったっていいの。
ぶたれたって蹴飛ばされてもいいけど………。

怒ってもいいけどすてないでよね、お前さん………あたし、おまえさんの事、好きなんだもん。

嘘と金の必要がなくなった談志の"女房"は亭主に「お酒を呑(の)もう」と言う。

彼女にとって、恐いものはもう何もないのである………好いた亭主さえいてくれれば。

そういう女房への勝五郎の返しが、「夢になるといけないから。

勝五郎と女房にとっての真の幸せは、自分の心の地層を掘り起こした奥にある"本心"………互いを思いやる真心の夫婦の姿だったのである。

………口から刃物が出てるのかと思わせるくらいの遠慮のない暴言ともとれる言葉を発し続け、世間的にはその荒唐無稽・破天荒なスタイルばかりが目立つ立川談志だったが、生涯、この『芝浜』を演じ続けてきたところに、彼の"本心"が伺(うかが)えるような気がする。

立川版『芝浜』は、他の噺家(はなしか)とは一風違った変化球のようにみえる。が、案外、心の本質を究(きわ)める心学の精神に、もっとも近いのかも知れない。

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アメリカ合衆国東部のメイン州で時計職人をやっていたフィニアス・クインビー(Phineas Quimby/1802~1866)は、ある日、肺結核(はいけっかく)だと医師に診断される。

そして医師の指示通りに静養していたが、一向に状態が良くならなかった。

当時の医学では結核は根治(こんち)不能であり、空気のいいところで、滋養(じよう)のある食べ物を摂取して、静養するぐらいしか対処法がなかった。

彼は開き直るしかすべはなく、友人と田舎に出かけ乗馬をしたりするなど、好きにしていた。

そうしたら、なんと結核の病状がおさまってしまい、この体験から彼は、「病は気の問題なのではないのか?」と、思い始める。

30歳を過ぎたあたりで、クインビーは、フランスからやって来たシャルル・ポイアンという人物が行った、※メスメリズムを源流とする催眠術のデモンストレーションに大きな衝撃を受け、自身の人生を変える事となる。

「この薬は効(き)きますよ!」と言われて信用して飲めば、それが実は小麦粉でも水でも効果があるという《プラシーボ効果》を目の当たりにした彼は、心の問題を解決すれば病気は治るのだと確信するようになり、自(みずか)ら「治療師(…要は催眠術師)」となったのだ。

その後のクインビーは、様々な霊能力()を見せることによって生計を立てていたが、同時に患者の病気の診断と処方も行っており、それらの経験から次のような考えに至(いた)る。

病気は基本的に患者自身の誤った信念から生じるものであり、この誤った信念を正すことで治療できる。

病気があるという考えそのものが体の不調や病気を引き起こしているのだ。


※メスメリズム………現代の催眠術を語る上で避けて通れないのがメスメリズムである。↓↓↓

18世紀末のオーストリア・ウィーンで開業医をしていたフランツ・アントン・メスメル(1734~1815)は、生命現象をつかさどる物理的流体が宇宙に存在すると唱え、これを動物磁気と名付け、動物磁気を操作することで患者の病気を治すことができると主張し、磁石を使わず、手のひらを患者の体にかざし、接触することなく撫(な)でることで動物磁気を与える治療法を考案する。

その後、メスメルの弟子のピュイセギュールが、磁気催眠に陥(おちい)ることにより、医師と患者の間で流体が循環(じゅんかん)する交流状態が発生し、この状態の間は医師が意図する通りに患者に行動を起こさせる、つまり痛みを取り除けるというのがピュイセギュールの理論であり、その後は彼の理論がメスメリズムの中心となっていく。

メスメリズムに感銘(かんめい)を受けたイギリス人医師のジェイムズ・ブレイドは、メスメリズムによる催眠状態は動物磁気ではなく心理生理学的な現象によって引き起こされていることを証明する論文を提出し、後に、メスメリズムに代わり「神経催眠」という言葉を生み出し、凝視(ぎょうし)法という催眠導入法を考案。そして、神経催眠は「催眠」と呼ばれ、現在に至っている………※※※※※


………クインビーが、催眠術を利用して患者の心を覗(のぞ)いたところ、その多くの人々の心が、神への怖れ、神に選ばれていないような自身のあり方への不安に支配されている事に気づく。


『今までの伝統的なキリスト教の解釈が人間を幸福にしないのならば、ここできちんと、あらためて解釈し直さないといけない。』………やがて、それが以下のような《思考》へと発展することになる。


あなたや社会の不幸を生むのは信仰の不確実さがそうさせているだけで、"原罪"というものは存在せず、万人が「キリスト」の力を内に秘めているのだ。

人間の心情と意識と生命は、宇宙と直結しており、要するに、あなたの心が明るければ、運命は開き、世界は繁栄する………それだけの世界を神は用意しているのだ。


………この考え方が、19世紀に起きた《ニュー・ソート(New Thought)》と呼ばれるキリスト教の新潮流となり、やがてそれはアメリカの《ポジティヴ・シンキング=積極的・楽観的思考》の源流となり、1860年代から全米に急速に広まり、やがて世界中へと伝わっていく。

日本でも人気がある「潜在意識の法則」を提唱した英国人牧師のジョセフ・マーフィーも、「成功哲学」の提唱者であるナポレオン・ヒルもこの流れの中に入る。

この流れは『思えば叶(かな)う』『思考は現実化する』という拡大解釈を引き起こし、後の《自己啓発》や《引き寄せの法則》等々に繋(つな)がってゆく。

***

ネット上をはじめ、巷(ちまた)に腐(くさ)るほど乱立する自称カウンセラーや〇〇コーチング等々は、それらを名乗るのに資格も学歴もいらない。

民間資格でありながら高度な養成課程に基(もと)づいた公的活用が行われる"臨床(りんしょう)心理士"は名称独占資格であり、資格がなければ臨床心理士を名乗ることはできないが、誰かが(…今、この記事を読んでいるアナタでも!)ある日突然、「心理カウンセラー」「人生のコーチング」等を名乗って客をとり、カウンセリングを行い、料金をとってもOKであり、奇跡を呼ぶ〇〇や〇〇暦、霊能力、スピリチュアル云々等を標榜(ひょうぼう)するタイプに至っては、もうゲロゲロ状態だ。

勿論(もちろん)、資格があってもスキルや経験に乏(とぼ)しかったりする場合もあり、資格はなくても良心的なカウンセラーが全(まった)くいないとは言えないが、耳ざわりの良い美辞麗句や癒(いや)し的または神秘的な言葉、あるいは不安を煽(あお)る言葉ばかりを羅列(られつ)するばかりのネット上のサイトやブログや広告などでの表面上の文言では見分けがつかず、結果的に個人情報(メールアドレスも!)や金のやり取りが発生する"詐欺的ビジネス"が横行しているのが現状で、それらは悩みや病や障害に苦しむ人々を今も洗脳し続け、勢いがやむ気配もない。


詐欺的洗脳ビジネスや宗教以外でも、様々な占いや霊能力、美容&療法&健康法と称するもの、またはセラピー、カウンセリング、コーチング、政治思想、哲学、導きの言葉等々、勿論、本記事でも紹介した石門心学も含めてだが、人々の心や感性に訴えかけるもの全てについて、盲目(もうもく)的にそれを信じる、信奉(しんぽう)する、頼る、スガるという行為には、《例外なく》必ず危険な副作用が含(ふく)まれている事を肝(きも)に命じなければならない。

もし、あなたが何の疑問も持たず、まだまだ吟味(ぎんみ)や精査する余地(よち)があるという認識もなく、『これは間違いなく正しい。』と信じ込むものがあれば、それはあなた自身の思考に歪(ゆが)みがある証拠である。

言い換えれば、人間の思考なんて、元々歪みがあるものなのだ。

相手方の個人や組織によっては、人として当然であるはずの、疑問や奇妙に思うことや反省点を指摘する事が憚(はばか)られるような空気を醸(かも)し出し、そういう考えを起こす事自体を『迷いだ、罪だ、魔だ、罰当たりだ』などと逆に非難(ひなん)してくるケースも多々あるが、そのような教えは"生きている人間"そのものを否定しているようなものであり、そういう"人間を否定する"ようなものを人間が信じる必要はない。

最悪なのは、そんな思考さえも働かない状態とあれば、かなり重篤(じゅうとく)である。

あなた自身がロボットや奴隷(どれい)のままで良いというのならば、この文章は無視してもかまわない。すでに死んでしまっている人間に用はない。


………どんなに疑り深い人間でも必ずエアポケットはあり、宗教団体は忌(い)み嫌っていた者でも、こういう詐欺的商売には引っ掛かってしまったというケースは筆者も沢山(たくさん)見聞きしている。

我々が注意しておかなければならないのは、そもそも人間が持っているメカニズムを先(ま)ずは理解しておく事だ。

人間の身体というのは健康を改善しようという機能を元々持っており、暗示をかけるという行為は、回復に向かおうとする機能を加速的に後押しする役割を持つというのが正確な表現である。

また、『〇〇を信じて癌(がん)が治りました!』という体験談を話す人も世の中には少なくないが、同じ癌でも"スピードタイプ"と"のんびりタイプ"とがあり、治ったり手術をしなくても長生き出来るガンの多くは単純に"のんびりタイプ"であったという事実は見過ごされがちだ………無論、いずれにしても早期発見に越したことはないのだが、残念なのは、癌のタイプ種別の見極めは、ベテランの医者でも難しいものなのだそうだ。


◆◆◆………多くの亡くなった癌(がん)患者を解剖(かいぼう)した医師によると、『広い意味では癌による死と言えるだろうが、癌そのものが直接の死因ではなかった』というケースに遭遇(そうぐう)することも少なくないそうだ。

癌がいくら巨大になっても、生命の維持に重要な部分(臓器)が何とかその活動を保(たも)たれていれば生きていくことができ、癌が全身に転移しながらも長期間生存した患者もいる。

抗がん剤の副作用で、癌以外の臓器にダメージが生じ、それが引き金となって亡くなる方もおり、無理に治療しなくても、「癌悪液質」による衰弱(すいじゃく)死のほうが、安らかな亡くなり方だったかもしれないと思われる場合もあるという。

癌悪液質………細胞間で細胞の増殖(ぞうしょく)や分化、細胞死や治癒(ちゆ)といった情報伝達を行うタンパク質の総称を《サイトカイン》と呼び、健康な体にも当然意味があって存在するのだが、これが癌というケースになると、癌細胞が放出する物質と、癌細胞に反応して体が放出する物質も《サイトカイン》であり、筋肉や脂肪(しぼう)細胞、そして肝臓(かんぞう)に働くことによって生じる悪性のものとなる………◆◆◆◆◆


さらに、人間の脳というのは誰でも《現在から過去を見ようとする》性質があるため、出来事を現在に合わせて都合良く解釈してしまうという傾向がある事を忘れてはならない。

宝くじに当たった人が、「〇〇神社にお参りしていたから当たった」「奇跡の〇〇を持っていたから当たった」などと考えたり、ビジネスやその他の事などで何らかの成功や克服(こくふく)体験を持つ人などが他者に向けて、例えば時期が良かった→良い人と巡り会った→チャンスが来た→「成功した」という時系列を、最初から現在の結果が見えていたかのようにストーリーを語るようになる………これらはコジツケだろうが何だろうが無理矢理にでも因果(いんが)関係を求めようとする脳の性質がそうさせているのであり、真実とは異(こと)なる。

だが、物事を都合よく考える人間にとっては、「成功する未来を信じていた」という《脳がテキトーに作っただけのストーリー》は、「思えば叶(かな)う」「思考は現実化する」という"魔法の言葉"の裏付けや根拠(こんきょ)だと信じるようになる………そういう流れが成功術・成功法則として拡大解釈されて、あらゆるところで「成功する秘訣」としてある種の"宗教状態"となってしまっているのだ………まあ、元々のタネがキリスト教の新解釈・ニューソートから始まったものであるから、はじめから宗教の道へ進む運命にあるのは仕方のない事かも知れない。

人間の脳というものは非常に高度なメカニズムによって成り立っているが、その反面、脳が錯覚(さっかく)や勘違いを日常茶飯事に起こしやすいという性質を持っている。結果、その事が様々な宗教や占い、霊的・スピリチュアル的なもので大衆を食い物にしようとする連中に利用されてしまうという事件があとを絶たない。


………個人の好き嫌い、経験や知識・情報に基づいた自分の解釈やルールを《思考》と呼ぶが、それは人間の"本心"ではない。本心ではないものを現実化しようと念じたところで、無駄なものを"引き寄せる"だけだ。

成功者の本当の現実………それは、想定外の出来事が頻繁(ひんぱん)に起こり、その都度(つど)悩み苦しみ、失敗し、それでも行動する事をやめなかったことにある。

自分が何をしたいか、目標地点はどこなのか、そのためにどうすればいいか、問題を現実的に具体的に考えることをしない者が、魔法の呪文のように"自己啓発"や"引き寄せの法則"にしがみつき、それを利用するビジネスも氾濫(はんらん)するという現代社会の状況をみるにつけ、噺家(はなしか)・立川談志が遺(のこ)した有名な名言を思い出す………

よく覚えとけ。
現実は正解なんだ。

時代が悪いの、
世の中がおかしい
と云ったところで仕方ない。

現実は事実だ。
そして現状を理解、
分析してみろ。

そこにはきっと、
何故そうなったかという
原因があるんだ。

現状を認識して把握(はあく)したら
処理すりゃいいんだ。

その行動を起こせない奴を
俺の基準で馬鹿と云う。

🎬🎬🎬🎬🎬……………

生まれた娘は〈はな〉と名付けた。
花のように、みんなに愛されますように。

がんでこの世を去った女性、33歳。

彼女が幼い娘と夫、家族との日々をつづったブログを基にしたエッセイ本は2012年に発売されるやいなや、常にひたむきな明るさで生きる一家の姿が日本中で大きな話題を呼び、関連書籍やテレビドラマ化、道徳の教科書への採用など社会現象を巻き起こし、そして映画化された。



【↑映画『はなちゃんのみそ汁(2015年12月19日公開/118分/脚本&監督:阿久根知昭/原作:エッセイ「はなちゃんのみそ汁」安武信吾・千恵・はな著<文藝春秋刊>/制作プロダクション:イメージフィールド/製作 :「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ<イメージフィールド、東京テアトル、医療法人寿栄会本間病院、相武台脳神経外科、中央映画貿易、オデッサ・エンタテインメント、西日本新聞社、酒井幸子>/配給&宣伝:東京テアトル/DVD発売:オデッサ・エンタテインメント)』】

【↓映画『はなちゃんのみそ汁』予告編】

🎬🎬🎬………乳ガンを宣告され、不安と恐怖に押しつぶされそうになる千恵(広末涼子)を、信吾(滝藤賢一)は支える決意をし、そして二人は夫婦になった。

闘病生活が始まり、抗がん剤治療の副作用で卵巣機能が低下している中、千恵が妊娠していることが発覚する。

子供を産むということはがん再発のリスクを高め、自分の命を危険に晒(さら)すことになる。

それでも千恵は周囲の支えに勇気付けられ、悩んだ末に産むことを決意。

出産は無事成功し、生まれてきた女の子に“はな”と名づけた。

家族3人の幸せな生活………しかし、病魔は千恵の余命を長くは残してくれなかった。



『残り少ない時間のなかで、私が娘に伝えられることは何だろう』………千恵は、娘が自分がいなくても生きていけるようにと、はなに料理や家族の大切さを教えはじめる………🎬🎬🎬🎬🎬



泣くために映画を観るという趣味はないので、いわゆる"難病もの"というのは積極的には観ないのだが、本作はタイトルが良い。それに惹(ひ)かれて観たといっても過言ではない。

内容も邦画にありがちな泣かせ泣かせのクドイ映画ではなく、病気という事情を除けば喜劇要素もふんだんにある明るいホームドラマという作りで、笑って泣けるあたたかい作品となっている。

日本テレビの24時間テレビ内でドラマ化もされていたようであるが、そちらは観ておらず、ブログやTVドラマについて巷(ちまた)で問題視されているような、代替医療と呼ばれる食事療法や民間療法への偏(かたよ)った傾倒という色合いは本作では強調せず、化学療法も含め、監督はどちらも否定しないように、肯定(こうてい)しすぎないようにという配慮をしているように感じる。

阿久根監督は言う………「みんながみんな傷だらけになりながら、手探りで模索(もさく)して苦しむのががんですよ。その記録ですね、これは。」




4歳で味噌汁の作り方を千恵から教わり、5歳の時には一人で出来るようになったはな。

それからの毎日の味噌汁作りは、母との約束として、はなの担当となる。

しかしそこはまだ子供、時には自分の興味に夢中になり、ダダをこねて味噌汁作りをサボろうとする。

それを叱(しか)る母・千恵の言葉には、“生きること”の本質や喜びとは何かというメッセージが込められている。


もしママがいなくなったら………はなが、病気になったりなんかしたら、ママもパパも悲しいけん、だから、ちゃんと食べて………ちゃんと食べるにはちゃんと作る。食べることも作ることも、いい加減にせん!


ちゃんと食べるにはちゃんと作る………実にシンプルな言葉だが、それは食事に限らず、人生における様々な場面においても生かされる考え方だ。

現実をちゃんと見なければ夢や目標も幻となる。

ちゃんと行動しなければ世界は見えない。

欲心に惑(まど)わされず、ちゃんと本心と向き合わなければ道は開けない。



ウマイ味噌汁が飲める事………幸せのヒントは、案外そんな身近なところにあるのかも知れない。

誰かが言った………『人生は味噌汁のようなもの。おいしい具は底にたまっている。』
1976年に発表された、作家・森村誠一の代表作である長編推理小説『人間の証明』は、2010年までにおいても総計(単行本&各社文庫本)770万部以上を売り上げている大ヒット小説だ。


『宇宙戦艦ヤマト』や『ロッキー』の第一作が公開され、1ドルが日本円で230円台だった昭和52年(1977年)、『犬神家の一族』に続く角川映画第二弾として、映画版『人間の証明(佐藤純彌監督/脚本:松山善三/製作:角川春樹事務所/133分)』は公開された。

作品の質はともかく、今とは勢いもパワーもケタ外(はず)れに違う当時の"イケイケドンドン角川映画"の陣頭指揮をとっていた角川春樹による出版&映画のメディアミックス展開、そして大量のTVCMをはじめとする物量宣伝効果は、映画広告のキャッチフレーズにもなった『母さん、僕のあの帽子どうしたんでしょうね………』という西條八十(さいじょう やそ)の詩のフレーズと共に、宣伝コピーの『読んでから見るか、見てから読むか。』は流行語となり、撮影は〈日活撮影所〉、配給は〈東映〉、興行は〈東宝洋画系〉、そして日本映画初の本格的ニューヨークロケという、従来では考えられなかった前代未聞の製作体制で、映画『人間の証明』は邦画界に新風を巻き起こした。


★★★………因(ちな)みに、本作を製作した角川春樹事務所は1988年、角川書店に吸収されており、現行存在する同名の角川春樹事務所(1995年設立)とは別物である。

当時の角川書店グループ(現・KADOKAWA)の総帥(そうすい)であった角川春樹は、1992年に"角川映画ハリウッド進出第1弾"と称した、アンディ・マクダウェルやリーアム・ニーソン出演の米日英合作・ミステリー大作『ルビー・カイロ』を製作するが、30億円の製作費に対してわずか5億円前後の回収にとどまり興行的に惨敗、これが引き金となって、ワンマン社長であった角川春樹と弟の角川歴彦との対立が浮き彫(ぼ)りとなり、1992年に角川書店内においてクーデターが勃発(ぼっぱつ)、続けて1993年に角川春樹が薬物所持により逮捕されて角川書店を離れる事態に至(いた)り………そして、〈恐竜〉を題材とした映画なのに恐竜である必要がまったくない突っ込みどころ満載の安達祐実主演のファンタジー珍作『REX 恐竜物語(監督:角川春樹/原作:畑正憲/配給:松竹/106分/1993年公開/興行収入37.4億円)』が、角川春樹の角川書店在籍中の最後の映画となった。

映画製作本数65本、製作会社としては空前の※総配給収入463億円という数字を残した角川春樹………功罪はあれど、斜陽だった当時の日本映画界にカンフル剤を打った事は間違いない。

映画宣伝の際は自身が積極的にメディアへ露出し、俳優や監督以上に目立った存在感を放(はな)ち、《角川映画》は角川春樹の代名詞とも言えた。

※配給収入(配収)………興行収入から映画館(興行側)の取り分を差し引いた、配給会社の収益。最近では聞き慣れない用語となったが、今で言うところの"興行収入(興収)"の約50%(ただし、個々の契約にもよる)………※※※

「セーラー服と機関銃」「時をかける少女」「復活の日」「戦国自衛隊」「蘇える金狼」「里見八犬伝」「幻魔大戦」「Wの悲劇」「麻雀放浪記」「天と地と」「蒲田行進曲」等々………《角川春樹製作時代の角川映画》の著作権を巡っては、角川春樹と角川書店との間で係争も起こったが、東京地方裁判所は、角川春樹製作の往年(おうねん)の角川映画の著作権を角川書店側に認める判断を下している………★★★


人間の証明』🎬🎬🎬………赤坂の超高層ホテルのエレベーター内で、日米混血の黒人青年が殺されるところから物語は始まる。

その殺された黒人青年………ニューヨークのスラムにおいて極貧の環境の中で育った、ジョニー・ヘイワード(ジョー・山中)にとっての唯一(ゆいいつ)の心の支えは、いつの日か、幼い頃に優しくしてくれた生き別れの日本人母に会うことだった。

その思いは日が経(た)つにつれ、押さえがたいものとなり、「キスミーへ行く」という言葉を言い残して日本へ向かう………そして彼は、東京のロイヤル・ホテルのエレベーターで刺殺死体となって発見されたのだ。

普通、ナイフで刺されれば、引き抜こうとするものだが、ジョニーは出血して死ぬのを恐れてか、ナイフが刺さったまま、エレベーターに乗っており、そこまでして一体どこへ行こうとしていたのかと、疑問に思う刑事たち。

………亡くなったジョニーは、《西條八十(さいじょう やそ)詩集》を抱いていた。

意識が消える寸前のジョニーの目に映(うつ)ったのは、ホテルのネオン。

ストーハ………。

後に意味が分かる事だが、ネオンの形を表現した謎の言葉………それがジョニーの最後の言葉だった。

ちょうどその頃、ホテルでは、有名ファッションデザイナー(※原作では有名エッセイスト)で、政治家の妻でもある八杉恭子(岡田茉莉子)のファッション・ショーが行われていた………🎬🎬🎬



………製作の角川春樹は、戦後初期に流行(はや)った大映映画のハンカチ無しでは見られぬ涙、涙の《母もの》、つまりはお涙頂戴(~ちょうだい)路線の再現を狙(ねら)っていたという………と言っても、クセ者・角川春樹の事だから、どこまでが本音なのかは分からない。

「あなたにとって"作家の証明"となる作品を書いてもらいたい。」………そのように角川春樹から映画化を前提に依頼されて執筆(しっぴつ)したのが小説『人間の証明』である。


🎬………終戦から四年後、母に捨てられたある日本人少年は見た。

敗戦国・日本が連合国軍の占領下にあった昭和24年、新橋の闇市で、一人の日本人女性を駐留(ちゅうりゅう)アメリカ兵たちによる暴行から救おうとした少年の父親が、逆に彼らによる集団リンチに遭(あ)ってしまう。

だれか、お父さんをたすけてッ!

父が救おうとしていた若い女は、いつの間にか自分だけ逃げてしまい、周囲の日本人の大人たちも、誰も助けてはくれなかった。

………その三日後、父親は亡くなった。

遺(のこ)された子供の目には、その悲惨な場面がしっかりと焼きついていた。

………そのような体験を経(へ)て大人になった棟居(むねすえ/松田優作)刑事は、父を死に追いやったアメリカ兵たち、逃げた女、父を助けてくれなかった人々、そして、父と自分を捨てた母に憎しみを抱いたまま、人間そのものを信じられない孤独な生き方しか出来なくなっていた。

その棟居が本庁に抜擢(ばってき)されてすぐにジョニー・ヘイワード殺人事件が起こり、棟居らの必至の捜査も虚(むな)しく、捜査は難航する。

ある日、おでん屋に立ち寄った棟居らは、酔った客らが、西條八十の詩の中の“霧積(きりづみ)”という地名を口ずさむのを耳にした。

ジョニーがアメリカを発(た)つ時に言った“キスミー”………それは、もしかすると、この"霧積"のことではないのか?

群馬県霧積では、ファッションデザイナーの八杉恭子が戦後、進駐軍向けのバーで働いていたことが分かった。

今では政治家の妻でもあるセレブとなった八杉恭子………棟居はその女の顔を忘れていなかった。

八杉恭子………こんなところで会えるとは思いませんでしたよ。
昭和24年の春、新橋の闇市で会ったことがあります。

彼女こそ、棟居の父親が身を犠牲にして進駐軍兵の乱暴から助けようとしたのに、自分だけは逃げて行ってしまった、あの闇市の女だったのだ。

【↑(中央)八杉恭子<岡田茉莉子>,㊨棟居刑事<松田優作>】

さらに、ジョニーの住んでいたアメリカ南部へ捜査の手を伸ばした棟居は、ジョニーが日本へ来たのは、日本人の母親に会うためだったと知る。

棟居はニューヨークでの相棒となるケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ/アカデミー賞俳優、2016年2月28日、91歳で死去)の手の甲の刺青(いれずみ)から、遠い昔、闇市で自分の父を集団リンチで殺したのが彼であることを知る。

【↑(中央)ケン・シュフタン刑事<ジョージ・ケネディ>】

棟居は、"鏡に映(うつ)る"シュフタン刑事の姿を射った………そこには、憎しみの狂気にうち震える孤独な男がいた。

偶然に次ぐ偶然の運命の皮肉は、やがて哀しき真実の扉を開くこととなる。


………「ママにとって、僕は邪魔な存在だったんだね。」と、母が自分を刺したナイフを自(みずか)らの手でさらに胸の奥深くに刺すジョニー。

そして、「僕はママが安全なところに逃げるまで絶対に死なない。早く逃げるんだ、ママ!」と絶叫する彼は、瀕死(ひんし)の状態のまま、母の逃亡時間を稼(かせ)ぐために歩き続けたのだった………。


事件の犯人には特に計画性や緻密(ちみつ)な計算などはない。あるのは状況証拠のみだ。

棟居が賭(か)けたのは《(冷血でない証拠=
人間の証明》しかなかった。

実の子供を刺すような女にも、もし、人間の心があるのなら、必ず真実を告白せずにはいられないはずだ………それは、自分と父とを捨てた母に対する苦々しい感情の鎖(くさり)、そして父を殺した米兵、それを見殺しにした大人たちに対する憎しみと人間不信に陥(おちい)ってしまった地獄から、自らの人間性を取り戻す為の、棟居刑事自身の人間の証明でもあった。

彼女も人間であることを証明してみせる!

ジョニーの死に際(ぎわ)の最期の言葉『ストーハ………。』………ストローハット、つまり、麦わら帽子。


母さん、僕のあの帽子どうしたんでしょうね………


このフレーズが、鉄壁と思われた犯人の心を崩(くず)す。

犯人は心ある人間の証明をすることと引き換えに、築いてきたすべてを失うことになり、そして、破滅した。


………アメリカ・ニューヨーク。

犯人の投身自殺を新聞で知ったシュフタン刑事は、死んだジョニーの実の父親を訪ねたが、その父親も亡くなったため、遺体を廃墟の片隅に埋(う)め、花を添えて帰ろうとした。

その直後、シュフタン刑事は黒人男性に刺され、そのまま息を引き取るのだった………🎬🎬🎬🎬🎬


戦勝国と敗戦国、そこにまたがる沢山(たくさん)の社会と人生の闇………証明する事によって人は人となり、そして哀しみは風に吹かれる麦わら帽子のようにいつまでも時間の中に揺らいでいる。

物語は、人間である事を証明しなければならない人生ほど、哀しく残酷なものはないと訴えかけてくる。

そこまで追い込んだものは何だったのか………作品は我々にも重く残酷な疑問を投げかけているようだ。


映画の出来は正直に言ってしまえば、あまりにも都合のよい展開、魔法がかったかのような冴(さ)えすぎている刑事のカン、それに消化不良な点と無駄な時間が際立(きわだ)っているなというのが個人的見解で、松本清張作品の安っぽい焼き直しという印象だ。かといって面白くないわけではないのだが………。

この作品の残念なところは悪い意味で"現代日本"の歪(ゆが)んだ姿勢そのものであるという点だ。

犯人が最後に真実の告白をしたのは刑事の誘導あればこそであり、自らが率先(そっせん)して自首・自白、つまり人間の証明をしたわけではない。

それは結局、常に大国の力学や様々なイデオロギーやコンプレックスに誘導され、振り回されている作家・森村誠一の姿勢そのものであり、広義の意味では未(いま)だに戦争の総括(そうかつ)が出来ていない日本そのものでもある………まあ、犯人がスグに自供してしまえばドラマにはならないだろうが(苦笑)。

とは言え、刑事役の松田優作の狂気と陰(かげ)が醸(かも)し出す存在感と色気が魅力的である事と、やはり風に吹かれる麦わら帽子の映像は観る者の心をとらえるのは間違いない。


………この作品の鍵を握る重要なモチーフとして引用されたのが、西條八十(詩人,作詞家,仏文学者/1892~1970)が1922(大正11年)に発表した詩『ぼくの帽子』である。

人間の証明』の大ヒットは、西條八十詩集の売り上げ向上にも貢献(こうけん)したようだ。

✒✒✒………

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせう(しょう)ね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから(…以下略)………✒✒✒✒✒



母子の深い愛情や暖かみを感じると同時に、喪失感や切なさが浮かび上がる詩だ。

私には詩中のように問いかける事の出来る母はもう、この世にはいないが、時間は過ぎただけであって、失われたわけではない。


………母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
  あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
  昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
  その裏に僕が書いた
  Y.S という頭文字を
  埋(う)めるように、静かに、寂(さび)しく………


この詩をみると遠い記憶を思い起こさせ、ナゼか懐(なつ)かしい気分にさせられる………。

*****

………子供の頃、とにかく甘いものに飢(う)えていた。
潤沢(じゅんたく)にお菓子が食べられるような裕福な環境でもなかったので、我慢する事が半(なか)ば日常化していた。

そんな日々の中でも、僅(わず)かながら楽しみもあった。
月に一度の子供会の集まりの帰りに持たされる「おやつ袋」と、近所にまわす回覧板を向かいの家に持って行った時に、そこの奥さんが「ちょっと待ってね」と言って、奥から新聞紙に包んで渡してくれるお菓子だった。

この「ちょっと待ってね」という言葉は、幼い私にとって何よりの幸福の響きだった。
だがたまに、奥さんが忙しい時には回覧板を受け取るだけに終わってしまうので、空振りの結果になってしまい、落胆する事もしばしばだった。



そしてもう一つは、当時、お菓子メーカーに勤めていた社会人の従姉(いとこ)が、家に遊びに来る度に持ってきてくれるチョコレート菓子の詰め合わせだった。

私の兄はチョコレートを食べるとナゼか鼻血をよく出していた。

母は「気を使わなくてもいいから、もう持ってこなくていい」と毎回言っていたが、私は子供心にそんな母を恨んだものだ(笑)。

とにかくあんまり甘いものに飢えていたので、こっそりと台所に行っては砂糖壺(~つぼ)の蓋(ふた)を開けては、スプーンで掬(すく)って舐(な)めていた。

ある日、砂糖を口に含んだ時に何となく視線を感じて台所の窓を見たら、外からニヤニヤしながら私を見ている父の顔があった………そんな記憶も、今では懐かしい思い出だ。

🎵お菓子の好きな巴里(パリ)娘
二人揃えばいそいそと
角の菓子屋へ「ボンジュール」
選る(よる)間も遅しエクレール
腰もかけずにムシャムシャと
食べて口拭(くちふ)く巴里娘🎵

【↑西條八十(さいじょう やそ)】

昭和4年頃に流行(はや)ったとされる西條八十作詞、橋本国彦作曲による「お菓子と娘」という歌だ。

西條がパリに留学した頃に見かけた、無邪気(むじゃき)にお菓子のエクレールにパクつくパリジェンヌ達の様子がよほど印象に残ったらしく、その時の模様を表現したものらしい。

因(ちな)みに「エクレール」はフランス語であり、英語読みが「エクレア」である。

今さら説明の必要もないと思うが………エクレアとはシュークリームのバリエーションの一つであり、細長く焼いたシュー皮にカスタードクリームやホイップクリーム等を挟(はさ)み、上からチョコレートをかけたものが基本型である。

沖縄出身の人気女性歌手、Coccoのアルバム(2007年リリース「きらきら」)にも「お菓子と娘」はカバー収録されている。


………今から六十数年前の、大平洋戦争における悲劇の沖縄激戦の折り、かの《ひめゆり部隊》において、引率(いんそつ)の女性教師がこの歌を唄って女子学徒達を明るく励ましたという。

ひめゆり部隊………沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された部隊の事………※※※

当然ながらお菓子などを食べられる環境ではなかった若き女生徒達にとって、たとえ束の間(つかのま)であっても、想像の世界であったとしても、その明るく甘い世界がどれだけの慰(なぐさ)めになった事かと考えると、戦争を体験していない私でも胸が締め付けられる思いである。


………ところで、私は子供の頃にすでに「お菓子と娘」の詞に接していた。曲が本当にある事を知ったのは大人になってからだ。


📖📖📖………孤児院を転々としていた少年・シゲルが、ある日、空腹に耐えきれなくなって菓子袋を万引きしてしまう。が、捕まって感化院(かんかいん)送りに。

不良達の溜(た)まり場でもあるそこに待っていたのは、軍国主義に感化された鬼教官【ホワイト・サタン】による恐怖政治だった。

そんなシゲルを支えていたのは、万引きを見つけた刑事が感化院送りになる前に買ってくれた菓子パンと、優しい女性教官がピアノで弾いて唄ってくれた「お菓子と娘」という歌………荒(すさ)んだ心に暖(あたた)かな灯として宿るこの二人の優しさは、かろうじて人として生きようとするシゲルの希望の灯でもあった。

エクレアというお菓子の存在をこの歌で初めて知ったシゲルは、いつかエクレアを食べてみたいという願いと、二人の大人から受けた優しさの思い出を胸に、戦争という激動の時代を挟(はさ)んで日々を生きていくのだった………📖📖📖📖📖



1976年に発表された、西村滋(1925~)の自伝的ロングセラー小説である『お菓子放浪記(講談社刊)』の概要だ。

私個人にとっても、「コタンの口笛(石森延男著)」「少年駅伝夫(鈴木三重吉著)」と並んで、今も心に残る日本の児童文学・私的ベスト3の一本である。

この本の中に出てくる「お菓子と娘」という歌は、本物のメロディーを知らなくとも、読んでいると自然に楽しげな調べが心に浮かんでくるようだった。

逆境の日々を生きる主人公のシゲル少年に半(なか)ば気持ちが同化しながら読んでいると、パリジェンヌのお菓子にパクつくこの歌は、心の襞(ひだ)に引っ掛かり、やがては溶けていく甘いお菓子そのものだったと思えてくる。

戦後になり、シゲルが「ケーキあります」の表示に惹(ひ)かれ、店に入って注文すると、出てきたのは茹(ゆ)でた人参(にんじん)だったという物語のエピソードは、食料事情が厳しかったとは言え、本当に悲しくなったものだ。しかし不思議な事に、小学生の時に読んだきりのこの本は、細かいストーリーは忘れていても、この人参エピソードのくだりは、読んだ時の頭に浮かんだ映像や感覚と共に、未(いま)だに鮮烈に覚えている。



2011年に順次公開された「エクレール・お菓子放浪記(105分/近藤明男監督作品/河北新報社,仙台放送,横山芳夫建築設計監理事務所,シネマとうほく,税理士千葉直人,IBC岩手放送,東日本エージェンシー,テレビユー山形,三金興業,秋田県映画センター,群馬共同映画社,プリズム,シネマ・ディスト,オフィス近藤/DVD発売:オデッサ・エンタテインメント)」も、この原作の映画化版だ。

映画は舞台を東北に変えて、宮城県石巻市をメインに、地元の協力を得てロケーション撮影をしたという。

古い映画館をはじめ(主人公が映画館で仕事をするというエピソードがある為)、様々な施設や建物、多くの地元の人達のエキストラによって映画は完成し、2011年3月10日に完成披露試写会を迎える。


………その翌日、東北大震災は起きた。

映画に協力した沢山の命や建物が波に呑(の)まれてしまった。

その後はこの作品自体が、東北復興の心を繋(つな)ぐ為の映画という性質を帯びるようになっていった。

スクリーンの中では震災前の東北の風景が映し出されている。

小説『お菓子放浪記』がいつまでも私をとらえるもの………それは、人の優しさの繋(つな)がりである。

主人公の少年は、その人生において、様々な人の優しさを知る。それが、少年にとっては生きていく為の支えとなる。
小説の中に出てくるお菓子の歌もお菓子の本も、心にとっての甘い甘いお菓子そのものだ。

映画『エクレール・お菓子放浪記』の完成披露試写会の際に、原作者である西村滋氏が残したスピーチが印象深い。

お菓子が運んでくれる幸せは、人に欠かせないもの。当たり前に身近にお菓子がある事の幸せを感じてほしい。

エクレールの本当の意味は雷や稲妻を指す。

ひめゆり部隊の女性徒達も、お菓子放浪記のシゲル少年=西村滋氏も、お菓子の持つあたたかな希望の灯に、稲妻以上の力をもって心を打たれたに違いない。

今から80年以上も前に日本で生まれた「お菓子と娘」という歌は、あまり甘いものを食べなくなった現在でも、私の中では小説と共に、特別な存在となって輝き続けている………。

🎵残るなかばは 手に持って
行くは並木か 公園か
空は五月の みずあさぎ

人が見ようと 笑おうと
小唄まじりで かじり行く
ラマルチーヌの 銅像の
肩で燕(つばめ)の 宙がえり🎵

◎◎◎◎◎

………2011年、アメリカの経済紙、ウォール・ストリート・ジャーナルに『長引く景気低迷にあえぐ日本の経済刺激策』とまで評された、莫大(ばくだい)な経済効果を誇る現代日本を代表する女性トップアイドルグループ、AKB48。

個人的には特に興味があるわけではないのだが、その元・中心メンバーであった大島優子が出演していたTVバラエティー番組を偶々(たまたま)観ていて、そこでの彼女の発言で印象に残ったものがある。

………毎年、彼女の誕生日には親子で祝っていたそうで、その時に大島は「お母さん、私を産んでくれてありがとう。」
と感謝し、母親も「生まれてくれてありがとう。」と応(こた)えるのだそうだ。

心のどこかで感謝する事はあったとしても、口に出しては中々言えない。
気持ち悪い、と思う人もいるだろうが、私は素敵な親子関係だと思った。

そう言えば、現在では真面目になったボクシングの亀田三兄弟の長男・亀田興毅(取材記者によると、昔から彼だけは一家の中で唯一マトモだったらしい)が初めて世界タイトルを奪取した際、生放送の時間枠には入らなかったが、「お母さん、僕を産んでくれてありがとう!!」と感謝を述べたという。

複雑な家庭環境に育った彼だからこそ、胸に秘めたものには深いものがあったのだろう。

📺📺📺📺📺……………

『遂(つい)に塗り替えられましたね、゙ありがとう"』

2010年6月29日深夜に放送されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会[日本vsパラグアイ戦]の視聴率57.3%に抜かれるまで、TBSの全番組の歴代視聴率一位の座を守り続けていたホームドラマ『ありがとう(最高視聴率56.3%)』の主演を務(つと)めていた歌手・水前寺清子の言葉である。
彼女は最後まで試合をTV観戦し、日本を応援し続けていたそうだ。


🎵いつも心に青空を
いつも優しい微笑みを
さわやかに見つめ合い
さわやかに信じあう
今日も明日も ありがとう🎵


放送当時、国民的大人気を誇った演歌歌手、水前寺清子が唄う底抜けに明るくパンチの効(き)いた主題歌「ありがとうの唄(詞/大矢弘子,曲/叶弦大,編曲/小杉仁三)」が毎回流れるオープニングは、これから始まる物語の空気感を上手く表していたように思う。

………ドラマ『ありがとう』は、1970年4月2日~10月22日(第一部・婦人警官編・全30話)、1972年1月27日~1973年1月18日(第二部・看護婦編・全52話)、1973年4月26日~1974年4月25日(第三部・魚屋編・全53話)と、それぞれに設定の異なる三部作として、毎週木曜夜8時にTBS系列において長期にわたって放送され、ザ・ドリフターズの超人気バラエティ『8時だよ!全員集合(TBS 系列・毎週土曜夜8時/最高視聴率50.5%)』と並んで【お化け番組】と呼ばれていたホームドラマだった。

現在のTV事情では考えられない事だが、このドラマは当時の小学館の月刊学習雑誌にも写真付きの絵本スタイルで連載されていたくらいに、子供から大人まで幅広い年代層から圧倒的支持を受けていた。

知らない人の為に簡単に紹介すると、東京下町を舞台に繰り広げられる、主役の母子家庭の母娘を中心とした、周囲の人々との触れ合いをテンポよく描いた泣き笑い人情ドラマなのであるが、ちょっとしたボタンのかけ違いや勘違い、いさかいもあれば寂(さび)しさも思いやりも恋も含めて、一生懸命に日々を生きる登場人物達の姿に感情移入しながらも、《人間って、面倒臭いけど良いもんだよね》という作者の温(あたた)かいメッセージが伝わってくる作品なのである。


ドラマ『ありがとう』には人の絆(きずな)や温かさを感じる。それは他者に対する思いやりや感謝の念が根底にあるからだ。

「ありがとう」という一見風変わりなタイトルには、《ありがとうの心を描く》という作者の狙いが込められていると思う。



生きるという事、自分というものの存在を見失いかけた時、たった一言の「ありがとう」に救い救われる事もある。

感謝する事、思いやる事から人は再び生き始め、自分というものの存在や居場所を再認識出来る力が生まれるのだろう。

***

ドラマ『ありがとう』の作者・平岩弓枝(1932~)は1957年に『つんぼ』で小説家デビューし、1959年にはラジオドラマ『竜馬』で脚本家デビュー、その後は向田邦子と同じく小説と脚本の二足のわらじで『肝っ玉かあさん』『新平家物語』『午後の恋人』『花ホテル』『女たちの家』『御宿かわせみ』『球形の荒野』『はやぶさ新八捕物帖』『女のそろばん』『女と味噌汁』『西遊記』等々、次々と名作・話題作を世に送り出してきた。

………無銘(むめい)の古刀に名匠の偽銘(ぎめい)を切って高価な刀剣にみせかける鏨師(たがねし)。対するはその並々ならぬ技術を見破る刀剣鑑定家。
その火花を散らす名人同士の対決を描いた短編小説『鏨師』では第41回直木賞を受賞している。

東京・代々木八幡宮を生家にもつ彼女の人間を見つめる眼は冷静でありながら常に温かい。


人間を行(おこな)いだけで書こうとすると危ない。人間は、その人の本質でない動きをする時がありますから。

良い人間にも欠点があり、悪い人間にもある時には愛嬌がある。人間、一重人格では生きられない。二重、三重のものを書くのが面白くもあり、難しい作業でもあるんです。一人の人間って、決してやすやすと捉(とら)えられない怖いものですからね。


『ありがとう』を最後に、平岩は石井ふく子プロデューサーとのコンビを解消する事になったが(その後は石井&橋田寿賀子のコンビとなる)、彼女の描く世界は更なる広がりと深みを増す事になる。

平岩弓枝の恩師にあたる長谷川伸(1884~1963)は、所謂(いわゆる)【股旅物(またたびもの→時代劇の任侠(にんきょう)物。博徒(ばくと)を主人公にした義理人情の世界を描いたもの)】の作家として『関の弥太っぺ』『瞼(まぶた)の母』などが有名であるが、晩年の彼が病床にて指の運動を始めたところ、平岩が「先生、もういいでしょう。先生はもう十分に沢山の仕事を成されたのですから、ゆっくりお休みください。」と言うと、長谷川は「君はちっとも分かっちゃいないね。今まで受けた人達のご恩に報(むく)いるような仕事をするのが私のこれからの仕事なんだよ。」と返し、その三日後に彼はこの世を去った。

平岩弓枝の師は最後まで「ありがとう」の人だったのである。

◎◎◎◎◎

………幸福と思える時間の中にも不幸の落とし穴があり、不幸の中にも幸福の芽はある。
正に人生は喜びと悲しみの繰り返しだ。
誰もが幸福になりたいと思うし、近しい人の幸福を願いもする。

《幸福》というワードの入ったタイトルの映画は数多くあるが、公開はされたものの、権利の関係等で一部の映画祭やフィルムセンターでの上映以外、永らく一般の目に触れる事の出来なかった【幻の映画】と呼ばれた邦画がある。



1981年に公開された、タイトルもそのものズバリ『幸福(市川崑(いちかわ こん)監督作品/フォーライフレコード,東宝映画/106分)』である。

2009年4月に発表された全国の独立系映画館110館の映画館スタッフが投票する第一回映画館大賞 「甦(よみがえ)る名画」部門第一位にも選ばれた作品である。

黒澤明監督作品『天国と地獄(1963/黒澤プロ,東宝)』の原案にも使われたのが、エド・マクベインが書いた警察小説「87分署シリーズ」だが、その全56作のうちの1本「クレアが泣いている」を映画化したのが『幸福』であり、原作者からは映画公開と二度のテレビ放映のみ、しかも5年間限定契約の許可しか取っていなかった(81年当時だからビデオソフト化の意識が低かったとも言える)ので、後年になってもビデオ販売が出来なかった。しかもただ一度だけ行われたテレビ放映は短縮版のみである。

その後、製作出資したフォーライフレコードは倒産し、権利関係は更に複雑になって一般の目に触れる機会がいよいよ無くなり、益々(ますます)幻の作品となっていったのである。

ところが2005年に原作者のエド・マクベインが亡くなり、権利関係の整理が一気に進み、テレビ朝日系刑事ドラマ「相棒」シリーズで人気再燃の水谷豊が主演である事と、『黒い十人の女(1961)』『ビルマの竪琴(1956&1985)』『東京オリンピック(1965)』『細雪(1983)』『太平洋ひとりぼっち(1963)』『おとうと(1960)』『野火(1959)』等々でも知られる故・市川崑監督(1915~2008)の再評価という機運もあり、2009年11月にハイブリッド版Blu-rayディスクとして、初公開から28年の時を経(へ)て初めてビデオソフト化されたという経緯がある。

映画『幸福』は当時《シルバーカラー作品》という事でも話題になっていた。

シルバーカラーというのは所謂(いわゆる)【銀残し】と呼ばれる現像法で、通常のカラー現像で行われる、乳剤に含まれる銀の化合物を漂白処理で除去するというプロセスを敢(あ)えて止めて、そこに白黒現像を重ねる【二重現像処理】を施(ほどこ)し、銀量をコントロールするという手法の事であり、カラーと白黒の中間、さらに言うと淡(あわ)い発色とザラつきとメタリックな質感効果が生まれるのが特徴である。

この手法を生かすには現像だけでなく、撮影の段階においても直射日光を避けたり強い照明を用いるなど、出演者やスタッフにもかなりの負担が強(し)いられる。

「自然な形で現代を見てもらうには色を感じさせないほうが良い」とする市川監督は、元々この作品を白黒で撮るつもりだった。が、映画をテレビ局に売る際、白黒作品では高く売れないという製作会社側の意向により、そういう事ならと、シルバーカラーに落ち着いたそうだ。


🎬🎬🎬………書店で銃の乱射事件が起こり、三人の男女が殺される。

妻に逃げられ二人の子供をかかえる村上刑事(水谷豊)と現場に駆け付けた刑事の一人、北(永島敏行)は、白いブラウスが真っ赤な鮮血(せんけつ)に染められた若い女の死体を見て愕然(がくぜん)とする………彼女は北刑事の恋人で、社会福祉センターに勤めている庭子(中原理恵)だった。

虫の息だったもう一人の被害者が残した謎のダイイング・メッセージ(…死者が死の間際<まぎわ>に残したメッセージ)「ウロウヤ」を手掛かりに、警察は三人の被害者達の身辺調査を始めるのだが、そこから浮かび上がる人間のやりきれない深い闇と、恋人でありながら知らされていなかった庭子の背景など、欠損した家族や破壊された絆を通して、【幸福の意味や在り方】について、映画の中の刑事達と同様、観客も考えさせられてゆく………🎬🎬🎬🎬🎬



1981年と言えば、日本がこれからバブル期に入ろうかとする時期で、経済的にも豊かな気運が立ち上げていた頃でもあるが、同時に【幸福】という価値観が揺らぎ始めた時期でもある。

本作は現代にも通じる【貧困】や【家族や秩序(ちつじょ)の崩壊】という背景を取り入れ、日々失われてゆくもの、失って初めて気付くもの、人間の弱さに巻きつく見えない宿命の鎖(くさり)などをドラマの奥底から浮かび上がらせている。

「今の仕事が片付いたら、みんなでレストランに行こうな。」

いつも寂しい思いをさせている二人の子供に水谷豊扮(~ふん)する父親が気遣(きづか)う台詞なのだが、子供達はレストランに行く事を頑(かたく)なに拒否する。

母親にレストランに連れて行ってもらった翌日、その母親が家を出ていったからだ。

父もボクたちを捨てるのだろうかという不安が常に彼らにはあるのだ。

ドアにベルを付けて父親が出ていかないようにしようとする子供達を抱きしめ、「見捨てないよォ、オレ…親だよ…」と、声を詰まらせる父親の姿は涙を誘うと同時に、互いに失ったものを補(おぎな)い合おうとする絆の再生の意味を感じる。



一方、幸福や家族とは真逆の位置にある市原悦子(素晴らしい怪演!)と川上麻衣子らが扮(ふん)するドン底親子の、家族や幸福の意味すらも分からず、感じる事もない、ただ生きているだけの人間性を失った肉塊(にくかい)のあまりにも悲惨な姿は、観客の心に鉛玉を打ち込むように、重い痛みを伴(ともな)う感覚に襲われる。


死におそわれるのは生者のみであり、不幸の重荷を心に感ずるのは幸福な人たちのみである。………アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ/アランはペンネーム)『幸福論(1925年)』より


ドラマは最終的には水谷豊親子が母親を迎えにいくかのような匂いを残すが、映像としてはその様子は描かれないし、ラストは水谷親子がレストランで食事をしているシーンで終わっており、最後まで母親不在のままだ。

或(ある)いはもう、母親は帰って来ないかも知れないという見方も出来る作りになっている。


【↑写真左:和田夏十/右:市川崑】

映画『幸福』の監督・市川崑の最愛の妻であり、長年の仕事のパートナーでもあった脚本家・和田夏十(わだ なっと/本名・市川由美子)はこの頃、闘病生活に入っており、夫は妻の死期が近い事もどこかで覚悟していたふしがある。

実際、本作公開の二年後、和田夏十はこの世を去るのだが(享年62歳)、この作品の母親不在の設定が監督の妻の不在と重なって見えてしまうのは穿(うが)った見方なのかも知れないが、家族や絆の意味を問う【幸福】と題したこのささやかな作品に、病と闘う妻に対する夫・市川崑の想いがうかがい知れるような気がするのだ。

喜んだり笑いあったりする事だけが幸福では勿論ない。

人間を一面のみで捉(とら)える事が出来ないように、幸福にも様々な形がある。


他人の幸福をうらやんでばかりいる人は、他人の哀しみを知らずに自分の哀しみだけに埋没(まいぼつ)している人である。

苦悩する事の大切さを理解出来ない者は、永遠に幸福にはたどり着けない。


幸福は、己(おの)れ自ら作るものであって、それ以外の幸福はない。

     ……………トルストイ


………功徳(くどく)、御利益(ごりやく)などは論外で、与えられる事を待つな、恵んでもらえる事を期待するな………自分の中の余計なプライドや甘い心に支配される事なく、自分の心に学ばせようとする努力こそが人としての幸福の一つの姿であり、それこそが"人間の証明"となるような気がしてならない………。


★追記………個々の作品の評価とは別に、市川崑作品というのは【客が来ん来ん(崑=コン)】と揶揄(やゆ)されるくらいに観客の不入りで有名で、興業主達からは評判の良くない監督であった。

ところが1976年公開の、角川映画の記念すべき第一作『犬神家の一族』の大ヒットで、一躍ヒットメーカーの仲間入りを果たしたわけなのだが、その後も暫(しばら)く続いた探偵・金田一耕助シリーズの色が付きすぎて、今回の映画『幸福』も、殺人事件が絡(から)むというだけで「犬神家~」を代表とする横溝作品のようなオドロオドロしいミステリーを勝手に期待して落胆したファンも少なからずいたようだ。

宮崎駿にいつまでもラピュタやトトロやナウシカを求めるファンと同様、クリエーターに同じものをいつまでも要求し続けるというのは、死を強要するようなものだ。彼らはラーメン屋や牛丼屋ではないのだから。

………とは言え、金田一シリーズでお馴染みの、加藤武の「よし、わかった!」は本作でも健在で、市川監督のせめてものサービスなのであろう。


★追記②……………



2009年3月に公開された、政治や戦争の世界にも大きく関与していくヒーロー達をリアルに描いたSF映画『ウォッチメン
(監督:ザック・スナイダー/163分)』は、その導入部にボブ・ディランの「時代は動く The Times They Are A-Changin'」を使用した事でも、私の中ではポイントが高い。

比較(ひかく)や評価や時代に振り回されているうちは、本当の幸福に辿(たど)り着く事は出来ない。

証明するのは、自分自身なのだから………


 🎵作家や批評家たち
  予言者を自認するものよ
  目を見開きたまえ
  時代をよく見るんだ
  早急な物言いはするな
  歯車が回らないうちに
  誰が勝者で誰が
  敗者かというな
  今負けたものが
  明日には勝つこともある
  時代は動いていくのだから🎵
母「たまにはありえないものも見なさいよ。

娘「ありえないものなんて、ないもーん。


🎬🎬🎬🎬🎬………非科学的なことは一切信じない、雑誌編集者の〈沈丁花(じんちょうげ)ハナメ(麻生久美子)〉は、自分の人生がジリ貧だと常々(つねづね)思っている。

そして自分が「ジリ貧」になってしまったのは、ハナメの8歳の誕生日に父が家出をする際、母親の翠(みどり/松坂慶子)があまりにも冷静な事に腹が立ち、父からもらった物を全部、近所の沼に捨ててしまい、その時、最後に捨てた"黒招き猫"の祟(たた)りが、自身の人生に影響を与えてしまったと勝手に思い込んでいるのであった。

やがてハナメは担当する雑誌が廃刊になって出版社を辞め、ペットのウサギも行方不明になってしまい、人生は沈みっぱなし。

ジリ貧になった原因だと思い込んでいる黒招き猫を探そうと、すでに埋(う)め立てられた沼を掘ってみるが、見つからない。

そんな時、母の翠がナゼか河童(カッパ)を捕(と)ろうとして池に溺(おぼ)れて昏睡(こんすい)状態となってしまい、更(さら)には好きだったカメラマン(堀部圭亮)が自分の同僚と同棲している事が発覚し、恋にも破れ、事態はまさに泥沼の展開に。

そんな頃、母が溺れたその池から過去に盗まれた郵便ポストが見つかり、その郵便物の山の中から母親が投函(とうかん)していた古い一通の手紙を見つけ、そこから自分の出生の秘密を知ってしまったハナメは、本当の父親に会ってみようと思うのだった………🎬🎬🎬



【↑映画『インスタント沼(監督&脚本:三木聡/製作:アンプラグドフィルム,角川映画,ポニーキャニオン,シネマインヴェストメント/2009年5月23日公開/119分/DVD発売:ポニーキャニオン)』】

ナンセンスギャグとコミカルなストーリーがスピーディーに綴(つづ)られる映画『インスタント沼』は、不思議な高揚感(こうようかん)とともに、くだらない、役に立たない、理屈もへったくれもない奇想天外な小ネタ満載の独特なファンタジーワールドを繰り広げる作品であり、つまりはツボにハマるかどうかという時点で、好みはかなりハッキリと分かれると思う。

そもそもヒロインの設定自体が変わっている。

映画の中でハナメが一本の古い釘(くぎ)を大切にしているシーンがあるのだが、彼女は、相手がその釘を気に入るかどうかで、友だちになれるかどうかを決めているという、自分の価値観に中々コダワリの強い人物なのである。

【↓映画『インスタント沼』予告編】


🎬………ハナメは行方知れずだという実の父かもしれない男・沈丁花ノブロウ(風間杜夫)の居場所を探し出し、訪ねてゆくことにする。

言ってる事のどこまでがウソかホントかが不明なノブロウは怪しげな骨董(こっとう)店「電球商会」を営(いとな)んでおり、店に出入りするパンク青年・ガス(加瀬亮)からは「電球」と呼ばれていた。

【↑㊧沈丁花ハナメ(麻生久美子),㊨"電球"こと沈丁花ノブロウ(風間杜夫)】


ハナメ「全然パッとしないのです。全然テンションが上がりませんのです。

電球「良い事教えてやる。そういう時は、水道の蛇口をひねる!


そう言うと、電球は店の洗面所にハナメを連れていき、排水口の穴を塞(ふさ)いで蛇口の水を全開で出し始める。

その後、水が満たされる前に二人でダッシュでジュースを買いに行き、それが終わると今度は風呂場の蛇口を開き、水が溢(あふ)れ出る前に飯を食いに行き戻ってくる。

何ともバカバカしい、どこまで本気か分からない怪しげなカウンセリングだが、ハナメの表情は見違えるほどにイキイキとしていた………

一見、クダらなくも思えるのだが、緊張感をもって日々を生きる事で、新しい刺激、新しい発見、新しい経験に繋(つな)がり、人生をタフに前向きに生きようぜ!という作り手のメッセージが伺(うかが)えるシーンだ。

その後、ハナメは電球の影響で骨董品屋を始め、やがて軌道(きどう)に乗ったところで電球から“沈丁花家に伝わる蔵の鍵”を売りつけられ、彼は鍵を売った金を元手に再婚するのだが、肝心(かんじん)の蔵の中は砂、砂、砂………。

………結局、蔵から出した砂に水をかけて「インスタント沼」だと宣言し、その後、インスタント沼から"ありえない"ナニかが出てくる衝撃の展開に!!!………🎬🎬🎬🎬🎬

映画のクライマックスは作品の幕開けからは想像も出来ない突飛な展開になるのだが、ラストはその衝撃のクライマックスに負けないくらいの突き抜けた明るさに満ち満ちている。

それは、ハナメがジリ貧の沼に沈んでいたのは祟(たた)りでも呪いでも何でもなくて、自身の一方的で過剰な自意識の重さがそうさせていたのだという開き直りが、清々(すがすが)しいまでに澄(す)みきった青空と呼応(こおう)しているからだ。

かなりのクセのある映画『インスタント沼』だが、個人的には久しぶりに気持ちの良い作品であった。

ハナメ…『世の中の出来事のほっとんどが大したことないし、人間、泣いてる時間より、笑っている時間の方が圧倒的に長いし、信じられないものも見えるし、一晩寝れば大抵のことは忘れられるのよ。

とにかく、水道の蛇口をひねれ!そして、その嘘と意地と見栄で塗り固められた、しょーもない日常を洗い流すのだーッ!

◎◎◎◎◎

………人間というものは、目や耳などから入ってくる様々な情報を全て受け取ってしまうと脳がオーバーヒートしてしまうわけで、神経組織の一つである(RAS=Reticular Activating System…網様体賦活系/もうようたいふかっけい)の働きによって、情報の取捨選択(しゅしゃせんたく)を無意識に行う………言い換えれば情報のある程度の遮断(しゃだん)作業を無意識のうちに行っている。

新聞やTVやラジオ、ネット等々、現代は情報中毒社会と言っても過言ではないが、我々人間という生き物は自分の信じたい情報は無意識のうちに鵜呑(うの)みにしてしまい、信じたくないもの…自分の嗜好(しこう)や価値観に合わないものに対してはガセだのヤラセだの洗脳だのと非難を交(まじ)えて切り捨てがちだ。だがそれは、真実に近付く事とは全く別の次元の問題である。

………余談だが、大脳新皮質(…脳の表面を占める皮質構造のうちの進化的に新しい部分。言語機能と合理的かつ分析的な高次思考力を司る…)以外の脳細胞というのは《主語》が理解出来ない。

つまり、自分の口から出る《他者に対する悪口やマイナス思考的発言》は無意識下において自分自身に対する悪口だと脳が勝手に認識し、脳や体に悪影響を及ぼす事になる。



感情というものは時には自分自身をも欺(あざむ)く事もある。《内なる沈黙の真の言葉》に耳を傾(かたむ)ける事は中々困難な事ではあるが、そうしないと、非難や称賛、名誉と利益の為に永遠に苦しむ事になる。

個人や組織を問わず、情報を発信する側にも必ず何らかの意図やフィルターが介在しているもので、取捨選択(しゅしゃせんたく)も当然その一つである。

物理的暴力や精神的圧迫を伴(ともな)う洗脳は別にしても、宗教、スピリチュアル、占い、自己啓発、何とかセミナー&カウンセリング、或いは様々な政治家や政治団体、思想家、思想団体、評論家等々に限らず、我々の周囲には常に暗示の嵐が渦巻(うずま)いているものだ。 

言い換えれば暗示にかかっていない人間なんぞは皆無(かいむ)なのである。

だからこそ見聞きしている対象そのものではなく、それを超える何かと自身の立ち位置とを注視しなければならないのだ。

◎◎◎◎◎


【↑手塚治虫作品『ブッダ』より……〈ブッダ=仏陀〉とは、悟(さと)りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す称号。
仏教の祖・釈迦(しゃか)の生涯を、説話に基(もと)づいてではなく、「人はなぜ生きるのか、なぜ苦しまなければならないのか?」の答えを求め、すべてを捨てて僧として迷いながら旅を続ける姿を独自のドラマとして構築した作品。アメリカで最も権威ある漫画賞の一つで、「漫画界のアカデミー賞」と呼ばれる《アイズナー賞》最優秀国際作品部門受賞】

……八万方蔵(はちまんほうぞう)と言われる仏教の教えを、釈迦は何故(なぜ)自らの手で経文(きょうもん)という形にして残さなかったのか………

ところで『釈迦』という名称はサンスクリット語のシャーキャムニ(zaakyamuni)の音訳、釈迦牟尼(しゃかむに)すなわち「釈迦族の聖者」の略称である。

当時の釈迦国の所在地は現在のインドとネパールの国境地帯にあたるヒマラヤ山麓(さんろく)にあった。そしてインドの16大国の一つであるコーサラ国に従属する小国でもあった。
釈迦族は非常に自尊心の強い種族で、その高慢(こうまん)さが招いた反抗的な所業がやがてはコーサラ国によって国を滅ぼされる運命を引き起こす事となる(諸説あり)。


(↑釈迦族のカピラヴァッツ城塞跡)

釈迦仏教以前から存在していた古代インドの民族宗教である古代ヒンドゥー教=バラモン教には聖典(ヴェーダ)があったわけで、それを見ていた釈迦自身には書き残すという選択肢(せんたくし)も当然あったわけだが、一般大衆の識字率の低さや教育の貧困による理解力の低さ、文字や数字に対する限定的な価値(…言葉は文字に記すと汚<けが>れるので、実務的な場合のみに筆記するという考え方…)しか認めないという当時のインドの独特な社会風潮があったとは言え、やはり経典を残さなかった事そのものに釈迦の大いなる意志を感じる。


………文字のみで、その場における対話の状況を伝える事は難しい。勿論、釈迦とて例外ではない。

しかし一旦(いったん)、文字にしてしまうと、事物の最終的な結論として決定づけてしまう可能性や、それを基(もと)に煩悩(ぼんのう)を抱(かか)えたままの周囲や後世の者が【論】や【学】に走り、曲解や【思考の袋小路】に入り込んでしまう危険を持ち、常に新たな意味を与え続けられ(或いは発見され)てゆく過程や運動の中にこそ真の教えがある【釈迦の対話】が本当に伝えようとしたものからは遠ざかってしまう可能性が十分にあり、釈迦自身は文字に記(しる)す事はなかったが、残念ながら現実はその通りとなってしまった。

宗教における知識、教学とは、それ自体が結論ではなく、生き方の模索(もさく)や物事の捉(とら)え方や考え方の交通整理をする手段………乱暴な言い方をすれば地図や紙や鉛筆やパソコンのような単なる道具(…もちろん、無いと困るが…)に過ぎず、それをもって人や世の中を見通したかのような気になるのは煩悩(ぼんのう)の考え方であり、本当に教学を会得(えとく)した事にはならない。況(ま)してや、それによってヘタな優越感や上から目線に立つような姿勢になるなどとは、たとえ携(たずさ)わっている法が正しくとも、それがイコール"正しい宗教組織"だとは当然言えず、仏教本来の目指すものとは真逆の行為である………まあ、新興宗教や勧誘行為の激しい宗教組織に有りがちな事ではあるが。


………勧誘行為と言えば私事になるが、母が亡くなって間もない頃の、とある仏教系の宗教組織・N蓮S宗の信徒と僧侶によるあからさまな勧誘行為は本当に不愉快きわまりなかった。

カタチばかりのお悔(く)やみもソコソコに、早速(さっそく)宗教用語をムダに使い倒した、相手の心の状態なんぞはお構いなしに、自分達の目的を一刻でもはやく達成しようという心根(こころね)がミエミエの、こちらの言おうとする事はテキトーに聞き流して真面目に耳を傾けようともせず、ほぼ押し売りに近い、言葉はやわらかいが高慢(こうまん)なその態度は、心と心とが向き合う真心の対話をする気なんぞは全く感じられないものだった。

後に父に聞いたのだが、母が亡くなって一週間くらいの時期に、お悔やみも慰めや励ましの言葉も発する事ナシに、『あなた(父)をおくる時(←つまり、父の葬式)に見送ってくれる身内の信徒がいないといけないのだ!』という意味の言葉を面と向かって恫喝(どうかつ)さながらに突きつけられたそうだ………近しい者を亡くしたばかりのデリケートな時期に、まだ生きている当人を前にしてズケズケと言い放つこの無神経さは、もはや宗教でもなんでもなくて、細木数子ばりのヤクザなインチキ占い師のようである。

最近も、私が定期的に父の様子を見に実家に訪れるタイミングを見計らって訪問してきたのだが、大して興味もないのがアリアリと分かる態度のまま、話のタダのキッカケとして部屋に飾ってあった写真に映(うつ)る家族の話をかる~く聞いてきて、父が嬉(うれ)しそうに答え始めると、それを遮(さえぎ)るかのように、早速(さっそく)、例によってムダに宗教用語を使い倒す勧誘行為を始めてきた。

お前たちの言う事なんざ、どうでもいいんだ!さっさと俺たちの言う通りにしろ!〉

………という、言葉には直接出ないものの、明らかにそういう意味を表す彼らの高圧的な態度に、さすがに私も頭に来てこう言った。

『金や仕事やシガラミとは関係のない宗教ならば、心と心とのつながりが最も大事である………互いの信頼、心と心とが向き合う事の大切さを理解出来ないあなた方の姿は、あなた方が信仰している宗教のあり方そのものだ。あなた方が使うような仏教用語くらいは私も心得ている。
ムダに頭デッカチの教学を振りかざさなければならないのは、本当の意味で教学が身に付いていない証拠だ。人の心を軽(かろ)んじ、血の通わないあなた方の宗教に、未来永劫(~えいごう)、入信する事はない!』……………一応、念のためにことわっておくが、この話は事実であり、特定の宗教組織を故意に攻撃するための作り話ではない。そもそも筆者自身は現存する宗教組織"すべて"に何らシンパシーは抱いておらず、どこかの組織に肩入れする必要も、悪質なネット住民のように意味もなく貶(おとし)める理由もないし、そんな事をしたところで何のメリットもない。


………大体、こういう勧誘行為の激しい連中の全てとは言わないが、ユダヤ、キリスト、イスラムの歴史や文化や風土に関する初歩的な知識もないままに、単なる己(おのれ)の主観的イメージと付け焼き刃の仏教知識で単純で浅はかな吐き捨ての批判に終わっている割合がおそろしく多い事に驚いてしまう。その上、仏教の扉を開けた釈迦についてもアヤフヤな知識や理解で終わっている場合が多い事に呆(あき)れて物が言えない。

無論、宗教信仰者だけではない。

例えば単なる西洋力学カブレのキ〇〇イ集団に過ぎない、イスラムの名前を冠しただけの「自称・イスラム国」とやらの一連の残虐行為だけでイスラム文化の全てを一方的なイメージだけで分かったかのような気になっている輩(やから)がなんと多いことか………そういう人たちは一般大多数のイスラム信者の生活をどれだけ知り、イスラムの源流の一つであるアリストテレス哲学をどれだけ理解しているのか?

………現代の新興宗教団体は別として、伝統宗教というものはそれ自体が突然発生したものではなく、その土地の自然や風土や歴史と密接な結び付きがあり、人類の歴史・文化の一部でもある。

正邪(せいじゃ)はともかく、単純に教義や現象のホンの断片(だんぺん)だけを取り上げて都合よく簡単に批判しても、それは批判する側の自己満足に終わるだけで何の説得力も無い。

フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャを知ったところで日本人及び日本文化を理解した事にはならないのと同意である。

勿論、批判そのものが駄目だとは思わない。
寧(むし)ろ、人の考え方や生き方に大きな影響を及ぼすだけに、その在(あ)り方には常に厳しい目を向けなければならないのは当然だ。

血塗られた歴史のキリスト教の功罪はもっと徹底的に検証・断罪すべきだし、近年においてもまだ、汚職や虐待、殺人が蔓延(はびこ)るバチカンの所業(しょぎょう)は見過ごす事は出来ない。その他の宗教も同じ事だ。

宗教組織というのは、大衆を食い物にする側面が必ずある。これは何処(どこ)の組織がという事ではなく、"例外無く"全てそうであり、人間が運営していく以上、必ず間違いを犯すのも歴史的事実だ。

だからこそ、どのような立場の者であれ、日々反省が必要なのであり、上から目線に立っている余裕などは初めから無いのである。

★★★………余談になるが、仏壇や位牌(いはい)のルーツは儒教(じゅきょう)だし、仏教の数珠(じゅず)は景教(けいきょう)の風習であった数珠が仏教に取り入れられたものであり、また、景教ではローソクを立て、明かりを灯(とも)し、祈りの始めや終わりにベルを鳴らすのだが、これは仏教の読経(どっきょう)の際の御鈴(おりん)を鳴らすことやローソクに灯をともす事に影響を与えたとされている。

景教(けいきょう)………元々はキリスト教から派生した【ネストリウス派】の事で、「イエスは人間でもある」と異を唱えた為に、431年の東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世が開催したエフェソス公会議において異端(いたん)認定されて追放され、その後、東へ流れてインドを通り、中国や日本にたどり着いた宗派。空海や最澄も景教に影響を受けており、それぞれ聖書を日本に持ち帰っている。
因(ちな)みに空海=弘法大師の別名であり、"大日如来"をさす《遍照金剛(へんじょうこんごう)》の意味は「その光があまねく世界を照らし,その存在は金剛のように堅固(けんご)である」であるが、 これはマタイの漢語聖書の「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という記述から引用されたとする説は根強くある………※

輪廻転生(りんねてんせい)についても釈迦は問われても言及した事がなく、寧(むし)ろ、ソコに囚(とら)われるのは修行の邪魔にしかならないとまで言っており、お彼岸(ひがん)法要にしても元々は平将門(たいらのまさかど)、菅原道真(すがわらのみちざね)と並ぶ日本三大怨霊(~おんりょう)の一人、早良親王(さわらしんのう)=崇道天皇(すどうてんのう)の霊を鎮(しず)める為に始まった行事であり、また、故人に授(さず)ける戒名(かいみょう)にしても、本来は仏道修行者が仏門に入った証(あかし)、仏教の戒律を守る証(あかし)として生前に授けられるのが筋であって、死んだから付けるようなものではない。

そもそも釈迦の時代から仏教では通常、《僧侶は葬儀には関与しない》ものなのだ。

もっと究極な事を言えば、日本で言うところの功徳(くどく)、御利益(ごりやく)にスガったりするような考え方は、仏教修行本来の目的とは全く別次元のものであり、ついでに言うと、恐らく無神論者であった釈迦自身を信仰の対象にしたり、あるいは偶像、仏像などといった無常(むじょう=すべてのものは老いて、壊<こわ>れ、死滅する。その法則から逃れられるものは無いという意味…)のものを拝(おが)んだりする行為は、仏教本来の精神からは完全にかけ離れた行為である。

バラモン教(古代ヒンドゥー教)、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、道教、儒教、その他の土着民俗宗教等々が混合した中国仏教を輸入し、日本古来の信仰も合わせて幅広いチャンポン融合をしてしまった日本仏教というのは、独特の異彩を放つ。

日本でもお馴染(なじ)みの毘沙門(びしゃもん)天、弁財天、大黒天、水天宮などの「天」がつく神様は皆、仏教ではなくヒンドゥー教の神であり、金比羅(こんぴら)に至っては、ガンジス川に棲(す)む鰐(ワニ)を神格化したヒンドゥーの水神クンビーラがルーツである………★★★

【大いなる道を行く】とは、今のような宗教の在り方ではないだろうと、個人的には思う。

………例えるなら、経典は池の水面(みなも)に映った月のようなもので、それを延々と掬(すく)い続けても、月には永遠に到達しない事と同意である。

正しい地図を持った、見た、読んだ、理解したからと言って目的地に辿(たど)り着いたわけではない。

実際に汗を流して歩くのは我々人間であり、それが方向オンチであったり目をつぶって歩いていたり、あるいは地図を逆さまに見たりすれば何の意味もない。

しかも目的地に辿(たど)り着いてもいない者が、分かったような顔をして目的地について偉そうに講釈を垂(た)れるなんぞは愚の骨頂である。


(写真↑祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)跡/釈迦が説法を行ったとされる場所。釈迦在世時には五つあった寺院【天竺五精舎(てんじくごしょうじゃ)】の一つ。)

人間には真実を見極める力も真実を伝える能力も端(はな)から持ち合わせていない。

だからこそ、何に依存(いぞん)するかと言えば結局は【自分が信じているもの、自分の価値観】しかない。そこに依存する事により、さも真理を見つけたかのような錯覚を起こしているのが大半の宗教であり、その信者達である。

だからこそ釈迦は、仏教の真理を一方的な言葉で押し付けるような事はせず、安易(あんい)な依存や盲目的信奉(~しんぽう)も許さず、ひたすらに疑問を持つ事、考える事、知る事を人々に望んだ。

【盲目的信奉】は客観的に学び考える意欲を衰えさせるだけだ。

それを踏まえた上で、釈迦は相手の思考を整理整頓しながら真理を伝えようとする独特の説法を行なったのであろう。

宗教に限らず、世の中には様々な耳ざわりの良い言葉やアジテーションに走る罵詈雑言(ばりぞうごん)がウンザリするほど氾濫(はんらん)しているが、それらに共通する事は自らの闇や都合の悪い事は黙殺し、やたらに正義や正当性を振りかざす事にある。

宗教の勧誘や政治・思想のアピール等が心に響かないのは、他者への非難は感情的にすらなっても、自己の正当性については理屈と美辞麗句のみの無機質な《飾り言葉のオンパレード》になってしまうという、明らかに己(おのれ)の信奉(しんぽう)するモノに対しての【依存性(いぞんせい)の高さ】が前面に露呈してしまい、およそ生身の人間と会話をしている感覚にはなれない事にあり、そこに欺瞞(ぎまん)を感じてしまう為である。

『正義』とは己の都合の良い看板に過ぎない。

人は誰でも例外無く必ず間違いを犯し、苦悶(くもん)もする。それを省(かえり)みる事も認めようともしない宗教組織に、何の意味があるのだろう?

そもそも信仰とは"法"を中心とするべきであって、組織を信仰するなんて本末転倒である。なぜなら、煩悩(ぼんのう)だらけの人間(もちろん僧侶も含め)の運営する組織は、必ず煩悩に冒(おか)されてしまうからだ。

名も無き多くの人間のちっぽけな存在と偉大さを感じぬ傲慢(ほうまん)な者からは、真の美しい言葉は出る事はない。



恵まれない子供達や貧困者や病人等に対する救済活動に一生を捧げたとされるマザー・テレサ(1910~1997/1979年ノーベル平和賞受賞)………彼女の半(なか)ば伝説化した美談や名声は、カトリック教会の誇大(こだい)宣伝も多分にあるだろうとは思うし、真偽(しんぎ)のほどは分からないが〈良い評判だけではない様々な情報〉も聞いている。

しかし、テレサが心に闇を抱えていた事を自身で告白している手紙の内容は印象に残る。

私のために祈ってください。
私の心のすべてが氷のように冷たいのです。
私を支えていた疑う事を知らない信仰は、実際には私にとって全て闇を生み出すだけなのです。

   …ペリエール大司教への告白(1955年/マザー・テレサ45歳)

私がシスターや人々に神や神について口を開く時、その人達に光と喜びと勇気をもたらす事をよく理解しています。
しかし、その私は光も喜びも勇気も何も得ていないのです。内面は全て闇で、神から完全に切り離されているという感覚です。

   …アルバート・ヒュアート神父への告白(1985年/マザー・テレサ75歳)  


………ただし、断っておくが、この告白はカトリック側にとっても、"反"カトリックにとっても、持論の正当性の理屈付けに利用しようと思えば如何様(いかよう)にでも解釈は出来るのだろうが、私の関心はそんなところには端(はな)から無い。

清く正しく美しく、ズルさも迷いも闇も無かったかのような完全無欠な生き方ばかりではなかったという彼女の、その正直さに敬意を表するものである。

テレビテレビテレビテレビテレビ……………

🎵世界中の敵に降参さ
戦う意思はない

世界中の人の幸せを祈ります
 
世界の誰の邪魔もしません
静かにしてます

世界の中の小さな場所さえあればいい

おかしいですか?
人はそれぞれ違う

~だからお願い 関わらないで
私の事はほっといて🎵

………2013年に日本テレビ系にて放映された連続ドラマ『泣くな、はらちゃん(脚本/岡田惠和<おかだ よしかず>/2013東京ドラマアウォード作品賞優秀賞/全10話)』の挿入歌で、ヒロインの心の中を唄った「私の世界(作詞/岡田惠和/ザ・テレビジョン特別賞)」の歌詞である。



地方のカマボコ加工工場で働く内向的でやたらに自己評価が低く、自己主張も苦手で争い事が嫌いなヒロイン・越前(えちぜん)さん(麻生久美子)の、ストレス解消の為にノートに描いた素人漫画(と言っても絵柄やキャラはプロ漫画の二次創作)の主人公・はらちゃん(長瀬智也)が、ひょんな事から漫画の中の世界から現実世界に躍(おど)り出て、自分の創造主であるヒロインに恋をするというファンタジードラマである。

【↓ドラマ『泣くな、はらちゃん』より「私の世界」】





漫画の中の世界においては、創造主………漫画キャラ達が【神様】と呼んでいる越前さんの現実での職場や生活環境での辛(つら)さや鬱憤(うっぷん)に伴(ともな)う不安定な精神状態が大きく反映され、皆が神様の動向を気にしている。 

漫画の主人公…【はらちゃん】は、生みの親であるヒロインとは真逆の明るく積極的なキャラクターである。しかも彼には余計な企(たくら)みや欲が無く、ひたすらに恋する越前さんの幸せだけを願って奮闘するという女子にとってはある意味理想的な男子だが、如何(いかん)せん、漫画の世界の事しか知らず、しかもシリーズ序盤は自分自身がノートに描かれた漫画のキャラクターであるという認識も無く、知識も含めて現実的対応能力が無い為、新たな騒動を巻き起こしてしまう。



【↑ドラマの中で、越前さんがノートに鉛筆で描いていた素人漫画『はらちゃん』】

ギターには弦(げん)が6本もある事や、歌というものにはメロディーがあるのだという事も現実の世界で初めて知るはらちゃん………

「あれは何ですか?」
「これは何と言うモノですか?」

……海、空、太陽、草花、犬や猫やカメ、カマボコや海老ピラフに救急車等々、我々には見慣れた存在でも彼にとっては全てが驚きの連続で、何の変哲もない地味な日常が実は魅力的なものだらけなんだという事を、視聴者ははらちゃんの目線を通して再確認する事になる。

しかし現実の世の中というものは優しさや心地よさ、面白さだけで出来ているわけではない事は当然で、シリーズの後半では戦争や災害、暴力、憎しみや死もある事を、はらちゃんは知る事になる。

更には神様である越前さんまでもが現実世界に嫌気がさし、自身を漫画に描いて、抑圧(よくあつ)も争いも無いノートの中の漫画世界に逃避してしまう展開に………

何の問題もシガラミも悩みも無い、の~んびりとした漫画の世界。
彼女はこの世界で、優しいはらちゃん達と永遠に居たいと願う。

「アッチの世界は、私がいなくなっても結局、変わらないのよ…私なんて、ちっぽけな、ドーデもいい人間なんだわ…」

しかし、はらちゃんはそんな越前さんは嫌いだと言う。

一時は現実世界に失望しかけたはらちゃんだが、それでもこの世の中には希望を持つ価値がある、生きるに値する魅力があるのだと、越前さん自身が実は無意識に思っている生存欲求を、本能的に彼は感じていたのだ。

【神様】が生き生きと人生を歩む姿こそが、はらちゃんにとっての最大級の幸福であり、漫画の中の世界は現実世界の住人である越前さんの居場所ではない事も彼は知っている。
だからこそ、はらちゃんは言う。


世の中と両想いになって下さい。


ドラマの冒頭から、はらちゃんは越前さんに片想いをしている。
そして自分達の世界の創造主である越前さんは、彼にとっての世界そのものでもある。
はらちゃんにとっては越前さんと【両想い】になることが夢…つまりは自分を生んでくれた世界と両想いになる事が幸福だと確信している。

はらちゃんの存在というのは、当然ながら彼の創造主である越前さんの心の中の声である。

越前さんも本当は現在の自分の在り方に満足しているわけではない。

何とか情けない今の殻(から)を破って本当の自分らしく生きてみたい、そうすれば世の中も違って見えてくるだろうと本音では思っている。

しかし、現実に立ち向かう勇気、自分が存在する世界に対する本気の想いが持てないでいるストレスが【はらちゃん】という漫画キャラを生み出してしまったのだ。



この世界に生まれてきた時点で、我々はこの世界から望まれ、想われている。

ならば、自分自身もこの世界を想い、両想いになれば良い……そう意識する事で、世界はほんの少し、違って見えるのではないか。
それが、自らの生命の幹(みき)に新たな息吹きが吹き込まれる事になるのではないだろうか。

自分は世界を構成する一員である事を認識し、苦しみも多いこの現実に飛び込んでこそ、はじめて自身の真の価値が見出(みい)だされるというもの。

我々一人一人は【世界に一つだけの花】【あなたはあなたのままでいい】などとというのは、ともすると孤独や逃避(とうひ)の不毛(ふもう)な慰(なぐさ)めという錯覚(さっかく)に陥(おちい)る危険性もある。

人間は一人だけでは生きられない社会的動物であり、自分が存在している現実社会において自身の存在意義を見出(みい)だそうとし………つまりは花を咲かそうと努力する、その思考や感性や可能性は一人一人違う【世界と共に生きるただ一つの花】なのだ。

世界と結ぶ個々の存在感がより明確になる事で、一人の存在の奇跡は地球の存在の奇跡にも通ずるのである。

宇宙だの啓示(けいじ)だの宿命だの輪廻(りんね)だの未来だの守護霊だの星云々だの、言葉のレトリックとして一見神秘性を帯びたイメージ、あるいは専門用語を羅列(られつ)していかにも科学らしき体裁(ていさい)を装(よそお)う個人や団体は沢山いるが、薬屋の広告のような耳ざわりの良い効能ばかりを謳(うた)い、或いは不安を煽(あお)って強迫観念に訴えかけようとするものは眉唾物(まゆつばもの)だと考えてまず間違いない。

人心を惑(まど)わす高みの教えや癒(いや)しの言葉などに振り回されなくとも、地に足のついた救いの声を聞く………それは本来、我々一人一人が実は分かっている事なのである。

何故なら、世俗の感情に囚(とら)われないところの自身の奥底にある沈黙の声と真摯(しんし)に向かい合えば、自(おの)ずと答えは見えてくるからである。

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すべてに幸あれ。

そう呟(つぶや)きながら坂道を下る一人の老人。

彼の日課はクロスワードパズルと当たらない宝くじを買う事。

老人の名はオズワルド・チルトナー、78歳。

南オーストリア生まれの彼は、化学を学んでいた頃に徴兵され、やがてフランス軍に捕虜として捕らえられてしまう。

1946年、オーストリアに帰国した時、彼は既(すで)に精神に異常をきたしていた………



「エルサレム・混沌(こんとん)の音」「なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と扇動ラジオ放送~」「印度漂流」等、世界各国で多くの称賛と受賞経験を持つ、TVのドキュメンタリー畑出身の五十嵐久美子が監督・編集も兼ねた16㎜フィルムのドキュメンタリー映画作品『遠足~Der Ausflug(製作/デジタルメディアエンタテイメント,ドキュメンタリージャパン/2000年12月6日公開/86分/DVD発売:トランスフォーマー)』では、様々な理由で心の病を抱えた10人の芸術家達のグループ生活の日常を描いている。
 
オーストリアの首都ウィーンから北西30㎞に位置する、グギング村神経科病院の敷地内にある【芸術家の家】。

1950年代後半、医師のナブラディル博士は診療実験の一つとして患者達に絵を描かせていた。

やがて彼はその中に芸術的才能を持つ者がいる事を発見し、1981年、博士は【芸術家の家】を創設し、才能を認められた患者達が招かれたのだった。

彼らの作品はアールブリュット=野生の芸術として世界各国で高く評価され、絵画の収益金で施設は運営されており、芸術家の家はアウトサイダー・アートの一大聖地となっている。

「ハズレ……私には運がない。」

またいつものように宝くじのハズレを確認するチルトナー。

スクリーンに映る一枚の彼の絵には「最初の考え…それは平和」と記されている。

彼の作品のスタイルは頭と胴だけの人間を描く事。

………この施設の他の芸術家達の作品も各々に特徴ある作風を持つ。

中心となる建物や動物のまわりを更に細かい模様で埋め尽くす、空間恐怖症の男が描く余白の無い緻密な絵。

年に2回だけ恋人とのデートに出掛ける男が描く、エロティックな彼女との恋物語。

神経科の慢性(まんせい)患者病棟で30年以上も過ごしてきた男が描く、カップや瓶(びん)や傘等々の日用品をモチーフに、同じ形状のものを規則正しく配列し、単色の色付けをしていく作風の絵。

家の壁、地面や木など周囲のあらゆるものを空想の生き物や神を使って装飾し、独自の神話や哲学を描いたもの。

幼少から不安神経症になり、長期間、神経科病院に収容されていた男が描く、丸を基調とした骨太な線で描かれた人間のようなものに濃色を配したもの等々………


本作にはドラマティックな盛り上がりなどは無く、淡々と穏(おだ)やかに時間が過ぎてゆく。

それでも敢(あ)えて盛り上がりに該当(がいとう)する箇所と言えば、近郊で言えばウィーン、そして映画の後半に登場するチェコのプラハで行われた展覧会であろう。
彼らにとっては正に【遠足】だ。

「芸術家というより、子供が描いたみたい。」 

「障害者なのに、とても綺麗に輪郭(りんかく)が描けてるじゃない。」

「ぐちゃぐちゃいっぱい描いてあって、ちょっとやり過ぎだと思うわ。」

一般観覧者の感想は様々だ。

素晴らしい作品だ、と絶賛する者も勿論いる。

しかし出品した彼らにとっては他人の評価はさほど重要な事ではない。
目の前で自分の作品の事をアレコレ話されても売買されても、それらを見つめる彼らの目は虚(うつ)ろだ。

撮影側の作為(さくい)も多少は感じられるが、展覧会にたむろする口先上手なバイヤーや、綺麗な洋服に身を包んだ上品な紳士や婦人達、会場内で含みのある目付きで携帯電話で喋(しゃべ)り倒す目的が不明な男………それらのシーンを観ていると、何故(なぜ)か言い知れぬ虚無感(きょむかん)を感じてしまう。

映画は詳細な説明は敢えて省(はぶ)く手法をとっている。

作品を描く動機や芸術家達の背景及び製作過程等の探究は軽く触れる程度に留(とど)めており、ひたすらに日常の何気ない会話や仕草や行動を淡々と映し出す事を主としている。それが不親切で退屈だと不満に感じる評論家やユーザーも少なくないようだ。

しかし、本来他人は勿論、当人でも説明のしようがないモノを饒舌(じょうぜつ)に語る方がウソ臭く思う。

最近のドキュメンタリー等を観ていて思うのは、とにかく語り過ぎ、説明過多な事だ。それは鑑賞者を作り手の目線や思想に誘導しかねない危険性もあると同時に、鑑賞者自身の【映画脳】の低下も招きかねない。

彼らにとって絵を描く事も、他人の評価に晒(さら)される事も、飯を食ったりカフェオレを飲んだり、うたた寝をしたり、施設から【お小遣い】を貰って好きなモノを買ったり、遠足に出掛ける事も皆、日常の単なる一コマに過ぎないのである。

描いている作品が個性的なだけに、そこだけを突出して見がちだが、彼らの普段の生活や心の有り様が今の作品を支えているのは明らかだ。そこに至るまでの過去等については、積み重ねてきた現在の表情を見るだけでも余りある情報がある………【映像を読む】というのは、そういう事だ。

撮影対象と適度な距離感を保ち、余計なナレーションやテロップは極力排除し、対象物を突き放すくらいのドライな対応をしてくれた方が、少なくとも私個人にとっては見易いし、映画脳もフル回転して作品及び撮影対象物が持つ【沈黙の言葉】が伝わってくるような気がする。



「誰も取ったりしないんだから、慌てないでゆっくり食べなさい………ほらぁ、ゆっくり食べないから詰まるのよ、兄さん………ゆっくり休みながら食べるのよ、おいしいでしょ。」

作品の終盤、映画紹介の冒頭に挙げたオズワルド・チルトナーの妹夫婦が、兄の好物のヨーグルトを持って訪ねて来るシーンがある。

「もうじき山に雪が降るわ、兄さん。」
「今度………」
「そうね、また今度………また来るときには何か美味しいものを作って来ましょうね。」

「ほら、兄さんの好きなパズルを持ってきたわよ………もう、さよならを言わなくちゃならないわ。何か言ってちょうだい。」
「また来て、また来て………」
「すぐに来るわ、また来ますよ………身体に気を付けるのよ、兄さん。それが一番大切だからね。さぁ、さよならを言ってちょうだい。」
「ありがとう、ありがとう………すべてに、幸あれ………」


 
ダンケ、ダンケとドイツ語で感謝の言葉を繰り返しながら涙ぐむオズワルド。

元々鼻炎の持ち主のようで、いつも鼻や大きな目を赤らげているので、泣き顔自体が彼のトレードマークのように見える。

自分の部屋に戻り、一人ベッドに座っていても「さよなら…さよなら…すべてに幸あれ。」と呟(つぶや)くオズワルド・チルトナー、78歳。


芸術家の家を取り巻く秋のウィーン郊外はとても美しく穏やかだ。

施設の中はとても簡素で、少し寒々とした印象も受けるくらいに、贅沢(ぜいたく)な様子は感じられない。
 
そして、最も興味を引くのは10人の芸術家達の互いの適度な距離感だ。

比較的ニコやかな者もいるが、一見気難しい者や無口な者もいる。
彼らは他人の邪魔はしないし、過剰な干渉(かんしょう)もしない。しかし、紳士的な気遣(きづか)いはする。お互いに助け合う仲間だと認識しているのだ。

映画の中においては彼らが言い争ったり暴れたりする場面は全く無い。そういう姿が施設周囲の静かな森の美しい風景と同化している事に気付く。

心の隙間(すきま)を埋(う)めるように絵を描く姿は、散らばった自分自身のパズルを探し集める為に足掻(あが)いているようにも見える。

「すべてに幸あれ。」と呟(つぶや)き続けるオズワルド・チルトナーの真意は勿論分からないし、理解出来るようなものではないかも知れない。
しかし、この老人の弱々しい【幸あれ】の声を聞くと、世界の厳しさと優しさを同時に感じてしまう。

そういう世界に、ほんの少しの勇気を持って【遠足】に行ってみようという気分になった………

***

自分に命令する力のないものほど、自分を命令するものを求める。

人間は晴れ晴れとした健(すこ)やかな愛をもって自分自身を愛することを学ばねばならない。
これが私の教えである。自分自身を堅持(けんじ)し、あちこち彷徨(さまよ)うことがないようにである。

……………ニーチェ