通夜、葬式、
全て終わりました
皆様の心温まるコメント
ありがとうございました
実は夜中にこっそり読んで
一人泣いてました
私はこの1年で2度だけ泣きました。
一度目は母が膵臓がんになったと知った時
二度目は余命宣告の時
それ以外は
絶対母の前でなくものか!
と、一度も泣きませんでした。
母は怖がりでした
痛いの怖い
しんどいの怖い
死ぬのも怖い
病室に幽霊たらどうしよう
私が泣いてると絶対不安になるやろう
心配するやろう
そう思ったので絶対泣くもんかと
母が、辛そうな時であればあるほど
笑顔で
【大丈夫やで横おるからな】
と、言い続け
基本笑わせようと毎日頑張ってました。
毎日
【今日はおかん、3回笑った】
と、自分の中でカウントしてました。
亡くなる4日前酸素をつけられて
話せず苦しそうな中でも
ニコって笑ってくれたのが一番うれしかった。
【笑かすな癌で、
腹痛いのに余計痛くなる】
とお腹を押さえて笑ってました。
そんな母の仏になった顔は
まるで菩薩様
柔らかい笑顔でした。
そしてその反動で
1年分の我慢の涙が
火葬後家に遺骨を飾り
部屋でボーッと眺めている時に
栓が外れたのか溢れ出し
止まらなくなりました。
声をあげて
わーん、わーん、おかあさんー
と泣きました。
止まってもまたすぐでてきます
あー、私1年ずっと心で泣いてたんだなぁ
そう、実感しました。
葬儀は
風邪を引いた鼻声の坊さんが来た。
そういえば
何年か前厄払いかなんかの時に
家族でご祈祷の時
花粉症かなんかの坊さんが
お経の途中で急に止まって
【………】
【イーックシッ】
と、加トちゃんのようなくしゃみをし、
母と二人で吹き出した事を思い出しました
おかん、うちらいつもこんなんやな 笑
今日は風邪ひいた鼻声の坊さんやで 笑
出棺の時は運転手が
縁石に躓いて
クソ真面目な顔のまま
3歩くらいケンケンして
必死でコケるの堪えてるし。
吹いたわ 笑
そして
法名なんですが
母の名前の一字と
その他のもう一つの漢字が
ほんと
たまたま偶然にも
私の名前の1字だったんです。
おかん、これで私の魂と
ずっと一緒だね!
うれしいね、さびしくないねー
これには父もびっくりしてました。
お坊さんもびっくりしてました。
そして
私は死ぬほど嬉しかった
しばらく1年分の涙が出きるまで
泣きます
本当に、優しいお言葉を沢山くれた皆様
ありがとうございました😊
これで母の最期の記事は終了です。
次は
本題の懸賞記事を書きますね
この空白の1年での当選品を
私は不思議な体験をしたので記します
それはまた、おうちに戻ってから
お別れの時に
花を入れたり遺品を入れる時に
母が好きだったベンチャーズの
パイプラインが流れ
(これ以外もあったのにたまたま
この時間にパイプラインが流れた)
すっげー急かされて作業してる
ドリフのセット撤去
みたいな風景になってた
テケテケテケテケテケテケテケテケ……
出棺の時はトーケンズのライオンは寝ている
だったのでなんだか
ステップ踏みながら体揺らしてしまった
だからあの運転手躓いたのかな 笑
知らない人は興味あったらユーチューブで
聞いてみて、お別れと出棺
この音楽やったんやと想像してみて 笑
絶対笑うから