どこかのsmsサイトじゃあまりにも公表できないことだからこっちに書く。
ここ最近仕事だろうが休日だろうが関係なく謎の焦燥感と不安と眩暈と意識が飛びそうになるのが頻発&長時間継続が増えてきて仕事もままならない日が増えてきて早退する日が増えてきて
耐える以外に方法が見当たらないから、ただひたすら我慢していたんですが
母親が友達の自殺をきっかけにパニック障害その他いろいろな精神病にかかっているのが判明し
おかしくなっているのを、おかしくなりきってる自分がサポートしていたら自分が限界を迎えてしまった。
そして先日母親に初めて精神科にかかることを認められ(これについては後記)病院に行ったら
・抑鬱症 ・パニック障害 ・自律神経失調症 ・過食症 ・軽い不眠症
と診断を受けました。
しかもカウンセリングをしていた時点で判明したのがパニック障害と自律神経失調症は約七年前からだということ。
正直分かってはいたんですが、言われたら言われたでショックと言うか自分がそうなんだということが頭から離れなくなってしまいまして、いま薬を飲んでいますが
はっきり言ってより悪化しました。
仕事に行く気力どころか、仕事することの恐怖。
なんで恐怖かと言うと、症状が出てただでさえつらいのに周りに迷惑をかけていることで更に明日が怖くなってきて行きたくないのに行かなきゃいけない、っていう。
なぜこうなのかは自分でも理解しています。解決の糸口も知っています。知ってますが、それは無理なのです。
自分のこういった状態のルーツは全て家族のことだからです。
上記のとおり約七年前から病にかかっていると書きました。
なぜ七年もの間我慢しなくてはいけなったのか?それは第一に母親にあります。
自分なんかより昔から常人では信じられないような苦痛や劣悪な環境で生きてきた人だと小学四年生のころから毎日のように聞かされていました。そのたび号泣する母を見て子供ながらにその姿が素直にみてるだけで苦痛だったんです。
そしてつい最近まで親父の育児放棄、DV等…長男からかいつも両親からの風あたりを受け続けてきました。
親父が暴れれば悲鳴と破壊音、その音のせいで未だに騒音と言うかディズニーランドとかの喧騒だけで恐怖が湧いてくるんです。
そして親父が荒らしに荒らした後の事後処理はいつも自分でした。
泣きじゃくり、発狂する母の親父に対する恨みつらみを聞く。そんなことを繰り返すうちに親父が恨みの対象にすり変わり始めたのが中学生の頃だったと思います。
自分が中学生になっても親父は暴虐武人の限り。とうとう母親はうつ病にかかる始末。そして毎度ながらその相手や対象は自分。
このころ初めて好きな人ができて告白して付き合うことができた。でもすぐに振られて、それが直接の原因か知らないが女子の軍団から執拗にいじめを受けるようになった。
大体このころからか、作り笑いで全て誤魔化すようになりました。
どんなにつらくても笑っていれば、最後に笑えていればとあの時はそう思えていました。
こんなときいつも支えてくれたのは音楽でした。当時はMDだったか。ミスチルが好きで好きで、終わりなき旅とかonetwothreeとかエニーとか気持ちを救ってくれる音楽だけが支えだったなぁ。
でもストレスと言うか気持ちのしこりは腫れあがるばかりだったんだろうね。
で、いつの間にか自分もこうなりたいなぁって。こういう風に誰かの心を救える言葉を書いてみたいなぁって
歴史に残るとか名作とかじゃなくて誰かの心に刺さる音とか言葉を創造できたらなぁって。
だから、ギターが欲しくてでもバイトなんてできないからお年玉で買おうって決めてたんだけど、
親に初めてこれがやりたいって、ギター弾きたいって言ったら「すぐに飽きるんだから絶対に買うな」
これがたぶん最初の完全否定。そしてこの先から現在まで続く俺に対する絶対否定とエゴの押しつけの始まり。
でも当時はよくわからなくて、なんども言葉にしてどうしても欲しいと気持ちを伝えた。
そしたら高校に受かれば買ってやるって言ってくれた。これは本当にうれしかった。
でも、なんだか勉強って誰でもだろうけど対して好きでもないし成績もそれなりに居ればよかったから
当たり障りのない位しかやってなくて、高校受験が控えた数か月前まで本当に全く勉強していなかった。
これはものすごく今でも反省している。本当に自分の現在を決定づけてしまった気がする時期でもあったと思う。
逃げ癖と言うのか、それを見かねたうつ病からの病み上がりの母は親心なのか、鬱からくるものなのか
ただ叱るというのではなく恐怖を刻みつけられるような様々な制裁を加えてきた。
不器用だったのかもしれない。そうかもしれないけれど
それがきっかけで一つタガが外れてしまった。
今まで散々ため込んできたストレスが爆発してしまった。何処に居ても何をしていても恐怖と焦燥感。とらわれるように布団にこもりながら「しにたくない。」を連呼していたのをいまでも覚えてる。
色々書いてきたが、このことは実のところ誰も知らない話。俺だけがひたすら隠してきたこと。
なぜかというと相談する相手がいないのと、相談相手と錯覚していた母は俺の言葉、行動そのたすべて、母親の持つエゴという常識ないから逸脱していたら異端児扱い。
助けてほしくて苦しんでいると、「苦しむなんて情けない。」「そんなに逃げて何が楽しい」とか
ほんの一部にすぎないけどこんな言葉ばかり。
だから、気持ちの病気なのを知っていたけど病院に行けなかった。
保険証も親が常備していて、とてもじゃないけど精神科に行けるお金も持ってなくて。
涙ながらに訴えても否定されて、おれはどんどん深みにはまっていってしまった。
あまり書いてないけど親父がちょっとしたことで切れるからいつも居間は凍りついていた。
母も人間だから体調が悪い時もある。そんな時親父は目もくれずテレビを見て爆笑。おれは心配でいつも看病とかしてた。その癖はいまだに抜けず母が少しつらそうだと条件反射で色々と家事なり何なり全部やってしまう。
いつも心配で仕方ない母親だけど、どこか反面そばに居たくもない複雑な感じだった。
この間判明したが、親は逆に考えていた。はっきりと母は「困った時は俺」とまるで疑似旦那扱いだった。
恐らくそれも見えないストレスだったと思う。
そして先月中のこと。先述の通り母親が精神科に行ったとかいた。
これがきっかけで、母親は初めて俺が我慢していたことを知っていながら自分のエゴですべて無視していたことを泣きながら謝罪してきた。
まさか自分の子供がなるわけない。
まさかそんな弱い人間なはずがないと。
あまりおに唐突にそんな言葉を聞いて俺はいつも通り「大丈夫だよ」しか言えなかった。
本当にいつも通り。あっけにとられ過ぎて怒りもわかない。平常平常。
と思っていたけどもう限界なんてとっくに超過していたみたいだった。
仕事に行くたびに体調が悪化する。不安と焦燥感でバイクのハンドルすら握れない。
逃げ場なんてどこにもなくて食べることと、寝ている間(すぐに目が覚めるけど)以外生きる気力も希望も未来も
何も見えない。
暗闇ならまだまし。本当になんにもない。どうしよう?とか思うことすらできない。
助けを求めて病院に行ったけど魔法のようにすぐには治らないからそれが不安でまたおかしくなりそうになる。
今日も仕事早退したし、先週も一回早退した。周りの目も少しずつ距離を感じてきてる。
本当に何がしたいんだろう?このまま生きていて何があるんだろう?
希望的観測じゃなくて、確かな希望って落ちていないものなのかな?
動き出せないのに動き出せって難しいこと言われてもわかんないよ?
明日も仕事なのに今からもう怖いし、俺の人生いったい何なのだろう?
誰かに同情してもらいたいわけじゃない。誰かに聞かせる話でもない。
でもこういう風に少しはけ出さないともうやりきれない。
病気な自分が許せないし、なんでこんな運命でしかないのか苛立つ。
しかもどれもこれも精神病。あほらしいよね。
でも一つ精神病患者のくせにイレギュラーなのが自殺したいとか、生きていたくないとかそういうのは全然ないことかな。
そこだけはまえを向けてるんだよね。
でも家族が本当に俺のこと理解してくれるまで永遠に解決しないよね。
ここに書いたことが本音の一部なんだがたぶんこの一部でさえ彼らは知らないから。
いまさらわかってもらっても嬉しくないし、むしろ両親に対する恨みが膨れ上がっている今だんだん抑えられない自分が怖い気もする。
ワイドショーにだけは乗らないように気を付けると肝に銘じて
駄文を書き終えにします
では