茶々姫をたどる汐路にて -20ページ目

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究の関連日記、茶々姫サイト『萩の御前』(http://chachahime.hanagasumi.net/)の更新情報など。


家に届いたほうは、密林さんから届いたって意味ですー


posted at 18:33:42


読むに耐えない某書への痛快な反論もあって、もどかしい思いも爽やかに晴れ渡る思いです…。さて、講演の準備の合間にがっつり読みましょー!


posted at 18:32:57


愛読用、保存用となったら、布教用も揃えなければいけないような気がしてきました(笑)


posted at 18:31:19


家に帰ったら、福田千鶴先生の『豊臣秀頼』が届いていて、読みながら実家に帰ったら福田先生から同書が届いていました(笑)「貴女のことですので、すでに入手いただいているかもしれませんが(略)…保存版としてお持ちいただければと…」先生、さすがです(爆笑)


posted at 18:30:14




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ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。」(中山寺HP「中山寺略縁起」 より)


豊太閤奉納の青銅塔  秀頼公奉納の鰐口 (中山寺)  -宝塚市指定文化財
東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス より)
宝塚市市史資料室
「仲山寺太子堂 秀頼卿御造営 御奉行建部壽得 慶長八癸卯年 十二月吉日」
「豊国大明神」神号(紙本墨書豊臣秀頼筆)-宝塚市指定文化財

本堂(兵庫県指定重要文化財)、阿弥陀堂、そして同慶長八年に建立という護摩堂(兵庫県指定重要文化財)も秀頼の名で再建されたものか。

京極高次や池田輝政もあったけど、結構わかりやすかったから、知ってる方は知ってるだろうなーとか、柴田勝家のが案内が立っているところにはまったく見当たらなかったとか…


posted at 23:17:44


見たものは山ほどありますが、とりあえず江の供養塔二つはお参りした。あと一つと、長政と久政もどこかにあるらしいという文献情報も持明院さんから教えていただいた。当然豊臣家墓地の茶々姫と鶴松、上杉家墓域の茶々姫と秀頼もお参りしました。


posted at 23:15:58


高野山に行って来ました。今回は宿坊体験も…当然?持明院ですよ!! pic.twitter.com/nLLnUOf2oY



posted at 23:13:29