完子の三男、松殿道昭(道基)は三十二歳の若さで亡くなっていますが、この前後、父の忠栄(後の幸家)も病床にあったようなので、はやり病だったのかもしれません。もしくは、道昭は幼いころより忠栄に可愛がられていたので、道昭の死がかなり堪えたのかも…。
posted at 13:26:03
二条康道の子、斎宮(貞子内親王)所生の光平しか書いていないところがほとんどだけど、完子の末娘日怡を継いだ瑞龍院三世日通(瑞照院。~寛文十二年七月十七日)は康道の娘だそうです。あと、娘に慈受院比丘尼という人(~寛文十一年六月十五日)がいたそう。斎宮の娘かな…?
posted at 01:44:44