[Twitter]安養院 | 茶々姫をたどる汐路にて

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ブログを更新しました。 『安芸浅野家初代~十代の妻たち』 t.co/0XP6tVAX


posted at 23:55:20


.@Ka_Yuu_K 『断家譜』ありました。兄忠平の妻奈阿(千の孫)を調べた時に複写していました。「妻松平安芸守綱晟女 名豊 天和三年癸亥五月二日縁組、忠常卒後号蓮経院、元文二年丁巳二月八日卒」だそうです。まさに灯台もと暗しでした。そしてやっぱり「豊」ですね。


posted at 23:41:05


@Ka_Yuu_K また見てみます。ありがとうございます。豊は日蓮宗徒だったんですね。


posted at 23:34:41


早速教えていただいたので改めて。第三子:犬のち豊(延宝元年九月十五日~元文二年二月七日)。父綱晟の死後誕生(「天心公御遺腹」)。本多忠常室。蓮経院殿妙脱日解大姉。墓所瑞輪寺。教えていただいたところでは名前が「春」となっていますが、姉(異母?)に春姫がいるので、その混同かな。


posted at 22:15:12


@Ka_Yuu_K そうです、ずっと探していたのに(苦笑)流石です。ありがとうございます。


posted at 22:10:07


(続き)第三子:犬のち豊(延宝元年九月十五日生。「天心公御遺腹」…つまり彼女は父綱晟の死から八ヶ月半後の生まれ)本多忠常妻。彼女の院号等がどうしても見当たらない…。


posted at 21:19:11


綱晟と八代の間に生まれた子女のまとめ。第一子:万(清涼院殿蓮心日性大童女)生年:寛文三年~寛文十年ごろ、延宝元年六月(七月)五日早世。安養院過去帳に「称専院殿姫君」とあり。第二子:長澄(寛文十一年十二月一日生まれ)三次藩主。(続く)


posted at 21:18:17


大久保教寛室法雲院(米津政武女)は八代に仕えていたことがある女性なのか、何か近しい関係だったのか、安養院に信仰深かったのか…。ヒントが少ないです。


posted at 09:42:30


本堂が高層ビル化していました。八代については、寄進の燈籠も見つけました。心残りがいろいろありますが、また調べ直して後日。 t.co/Vs9hyDUg


posted at 10:49:43


八代姫に会いに来ました。「やしろ」でいいそうです。変わった名前やね。法雲院と光心院いう二人のお墓もあるんだけど、扱い的に侍女じゃなさそう。娘(特に法雲院)…?侍女の供養塔である観音様にはそれらしき戒名が。見た感じ、華嶽院が一の侍女っぽい…?


posted at 10:02:43


今更だけど、称専院こと「八代」姫は何て読むんだろう…。おなじ字を書く神様の名前で「やじろひめ」って読むらしいけど…。あと同名は徳川斉昭の娘孝子の本名が八代姫っていうらしい。


posted at 20:33:28