最近は江の侍女、三姉妹の子女、地元の殿さま、家老についてあれやこれやと調べていたりしています。
千の行動を追いながら、改めて当時の長女、総領娘の存在感、力の大きさに驚いています。茶々姫を調べているときから感じていたことですが、千で改めて裏付けされた印象です。
庶出ではありますが家光の長女千代、また養女ではありますが、初にとっての古奈も同じ印象です。
私も長女なのですが、現代では不本意にも長女のほうが劣っているなんて言われてしまうこともあるというのに、面白いですね。
乳母研究も面白そうだと思っていますが、長女研究も面白そう。
その他、記事にするに足りないことがらを思い出したようにtwitterでつぶやいていたりします。
さて今回ですが、去年発見した古い記事をまだブログでとりあげていなかったのでそちらを。
戦国時代の女性の生き方とは 朝倉氏遺跡資料館で講座聴きに行きたかったです。
(2011年8月21日午後6時32分)
福井市の県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館で21日、公開講座「一乗学アカデミー」が開かれた。戦国時代の女性の生き方をテーマに同資料館前館長の水野和雄さん(64)が講演。NHK大河ドラマ主人公の江ら浅井三姉妹に関し水野さんは、父長政の地位向上に力を注いでいたとする独自の視点を披露し、家系を守っていく役目を担った戦国女性の強さを解説した。
同アカデミーは同遺跡の発掘・研究の成果に関心を持ってもらおうと、3年前から開かれている。この日は県内の歴史愛好家ら45人が参加した。
3月まで同資料館の館長を務めていた水野さんは、戦国時代に従四位下の地位を得ていた朝倉義景と浅井長政では、朝倉氏の方が格上だったと説明。それでも両者の同盟関係が同格として位置づけられてきたのは「江が生んだ徳川家光が、長政を破格の従二位中納言に推挙し、当時の明正天皇に追贈されたから」と指摘。明正天皇が江の娘、和子(まさこ)と後水尾天皇の間に生まれたことも背景にあるとした。長政の菩提(ぼだい)寺・養源院を淀殿と江が建築、再建したことにも触れ、「長政の地位向上には、娘の力があった」と解説した。
また水野さんは、江を描いたとされる崇源院像(養源院蔵)が「尼僧姿であることに疑問がある」とした。江は夫の秀忠より先に亡くなっていることや、絵に秀吉を示す五七の桐や、織田氏を示す木瓜が描かれていることから「淀殿の可能性もあるのでは」と推測した。
一乗谷は一度登ったことがありますが、本当に大変で、何度も転んで泥まみれになりながら登りました。
凄さを体感したという意味では貴重な経験でした…

聴きに行きたかったといえば、泉大津で跡部信先生の講演会があったんですよね。
是非行きたかったけれど、地味に遠くて断念しました。おもしろそうだったのですが。