私はまだ追いついていないのですが、先週とうとう大河ドラマでは大坂落城を迎えたとか。
折角なので、この機会に大坂の陣にまつわる茶々周囲の女性「各務兵庫女(かがみひょうごのむすめ)」を改めて紹介したいと思います。
茶々の素顔を垣間見る一助となれば幸いです。
○「淀殿不便ヲ加ヘ退カシメント…」
各務氏は森家家老各務元政の五女でした。
その出自も手伝って、直接茶々に目見えを許される立場にありました。
大坂の陣を控えたある日、各務氏は茶々に呼び出されます。茶々は、まだ年若い各務氏の命を不憫に思い、各務氏に大坂城を出るように言いました。
茶々にとっても各務氏はそれだけよく知った近しい侍女であったのでしょう。
しかし各務氏は「鬼兵庫」と呼ばれた武将の娘。この時茶々の勧めを固辞し、小脇差を腰に差して覚悟のほどを茶々に示し、退城を拒んだという逸話が『武功雑記』に紹介されています。
大坂の陣を前に、茶々はあくまでも秀頼の天下に拘って徳川への反抗を続けたように描かれますが、実際年々豊臣恩顧の諸大名はその多くが死没し、もしくは代替わりをして徳川家の縁戚となっていました。
それでも可能性のある大名家へは断られることを覚悟の上で加勢を依頼し続け、時勢に爪弾きされた牢人たちの力を借りるなど、最後まで勝つための尽力を怠りませんでした。
しかしながら、戦を前にして各務氏ら侍女を逃がさなければいけないほど、茶々は豊臣の不利を察して追い詰められていたようです。おそらく、この時茶々が声をかけたのは各務氏だけではなかったでしょう。特に、若い命を惜しんで各務氏に退城を勧めたとのことですので、将来のある若い侍女は優先して声をかけられたのではないでしょうか。
各務氏は、このときは城を出ることを固辞しましたが、いつの時点か不明ながら落城までには城を出て生き延びています。
落城の直前に城を出た常高院に従わされたのか、京で固唾をのんで見守っていたであろう京極龍を頼ったものか、後に京極家に縁を得て、京極高知(長政の姉泉源寺殿の次男。京極高次の弟)に仕え、その妾となり、一男一女に恵まれています。
命を惜しんで城を出るよう言われても頷かなかった彼女ですので、茶々はおそらく初のことや、京極に逃がした弟周防守(作庵)、また脱出させた国松の後を頼む形をとって、各務氏を退かしめたのかもしれません。
(各務氏については『萩の御前』>「女官/女房/侍女」>「各務兵庫女
」をご参照ください。)