西本願寺・安楽寿院・宝福寺・建仁寺 ~京都冬?の旅 7日目 | 茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

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最終日です。
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①西本願寺
・事前申し込みの書院・飛雲閣拝観。
・書院は以前、伏見城の御殿を移築されたものだとされていましたが、修築にあたっての調査で、移築された形跡は認められなかったそうです。公式な対面所である「鴻の間」の上座には壁に逆遠近法で描かれた絵が使われていて、目の錯覚を利用して上座の人間を大きく見せる効果があるそうなのですが、体の小さかった秀吉が自分を大きく見せるために作らせたものであると当時は言われていたそうです。そう言われると、信じてしまいそうな逸話ですが、伏見城との関係を否定されている今や、その逸話も史実ではなかったということに…「言い伝え」というものの扱いの難しさを感じました。
・念願の飛雲閣も拝観しました。こちらは聚楽第の屋敷を移築したものと言われているところです。玄関が無く、屋敷は池に囲まれ、当時は橋もかかっていなかったため舟でしか入れなかったお屋敷。池に映る屋敷が、ゆらゆらと雲が飛んでいるように見えたところから「飛雲閣」と名付けられたとか。京の三名閣(金閣・銀閣・飛雲閣)のなかで、飛雲閣だけが左右対称でないのですが、これは各階の上座の上に二階や三階がこないようになっているそうです。また、二階は三十六歌仙が描かれているところから「歌仙の間」、三階は「摘星楼」というそうです。
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②安楽寿院
・秀頼の名前で慶長十一年に再建された新御塔(多宝塔)、 鐘楼などが再建され、多宝塔は現在近衛天皇安楽寿院南陵となっています。安楽寿院さんのHPによると、鐘楼も柱や梁に当時の材が残っているそうです。
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③宝福寺
・秀吉と茶々姫が子授け祈願をされたと伝わる伏見のお寺。当時近くに舟入場があり、交通の便が良く、子授けの御利益で大変栄えていたそうです。当時、秀吉と茶々姫が子授け祈祷の際跨いだとされる陰陽石がお堂に安置されています。御堂のご本尊も、境内のお地蔵さんも子授けのご利益があり、現在でも子授けの御利益を求めて多くの方が参拝されるそうです。
・茶々姫との縁が伝わる貴重なお寺ですので、うかがうだけでも…とお邪魔したところ、親切な檀家さんがお寺のご住職と奥様に取り次いでくださり、陰陽石を拝見させていただくことができました。茶々姫が結んでくださったご縁に感謝。
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④御香宮神社
・こちらの表門が伏見城大手門の遺構とのことですが、関ヶ原合戦以降に作られた徳川時代の大手門である可能性を先日教えていただきました。
・御香宮神社と言えば、千の誕生祝いに奉納されたという神輿。お祭りのときに出されるものなので、もちろん目にすることはできませんでしたが、当時の長女、総領娘という立場の重さに想いを馳せておりました。
・本殿は慶長十一年徳川家康によって再建されたものとのこと。家康が豊臣家に散在させるために寺社修築を勧めたという従来の説に則るなら、豊臣家にお金出させそうなのになあ…と思っていました。千姫神輿の件といい、こちらは特に家康の思い入れ深い神社だったのでしょうか。逆に、豊臣家側も、家康に言われるままに寺社修築にお金を出していたのではなくて、秀吉の遺言や茶々姫の思い入れ、そして寺社勢力との付き合いなど、きちんとした意図をもって修築する寺社を決めていたということでしょう。

⑤建仁寺
・正伝永源院。細川家歴代に縁があり、また織田有楽斎とも縁の深い寺院。今回の特別拝観に併せて参拝しました。
・墓地には有楽(正伝院殿如庵有楽大居士)、清?(雲仙院殿蓬岡清寿大姉、平出政秀女)、長好(有楽次男頼長息)、一条昭良室(頼長女)、細川家歴代、福島正則と家臣たちの墓(供養塔)がありました。福島正則は正伝永源院に寓居し、「朝鮮鐘」を寄進しているようです。
・本堂には有楽の木像が安置されていました。大きめの木像で、有楽が七十歳の時に作らせたものだそうですが、若い姿でつくらせたらしく、出家姿ですがしわ一つありませんでした。その傍にはお位牌がたくさん置いてあり、その中には信長のものであろうお位牌も見えました。他は判読できませんでしたが、有楽の一族のものでしょう。
・茶室如庵のレプリカが庭園に再建されているのですが、その床の間には有楽の肖像が掛けられていました。あと、堂内には織田信包の肖像も。とても穏やかな表情をされているのが印象的でした。
・ほかに、有楽が秀次から拝領した千利休作の象牙茶杓など有楽の茶道具、二位局あて家康書状、土井大炊助宛有楽書状、有楽あて福島正則書状などが展示されていました。
・私が特に気になったのは茶々姫侍女二位局宛の家康書状で、家康に宛てて二位局が「孫二郎」という人物の安否を尋ねたことに対し、家康が心配ない旨の回答をし、また自分の体調がおもわしくないので秀頼(「ひてよりさま」)に会いたい(会いに来てほしい)、ということをしたためた内容でした。いつ頃の音信なのでしょうね(日付はなし)。
・建仁寺方丈。慶長四年に安国寺恵瓊が安芸安国寺から移築したものだそうです。本坊内庭園に恵瓊の首塚があるとか。時間的に拝観することができませんでした。また、現在修築中で外の様子も見ることはできませんでした。ご本尊は、和子(東福門院)寄進の十一面観音菩薩像だそうです。
・建仁寺摩利支天堂。天文十六年織田信秀によって再建されたそうです。今まであまり意識していなかったのですが、そういえば信秀は茶々姫の祖父にあたるんですね……とーっても今更ですが。浅井ばっかり気にし過ぎていました(苦笑)
・個人的には平重盛の六波羅邸もしくは平教盛邸の門を移築したと伝わる建仁寺勅使門も気になりました。来年の大河ドラマが楽しみです^^

万事繰り合わせ一週間ほど休みをとり回りましたが、龍安寺、仁和寺、等持院、真如堂、歓喜光寺、伏見常高寺など伺いたいところはまだまだありました。さすが京都です。
清涼寺、曇華院は清涼寺霊宝堂特別拝観の際に伺えれば、と思っています。