こちらをお読みくださり、ありがとうございます!
母親理解(育てのおばあちゃんと生みの母親)はまた今度記します。←いつw
自己満記事なので……のろりのろりと自分ペースでしていこうかと☺️
私が自尊心を持てない自分になってしまったのは、
どちらかというと、
ずっと一緒にいた育てのおばあちゃんの影響が大きい。
もちろん、
頭の悪い父親の影響もずいぶんと受けている。(境界知能なのではないかと思う)
境界知能を知って。
父親のあらゆることがしっくりきた。ただ、わかった。 発達障害か境界知能か。
数年前、窃盗で捕まってたよ(爆)。
地元の新聞に載ってるの、写真送られてきた。
「へー70才かぁ。意外とまだ若かったなw」
そんな感想。
幼児期の寝てる私のパジャマを脱がしてくる。
成長についてセクハラ発言をしてくる。
これらも。
何らかがあるのだと。知識を得たら。
そうか。あるのか。
そう思えた。
丸いケーキを3等分なんて、確かに到底できそうにない人なのだ。
母親と会った翌日。
おばあちゃんのお墓へ行った。
便箋7枚に、
悲しかった気持ち、辛かった気持ち、愛されたかった気持ち。
そして。
あなたの育児は虐待でした。
ねぇ、わかってた??
そんな思いも書いていた。
きっと、私が幼児期に。
親族や身近な人たちから、性的虐待を受けていたことを。
おばあちゃんは知ってたけれど。
知らないふりしてたんでしょう?
知らないふりが得意だもんね。
一度たりとも、私を守ってくれることのなかったおばあちゃん。
小学2年生の時、理不尽にも、
担任の先生にメチャクチャ怒鳴られ罵倒され、「帰れー‼️」と叫ばれ、授業の途中で歩いて帰らされた。
山道を片道1時間半かけて、小学2年生の私は歩いて帰った。
帰ってきた私を見て、おばあちゃんは何も言わなかった。
「しょうこが悪い」
理由なんて聞かれることもなく、
私の言い分を聞くこともなく、
ことあるごとに
そう言い続けられていたことを。
ふと思い出したのはもっともっと後のこと。
それは、
「私は間違っている存在」
という価値観となって、私の心にずっと住み続けていた。
風が強くて、線香に火がつかないことなんて、どうでもよかった。
おばあちゃんに、手紙を読んだ後。
母親とのことを思い出して、ポツリ出た。
「子育て、間違えたね。
お母さんはさ、しっかりおばあちゃんの子育て、受け継いでたよ。」
周りの風景を見渡せば。
畑しかなくて。
民家はポツンポツンとしかなくて。
あぁ、こんな小さな村で……
おばあちゃんは育った。
こんな小さな村しか知らないまま、おばあちゃんは生きてきた。
(私が育ったのもその村だけどw)
そう思った。
たぶん。
もう私がお墓に行くことはない。
それだけの異常な子育てをされた認識が出来たから。おばあちゃんは好きだ。まだ笑顔のおばあちゃんしか思い出せないでいる。
それでも。
どれだけの実害と損を私が受けてきたのか。
それをクリアに認識できるようになった。
死にたい。
居場所がない。
誰か助けて。
愛してほしい。
子どもがそう思って育つ環境って、ない。
異常。
あまりにも酷かった。
そう受け入れられた。
つづく。