暑くて外に出られません&日航機墜落事故39年 | chachaのブログ

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日常生活の一齣を切り取って、皆さんにお届けします。

    もう39年ですか

今日も暑くて外に出る気がしませんでした。

   

本当は台所の窓際を整理したら、西日が入って部屋がかなり暑くなることに気が付き簾を買いに行くつもりでした。

   

昔々主人が小さい簾を3枚買ってこの窓際の西日除けにしていました。

 

一枚は付けっぱなしでしたが、他の2枚は付けるのが面倒で部屋の棚に置きっ放しでした。

これを着けるのも外に脚立を運び出して着けなければならないので私には面倒でした。

ですから主人が怪我をしてからは、この一枚だけ着けっ放しで15年以上経ちました。

先日他の2枚をもう必要ないだろうと思って、外に出して草が伸びない様に敷いてしまいました。

 

もう要らないと思った途端に棚が無くなって必要になるのですから困ります。

今日は買いに行こうと思っていたのですが、この暑さで外に出る気分になりません。

   

 

雨戸の開け閉めだけ二階に上がっている今日この頃。

私が二階へ上がれば着いて来る二匹・・・茶々丸は久しぶりにベランダに出て行きました。

    

風子も出たことがあるのに忘れたのでしょうか、出るのを躊躇しています。

 

山芋は元気にグリーンカーテンの役目をしてくれていますが、こんな物では殆ど暑さ対策の役目を果たしていません。

   

カーテンよりもムカゴが欲しかったのに、こんなに元気でも出来ているムカゴは小さいです。

 

今日は日航機墜落事故 39年

この事故後、上野村がすっかり知れ渡る事となり、主人の生地を訊かれると、「上野村の下の中里村です。」と答える様になりました。

    

 

    

 

   

この時、日航機墜落 のニュースがあってもなかなか何処に墜落したか分からず、大きなジャンボ機が墜落したのに何処に墜落したのか暫く分からなかったことが不思議でした。

ハラハラドキドキしながらテレビ画面を観ていましたが、発見されたのが上野村 と分かった時の主人と私の衝撃は言葉になりませんでした。

 

    

主人の田舎の中里村は統合して神流町(かんなまち)になりましたが、上野村はそのまま上野村です。

もうここまで来られなくなると仰っている人が多くいました。

 

私も上野村には何度か行きましたが、もう行くことは無いでしょう。

上野村の神流川に掛かる橋から、時間に寄って沢山のシャボン玉が飛び交います。

まるで亡くなった人達の魂のようでした。