chachaのブログ

chachaのブログ

日常生活の一齣を切り取って、皆さんにお届けします。

  辺りは雨に濡れて

昨夜からの雨が今朝も降り続いていました。

かなりの土砂降りで辺りはすっかり雨に濡れて、我が家の庭にも水たまりが出来ていました。

これでは英語のクラスに行くのに、ブーツで行く様だなあと思いながら朝のルーティンを済ませていました。

しかし今日は起きた時からどうも腰が痛くて思うように体が伸ばせません。

お年寄りが腰を曲げて歩いているのを見ていた時は、『どうして体を起こして歩かないのだろう』と思っていましたが、腰を曲げた方が楽だという事を80歳になって腰を痛めた時分かったのです。

その内腰の痛みも回復するだろうと期待していたのですが、痛めてから4年経ちますがどうも駄目そうです。

今日は特にその痛みが酷かったので、英語のクラスも休みたいほどでした。

でも私が行かないと他の人が何人来られるかどうか分かりません。

 

土砂降りの雨が降る中車を走らせました。

クラスに入って腰が痛い事を話すと「気圧のせいだね。」と。

私は余り気圧で何処かが痛くなるという経験は無かったのですが、今日の土砂降りで遂に私も気圧の変化という事を感じるようになってしまったのでしょうか。

 

最初にニューフェイスとして参加してくださったお仲間さん、今日でもう1年になるときいてびっくりです。

お孫さんのお世話でお休みすることが多いからかもしれませんが、1年経ったと聞いてびっくりです。

時の流れるのは早いものです。

 

クラスで楽しんでいる時も土砂降りの雨。

帰りまでこの雨が続いたら車の運転が怖いなあと思いながら他の3人のトピックスを聞いていました。

 

それでも帰る頃には小雨になり、明るくなってきたのでそれ程心配することは有りませんでした。

雨よりも腰の方が心配になってきました。

 

家に帰って先ず痛み止めと筋肉を和らげる薬を服用。

これが結構効き目があるのです。

出来るだけ薬に頼らないようにしたいと思うのですが、やらなければならない事が有るとそういう訳にはいきません。

 

午後からすっかり雨は上がり青空が。

15:00過ぎカーブスへ行ってスタッフさんに腰が痛い事を告げると矢張り「こういうお天気だから気圧のせいですね。」と言われました。

痛みが有るとやりたいことも出来ませんが出来る範囲で頑張って来ました。

 

帰りはマンションに寄って一休み。

    17:15 西の空  まだまだ明るいですね

  

 

  

でもマンションから出るとこんなに綺麗な空でしたのに黒い雲が押し寄せてきました。

  

 

また雨が降ってくるのだろうかと思っていましたが、明日は東京は28度の予報。

今日は寒くて明日は夏日、私のこの身体には目まぐるしく変わるお天気に着いて行けません。

 

お天気には関係ない二匹は今日も仲良く過ごしていました。

   

 

明日は少しは腰痛が軽くなってくれると良いのですが。

小平のお義姉さんの所にも齣展にも行かなければならないので、のんびりしている様でも気持ちが焦ります。

 

  

 

 

 

  一日中曇りの寒い日

またまた寒くなってしまいました。

何となく外に出る気分では有りませんでしたが、雨が落ちてこないうちにとヨモギを摘むことにしました。

寒いので上着はどれにしようかと迷いました。

厚手の冬のコートは洗ってしまったし、薄手にジャンパーを羽織って出かけました。

出掛けたと言っても何時もの多摩川沿いの遊歩道です。

  

雨上がりで、ヨモギの緑が綺麗です。

沢山生えているので摘むのにはそれ程時間が掛かりませんでした。

結構伸びていても摘んでみると茎が柔らかく美味しそうです。

 

積んでいると多摩川のせせらぎの音、鶯の声、山鳩の声、姿も見えないので何の鳥の声か分からな可愛い鳴き声。

一人静かにヨモギを摘んでいると、昔子供の頃田んぼの畦道でヨモギを摘んだことを思い出します

 

   

雲って寒い日でしたが、積んでいると寒さを感じませんでした。

私が背を向けてヨモギを摘んでいると、何人かの人が犬の散歩をしていたり、お年寄りのカップルが、奥様の為のリハビリ散歩をしているように見えたお二人が仲良さそうに通り過ぎていきました。

自転車で学校から帰る子供を待っていた若いお母さん、小学2年生ぐらいの子が帰って来てお母さんと一緒に家に向かって行きました。

 

結構摘んだので随分長く掛ってしまったと思い私も引き返す事に。

   

数年前主人とここを歩いていた時、主人はこのブロックに腰かけてしまって歩くのを止めてしまいました。

何のためのブロックなのか、もう一つあって対になっているのです。 

     ここから川の方を眺めると

   

主人はこの小さい橋を渡って友田のアトリエに通って絵を描いていたのです。

雨が降ったようでも川に水は全く増えていません。

 

さて家に帰って一休み・・・これが長~~~くなってしまいます。

そして摘んできたヨモギの灰汁抜きです。

   

大きなお鍋に2回に分けて茹でて重曹で灰汁抜きです。

ヨモギ餅が搗けるのは何時になるか分かりませんが、明日までお水に浸けて置いてその後は冷凍して置けば何時でもOKです。

と言いながら、何時になるか分かりませんが。

 

        風子はテーブルの上

    

 

        茶々丸はベッド

    

 

今日で4月がお終い、あと一時間後には5月です。

大したことをしていないのに、時間だけはどんどん進んでしまいます。

 

小平のお義姉さんはどうしているでしょうか。

連休中に行ってあげようと思っているのですが、齣展からの案内状がまた届いてこれでは行かない訳にはいきません。

皆さん、一生懸命頑張っていらっしゃいます。

 

もう一人度々書道の個展をされている人の展覧会が既に始まっています。

何時行けるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

  

 数年振りに草餅をと

暫く前からヨモギ摘みに行きたいと思っていました。

我が家の近くの遊歩道沿いに沢山ヨモギが出ているのを知っていたので、早く摘みに行きたいと思っていました。

今朝はそのつもりで心の準備をしていたのになかなか家を出られず、15:00過ぎになってさあ出かけようかと思い大きなレジ袋を持ち、ゴム手袋をしてドアを開けたら えっ雨!!!

折角その気になったのに出鼻をくじかれてしまいました。

極々細かい小雨でしたが、それでも濡れるのは困ります。

折角数年振りに草餅を搗こうかと思って張り切っていましたのに残念です。

 

気持ちを折られると私の事だから次にいつその気になるか分かりません。

それに5月に入ったら虫が卵を産み付けると言われているので、それでは明日きり摘める日がありません。

それならそれで私としてはどうでも良いのですが。

でも数年振りに搗き立てのヨモギ餅を黄な粉で食べたいものです。

 

ヨモギが摘めないとなったら、ブログに載せる写真がありません。

 

という事で2010の茶々丸と風子の姿を・・・主人はまだまだ元気でした。

  

  

 

   

 

   主人が作ったゴミ箱が大好きでこの上に乗って二匹で屋根を取りっこしていました。

   

 

   

風子は我が家に来た時はやっと4ヶ月ぐらいだったでしょうか。

とてもスマートな美人さんの猫でした。

当時はこうして第一号の茶々丸と風子は外に出て自由に遊んでいました。

   

逞しい茶々丸・・・17歳で亡くなりました。

茶々丸の最期は猫にふさわしい姿で、私の目の前をゆっくりゆっくり歩きながらお隣の垣根をくぐって姿を消してしまいました。

当時は何処かに茶々丸の好きな場所が有ったようなのです。

もう危ないなあと思ったので、家から出さないようにしていたのですが、私が出かける時弱っていた身体なのにドアを開けたらニャーニャー鳴いて外に出てゆっくりゆっくり歩いて、ちょっと立ち止まって垣根をくぐって行ってしまいました。

またかえってくること期待したのですがそのまま帰って来ませんでした。

垣根をくぐる時ちょっと立ち止まったのですが、それが最期のお別れの挨拶だったように思えてなりません。

 

猫は人の目に入らない所で静かに最期を迎えると言われていますがその通りになってしまいました。

私はこの茶々丸は実に猫らしい威厳のある最期だったと思っています。

 

主人はこの茶々丸の絵を描いています。

その絵は茶々丸が好きだった知人が欲しいと言ったので譲ってしまいましたが。

 

此処に載せた写真は2010年ですから16年前に成ってしまいます。

この1年後主人は事故に遭い、それ以来12年間痛みに耐えながらの人生となってしまいました。

でも痛みから解放された主人の顔は実に穏やかでした。

 

私はどんな最期を迎えるのだろうかと絶えず考えてしまいます。

 

  

 

 

 

  ハガキを頂いたので

今日昔の教え子と13:00に私が最初に赴任した学校の裏で会いましょうという事になり、それが今日でした。

13:00に学校の裏でという事になってもそこに行くまでの道順が、すっかり変わってしまって分からなくなってしまいました。

仕方が無いので妹の家の方に回って、そこからですと度々学校の裏を通って青梅に行っているので分かり易いのです。

学校の裏の駐車場は大掛かりな工事をしていて、ちょっと駐車しているのが気まずかったのですが仕方がありません。

彼女が来るまで車を停めて携帯に電話、でも「電源が切れているか・・・」というアナウンス。

固定電話に掛けても留守電。

諦めて暫く待っていると電話が掛かって来てやっと連絡出来ました。

彼女は15分程遅れるとの事。

大通りで車の往来が激しかったのですが、工事の誘導員が右車線と左車線を走る車を片側通行で誘導していたのでちょっと安心。

 

彼女が15分遅れで着た姿にビックリ。

腰が曲がっていて杖を使っていると聞いていたのですが、彼女の姿は顔が膝に着きそうなくらい曲がってしまっていました。

車に乗っている時も顔が膝に着いている状態。

 

ファミレスに入ってからもやっと椅子に腰かけて、腰かけている姿はテーブルに頬を着けての会話となりました。

病名は「脊柱管・・・❓❓❓」と言い脊柱管狭窄症ではないとの事。

それに統合失調症も持っているとか、お母さんがそうだったので遺伝したのだと言っていました。

私に届いたはがきを見ても何が書いて有るか分からない程の小さな文字。

拡大鏡を使っても読むのに苦心した文字だったので、精神的な病を持っているのだろうとは思っていたのですが。

 

一緒に話している分には声が小さくて聞き取りにくい部分もあったのですが、内容はしっかりして話していたので分かりました。

当時の同級生の名前なども何人か出てきましたが、私の方がすっかり忘れてしまいました。

お父さんは8年前に亡くなって今は一人暮らしとの事。

ケアマネージャーさんにお世話になって、通所はしていませんが家の方に洗濯やお掃除の方が入っていると聞いて安心しました。

 

精神面では統合失調症で、見えないはずの物が見えたり聞こえないはずのものが聞こえたりするとか。

認知症でも同じような症状の人がいますが、認知症とはまた違うようです。

 

私が教員住宅に入っていた時、友達と遊びに来たことが有ると話してくれました。

先日セリを摘んで天ぷらにして子供たちと食べたことを書きましたが、その一人にこの教え子も入っていた事が分かりました。

 

私が二番目に移動した学校と同じ町の高校の先生になった時びっくりしたのですが、『何時か会いましょう』と年賀状に書いたので私の学校に電話を掛けたとの事。

でも土曜日で私が帰った後だったようです。

勿論電話を受けたどなたかが私のその事を知らせる事も無かったのでそのまま月日が流れてしまいました。

彼女は10年で病気が発症して退職となってしまったようです。

 

話している時もケーキを食べる時も頬をテーブルに着けているので、ほっぺたにテーブルの淵の後が。

年齢を聞いたら61歳との事。

私の教え子はもうみんなそんな年齢になっているのです。

 

余り長居は辛いだろうと思い、名残惜しかったのですが1時間半ほどお喋りをしてレストランを出ました。

家まで送ろうと車を出したものの、さてどっちに行ったら良いのかと迷う程昔の面影はありません。

彼女に教えてもらいながら、家の近くの坂道を少し登って彼女の家へ。

別に家が変わった訳では有りませんが、私が思っていた所と違う所に家は有りました。

 

多分もう会うことも無いでしょうが、私にまだ運転が出来るうちに連絡が有ったら会いたいと思っています。

 

   家に帰って来てこの二匹が私を癒してくれました

  

 

さて次は小平のお義姉さんにも会いに行ってあげないと。

12月に行っただけですから私からの連絡を待っていることでしょう。

 

 

 

 超特急で二日分

昨日は一日弟のお祝いにふさわしく晴れた一日となりました。

青梅の妹の家に10:00という事で、9:40に家をでました。

妹の息子の車で行くことになったので安心です。

先ずは赤見に向かって出ぱ~~~つ。

甥の運転は車も大きくて乗り心地が良いので気分的にもゆっくり乗っていられます。

思ったより1時間も早く着いてしまいました。

妹の娘家族は大世帯で孫の連れ合いも参加という事になり8人だったでしょうか。

ですから更に大きな車で後から来ましたが、ゆっくり間に合ったようです。

ホテルは釣り堀も出来て、既に大勢の釣り堀客が楽しんでいました。

  

 

外で時間を潰すのも気持ち良かったですが、私は何となくソファーでゆっくりしたかったのでホテルのロビーでレトロの飾り物を見たり皆さんのブログを訪問したり。

そうしているうちに参加者が次々に集まって来てパティ―会場へ。

大人 32名 子供 6名 4か月の赤ちゃん 1名(太田の姪の初孫です)

  

弟は自分がお祝いしてもらう立場なのに全て計画をしてそれぞれがの席順も決まっていました。  

  

次々に料理も運ばれてきて、マスの塩焼き 大きなエビフライ お寿司 お吸い物 牛のしゃぶしゃぶ フルーツとケーキ。

  

 

  

最後にフルーツとケーキ。

  

弟夫婦もお花とケーキを準備してきたので、弟からのケーキは自分でこのお皿に取り分けて頂きました。

 

余り大勢集まったので、誰が誰だか分からない人たちもいます。

最後に弟の息子と娘の子供2人からお祝いの言葉とプレゼント。

息子にも娘にも女の子と男の子の孫が二人ずついます。

   

孫からのお祝いの言葉とプレゼントに弟も嬉しそうです。

残念ながら私にはこの経験が出来ずに終わってしまいました。

      そして弟からの最後の挨拶。

   

   

お祝いの会が終わってから集合写真。

大勢の私の近親者をご紹介したいところですが割愛します。

 

そして会が終わってから、子供たちが一番楽しみにしていた釣り堀へ。

残念ながら、3:00過ぎると午前中に餌を沢山食べてしまうので餌に寄ってこないようです。

それでも特別料金を払って別の所で釣りをさせてもらったようです。

 

さて次は弟の奥さんの番か、それとも私たちの末の妹夫婦が3年後になりますが、それまで無事に参加できるか不安です。

 

私と主人の時は丁度コロナ禍、出来ないだろうと思っていたのに姪が山梨のホテルで計画してくれたのです。

早いものであれからもう7年も経ってしまいました。

そして悲しいかな既に主人は居ません。

 

祭りが終わって今日はのんびり

昨日は何もしていないのに矢張り疲れるものですね。

15:00までのんびり過ごしてカーブスには行って来ました。

でも今日は力が出なくてどの機具も回数が少なかったです。

 

朝はしっかり雨が降っていたのにいつの間にかその雨は止み明るい空に。

でもカーブスに出掛ける事また雨。

終わってマンションでのんびりしているとまた明るくなりました。

  

 

  

 

  

 

明日は晴れるかなあ~~~。

50年振りくらいに昔の教え子と会うことになっています。

体調が余り良くなさそうなので気になります。