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諸事情により普段とは違うシフトで出勤、慣れない時間帯に動くのは結構辛い
月に一回はそんなシフトでの出勤もあるんだけれど、そう頻繁だと参るよな

面倒なこと色々考えてるより、本当は接客してたい
ひとを動かすより自分が動きたい
けど、自分がそれやっちゃあダメだしな、つてもそれが一番働けると思うのになー本当は

向いてないのも力量足らんのも分かってて、でも頑張るしかねーんだし
ついぐだぐだになりがちな意識引き締めてなきゃあな。





キレイな雪画像撮りたかったのに、なんでか妙な、ちょっと薄ら気持ち悪い画像になってんのは何故






遠い気がした
遠くなった気がした。

距離は変わらず、また、全く変わったとも

遠く、思えた。
そういう思いの自分がかなしかった







自然と共に在った酒造り、機械生産に何の意味がある。


機械で湿度や温度が完璧に管理された部屋にタンク、均一になるように、それでいて最後の一滴まで絞り尽す装置での酒搾り。
便利だと思う、毎年毎年どんな時期にも同じ味の酒が出来て、安定した生産になる。
いいことだと思う、必要だと思っている、ただ

そんな酒に、興味が湧かない。

安定した供給は価格を下げてくれるだろうし、日本酒の消費にも繋がるんだろうし、否定は全くするつもり無いけれど、そんな酒蔵ばかりになったら多分、日本酒を呑まない。

その年の米の出来不出来、水の質、麹の具合、酒母の仕上がり、温度管理などなど、素人の自分でも酒造りが酷く手間の掛かる大変な作業だと分かる。自然の気象条件がこれほどに影響するものかと思った、知った時には。

手間を掛け、苦労して作り上げるからこその日本酒じゃなかろうか。
寒い中、一度の温度のために夜中に駆け回ることもある、そんなギリギリの状況で作られた酒の、味。
杜氏の苦労を知らないと言われればそれまで、それでも、手間暇掛けて作られた酒が口に合った時の喜びは自分たちのものでもあり、その上で杜氏と共有するものでもある。

「舟口一番」「あらばしり」とは本来搾る時に何の圧力を加えられずとも酒の重みで自然と搾られて出てくる最初の酒を言う。単純に均一な味を搾り出すための機械では作れないもの。
そういった独特のものを楽しむのが、イイ。
もろもろもったりした原液を酒袋に詰め、その重たい袋を丁寧にふねに並べ、積み上げて行く内に少しずつ流れ出てくる舟口一番、そのままコップに掬って呑んだ時の嬉しさ。
圧力を掛けて搾っていって、最後に、それでもまだ頑張れば搾れる程に柔い状態の酒粕を袋から出して次の搾りに備える。機械ならばカラカラになるまで搾れると分かっていて尚、味のために古いふねを使っている酒蔵を応援しない訳がない。
わざわざ「吊るし」てあらばしりを取るところもある。それも、手間の掛かること。その代わり味が違う。

毎年味が違うからこその楽しみ、今年は去年はと比べることの楽しさ。ワインだってそうだろう、出来不出来や作り手の違いが顕著だからこその楽しみだとつくづく思う。


何が言いたいと言うわけでも無いんだけれど、今ある酒蔵が減らないように、杜氏と言うスペシャリストが減らないように、寧ろ今以上に増えていって、毎年毎年面白い酒が呑めたら心から嬉しいんだって言う長い長い、独り言。









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ふね、と呼ばれる酒を搾る機械。
これ自体、使ってる所が今では少ない。

そのことが悲しい。

だからこそここに通う、ここがこのままで居て欲しいから。だいすきな場所だから。







酒米を炊く釜。
こういう古いものを使ってて、その上見せてくれるところって案外少ない。


古めかしく汚れた蔵の天井や壁に、蒸気の痕が残っていて、熱を感じられそうなくらい。


然して大きくもないタンク。ここで酒が酒として出来上がっていく。

ぷくぷくと気泡を立てる白くもったりとした酒が、搾られるのを待ってる。


温度管理が厳しい、ちょっとした温度の変化が味を左右する場。