「何がしたい?」
今回の稽古場では、
ボクは役者に常に、
問いかけようと思っています。
あ、演出家としてのボクは。
いつもそのことに拘っているんですが、
今回はより拘りたい。
役者が「やろう」と自発的に向き合うことに。
だからこその「何がしたい?」なわけで。
持論ではありますが、
ボクは、役者に対して、役をなぞる芝居ではなくて、
役を生きる芝居をするべきだ。
そう思い続けているのです。
それはどういうことかと言えば、
役者が役をどうやって生きるのか?
その役であれば、どういう生き様がそこにあるのか、
そう言うことなんだと思います。
台本にちょっと書かれているのは、
生きている瞬間の切り取りで、
その書かれていない部分を用意し、
それも含めてみせることが役者の仕事なんじゃないかなと。
台本に書かれたセリフを、
もっともらしくしゃべって、
段取りを間違えずになぞって、
そんなんじゃないんだ。
行き詰って、めちゃくちゃになったとしても、
堂々と「私はこれをしたい」と、
潔いくらいに言って、示してもらいたい。
特に失敗していい、稽古場なら、よりそう思う。
それの積み重ね、そこでの発見が、
芝居をもっともっと生きた芝居にしてくれるんじゃないか、
そう思うんだよ。
だから、目一杯に想像の、妄想の翼を広げてほしい。
芝居と言うメディアは役者が、
何も使わずに、自分で伝えることこそが、
その根幹だと思っています。
しっかり背負って、生き抜いておくれ。
そんな風に思いつつ、
演出席から見つめているのですが、
届くかな?
おうえんしてね。
今回の稽古場では、
ボクは役者に常に、
問いかけようと思っています。
あ、演出家としてのボクは。
いつもそのことに拘っているんですが、
今回はより拘りたい。
役者が「やろう」と自発的に向き合うことに。
だからこその「何がしたい?」なわけで。
持論ではありますが、
ボクは、役者に対して、役をなぞる芝居ではなくて、
役を生きる芝居をするべきだ。
そう思い続けているのです。
それはどういうことかと言えば、
役者が役をどうやって生きるのか?
その役であれば、どういう生き様がそこにあるのか、
そう言うことなんだと思います。
台本にちょっと書かれているのは、
生きている瞬間の切り取りで、
その書かれていない部分を用意し、
それも含めてみせることが役者の仕事なんじゃないかなと。
台本に書かれたセリフを、
もっともらしくしゃべって、
段取りを間違えずになぞって、
そんなんじゃないんだ。
行き詰って、めちゃくちゃになったとしても、
堂々と「私はこれをしたい」と、
潔いくらいに言って、示してもらいたい。
特に失敗していい、稽古場なら、よりそう思う。
それの積み重ね、そこでの発見が、
芝居をもっともっと生きた芝居にしてくれるんじゃないか、
そう思うんだよ。
だから、目一杯に想像の、妄想の翼を広げてほしい。
芝居と言うメディアは役者が、
何も使わずに、自分で伝えることこそが、
その根幹だと思っています。
しっかり背負って、生き抜いておくれ。
そんな風に思いつつ、
演出席から見つめているのですが、
届くかな?
おうえんしてね。