で、いきつくところは
つかこうへい。
そんな話です。
斉藤さんと話をしているとね。
稽古後に本当お互い盛り上がりました。
抜き稽古だったにも関わらず、
この台本を瞬間で理解していただき、
通じる感じが快感でした。
「これだよね。これが佐藤さんの芝居だなって思うよ」
斉藤さんにお褒めをいただき、本当うれしいやら恥ずかしいやら
「きっと、つか世代って言うか、つかさんの息吹を感じているんだろうね」
確かに。膝をぽんっとね。
先日、斉藤さんの演出された熱海を観まして、
本当、自分の芝居もここだなって思ったわけです。
やっぱり原風景なんだなって。
ま、いまどきじゃないのかもしれませんが。
役者がシンプルにそこにいて、
そして、舞台の上をどうやって生きるか。
そういうことを芝居にする。
そういうことなんだろうなって思います。
年代的にも同じ年代を
過ごしているだけに、
その辺の話は本当
通じる人とそうじゃない人がいるなって思うのですが。
今の時代の芝居をどうこう語ることは
非常に難しいことだけど、
でも、いくつかをみて思うのは
きれいすぎて物足りないってこと。
どうしてそうなるの?
そんな甘いハッピーエンドばかりな気がします。
流行りなのかもしれないけど、
そんなきれいな物語でいいのかって思います。
話をおさめるために役がいる気がします。
甘い言葉を書きたくて戯曲がある気がします。
その人じゃないといけない理由が
すごく希薄で、寂しくなります。
役者はそれをどう思って演じるのかとも考えます。
それは物語のコマで、まさに役で、
でも人間じゃない気がします。
ご都合。なのかもしれません。
もちろんいい気分で帰っていただくこと
それはエンタテイメントの宿命なのかもしれませんが、
それ以上にやることの意味を
やる人も観る人も持てるようなモノがいい。
だから、ボクはこっち側で。
甘くてぬるいお湯を避けながら、
熱く熱く、力強く
いきたい。
斉藤さんは勇気をくれました。
「慣れない味に慣れるまで付き合わせればいいの」
納得。
そうだ、それでいこう。また膝をぽんっとね。
おうえんしてね。