私は、嘘が本当に嫌いだ。
些細な嘘も、悪意のない嘘も。
人を仲違いさせるようなことも嫌いだ。

「生きていれば、嘘くらいつくこともある。
それに騙されるほうが馬鹿なんだ」
そう言う人もいるかもしれない。

でも、
生きていくうえで
わざわざしなくてもいいことも、嘘だと思っている。

だからだろうか。
誰かが私に嘘をつくと、どうしても理解できない。
そしてだからこそ、
“自分の人間だ”と信じている人たちの言葉は、
すべて信じようとしてしまう。

正直に言うと、
人生の中で、
誰かに嘘をつかれ、金銭的に利用されたのは、
今回が初めてではない。

けれど、
そういう人たちは大抵、
その行為が2〜3回続いたところで自分からやめていたし、
少なくとも、私の気持ちを利用することはなかった。

ある意味、
透けて見えるほど堂々と利用していた、
と言えるのかもしれない。

だからなのか、
今回の出来事は、
単なる人間関係の失敗というより、
事故に遭ったような感覚に近い。

人は言う。
「時間が経てば解決してくれるよ。」
「振り返れば、大したことじゃなかったと思えるよ。」と。

でも、
私が思う“対人トラウマ”の怖さの一つは、
「もう二度と、あなたみたいな人とは関わらない」
そう思いながら生きるようになり、
その恐ろしかった記憶を、
何度も何度も思い出してしまうことだ。

誰かとただ距離ができるだけなら、
正直、何とも思わない。

でも、
私は本気で向き合い、信じていたのに、
相手は私を“お金を使う機械”として利用していたと知った瞬間、
自分の存在そのものを否定されたような気持ちになった。

喧嘩なら、
お互いに悪いところがあると言える。
でも、これは喧嘩ですらない。

誰かの
「私にとってはいい人だけど」
という言葉さえ、
今の私には刺々しく聞こえる。


時には、あまりにも中立でいようとすると、

それはもう中立ではなくなってしまう。



私の心は、
ずいぶん尖ってしまったのかもしれない。

自分がこんなふうに過ごしてきたことを、
母や父にも、すべて話すことはできなかった。

だから、
心がひどく傷ついたあの日、
一人の人に電話をかけて、
声を上げて泣いた。

思い浮かんだ、
信頼できる人が、
その人しかいなかったから、
子どもみたいに泣いた。

今でも、
本当に感謝している。

あの日、
あの電話がなかったら、
私はきっと壊れていた。

実は、
嘘をつかれたと分かった時点で、
彼のことが狂ったように嫌いになった。

憎しみを超えた感情が湧いて、
未練なんて一切残らなかった。

私が一番嫌うのが、
私をお金で利用する人だと知っていながら、
君だけを信じて、2年を過ごした私を、
君は、
私が最も嫌うやり方で切り捨てた。

それから、
1か月ほど対人恐怖症のような状態になった。
人が怖かった。

心配してくれる言葉さえ、
鋭く突き刺さった。

「何かを期待して連絡してきているんじゃないか。」
「お金を貸してほしいんじゃないか。」
そんなふうに思ってしまい、
自分の中に生まれる
醜くて尖った考えが、
嫌で嫌で、
自分自身を責めた。

本当は、
その人たちは
私を心配して言ってくれていたはずなのに。

耳鳴りがひどくなり、
片方の耳は、だんだん聞こえなくなっていった。
体重は、30キロ台後半まで落ちた。

きっと、
限界まで疲れ切った体が、
「助けて」と叫んでいたのだと思う。

それでも、
病院や薬に頼りたくなかった。

難聴については、
どうしても病院の力を借りて治療しているけれど、
それ以外の症状は、
自分の力で乗り越えたかった。

私の両親は、
私を弱く育てたことは一度もない。

強くなりたかった。