ジキです。

 

前回は民主政についてさわりの部分、

特に自由について書きました。

 

おさらいですが、

人間とは理性を持つ存在でした。

そして、

自由とは理性に基づいて行動できる状態でした。

 

こうして考えると、

我欲に走っている自民党議員は人間ではないことになりますし、

人間ではないから民主政は実現できないし、

我欲に基づいて行動しているから不自由です。

なら不自由党でいいと思います。

 

さて、

今回はジキが民主政を勉強しようと思ったきっかけの

道徳について少し語ろうと思います。

 

前回も述べましたが、

道徳を学ぶ上で日本の価値観について学びました。

その価値観を学ぶ中で、

この価値観が日本人の個を確立することに気付きました。

 

  葉隠武士道が個を確立する

武士道と云えば、

山本常朝の『葉隠』ですが、

ジキが読んだのは松波治郎の『葉隠武士道』という

昭和初期に出された本です。

 

葉隠の解説本ですが、

単純に葉隠を解説したものではなく、

士道とうまく融合させて松波氏風にアレンジした

武士道を展開しています。

 

実は『葉隠』は当時そんなに広く読まれていませんでした。

佐賀藩でも広く読まれていなかったと聞いています。

当時の武士は武士道よりも士道を修養していました。

 

士道とは

士道というのは、

一人一人の武士が日本を動かしており、

国の在り方や正しさ、

そういうものをしっかり考えて修養していくことを説きました。

自分自身が日本人の模範的な人物として生きる事によって、

国を牽引していく心構えを、

武士たちは学んだのです。

 

士道は朱子学と融合され確立されていき、

武士が士道を修養することで

君子として国の政治に関わっていったのです。

 

武士道とは

葉隠で有名な一節に

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

があります。

これは誤解の多いフレーズですが、

主君のために命を投げだすのが武士の生き方だ、

という意味ではありません。

 

人間というのは色々理屈をつけて、

やるべきことから逃げることが往々にしてありますが、

その背景として、

自分の立場や利益を失うことを恐れるという、

利己的な理由で逃げるのがほとんどであり、

そういう生き方は卑怯だと考えるのが武士道だということです。

 

武士道は「死に狂い」であるとよく言われますが、

自分が正しいと思ったことは、

死ぬ気でやり抜く、

理由をつけて途中で諦めない、

そういう生き方を示したのが武士道です。

 

葉隠武士道とは

松波氏は『葉隠武士道』のなかで、

武士道を士道と組み合わせて近代日本の価値観に昇華させました。

 

まず、

武士道の主君に対する忠誠の考え方を

国家や天皇に対する忠誠の考え方に移行させました。

 

そして、

人生の充実や幸福を、

利他の精神で自分の立場や役割を全うすることに置きました。

つまり、

朱子学的な価値観を死に狂いながらやり抜くことに

価値を置いたのです。

 

「国家や天皇に対する忠誠」というと、

国家神道や軍国主義をイメージする方もおられると思いますが、

そう考えるのは早計です。

 

人倫の中で役割を果たす

儒学の価値観に「人倫」と言う言葉がありますが、

簡単に言うと「人との関係」を言います。

我々の基本となる人間関係は家庭です。

親子関係、

兄弟関係、

夫婦関係などです。

この関係の中で、

父は父の役割、

母は母の役割、

子は子の役割、

兄は兄の役割、

姉は姉の役割、

弟は弟の役割、

妹は妹の役割、

などなどそれぞれの役割を

利他の精神で果たしていくことで、

お互いに必要とされる関係を作っていく。

この結果どうなるか、

お互いに無くてはならない存在となり、

自分が存在する意義を直に感じることができます。

これによって個が確立されていきます。

 

人間関係は家庭だけではありません。

地域、

職場などなどです。

それぞれの場面において、

利他の精神で自分の役割を果たすことで、

互いに必要とされる関係を作り、

その経験が個をさらに確立していくことになります。

その結果、

強固な信頼関係に基づく共同体を構成できます。

 

それを全国民が行えば、

強固な信頼関係に基づく国家を形成することになります。

 

つまり、

国民がそれぞれの場面で自分の役割を果たすことが、

国民それぞれの個を形成しながら、

引いては国家を支えることになるということです。

すなわち、

それが国家や天皇に忠誠を果たしていることになると、

葉隠武士道は説いたのです。

 

なぜ、

それが国家や天皇の忠誠を果たすことになるかは、

後ほど水戸学の説明の中でお話したいと思います。

 

朱子学(儒学)を修養する

利他の精神で役割を果たすという考え方は、

士道の考え方であり、

その基礎となる思想である朱子学(儒学)の考え方です。

これを武士道の考え方と組み合わせて、

それを理屈無しに徹底してやり抜くことを説き、

それを武士だけに限らず、

全国民があらゆる場面でやり抜くことを説いたことに

葉隠武士道の意味があると思います。

 

道徳が個を確立し国家を支える

以上より、

あらゆる人倫の場面で、

それぞれの役割を果たすことが、

誰かの役に立っていること、

或いは、

所属している共同体の役に立っていること、

そういう事をイメージしながら、

やり抜くことが、

互いの信頼関係を作り、

自身の存在意義を明らかにしていきます。

それが自分の生きている証となり、

個の確立になります。

 

だから、

道徳を学ぶことが個の確立につながるのです。

 

道徳が単に礼儀やマナーを学ぶだけのものであれば、

個を確立することは難しいですが、

利他の精神を人倫の中で実践していくことで、

個を確立することを可能にするのです。

 

  まとめ

今回は葉隠武士道について述べました。

戦前の日本にアレルギーのある方は受け入れられない

話だったかもしれません。

 

もしかしたら、

滅私奉公や自己犠牲をイメージされた方もおられるかもしれません。

 

ですが、

共同体の全員がお互いに利他の精神で役割を果たせば、

互いの利益になる訳ですから、

滅私奉公でもないし、

自己犠牲でもないことが分かるでしょう。

 

「利他の心」は日本の伝統的価値観として

大切にされてきました。

「我利我利亡者は地獄行き」という言葉がありますが、

正に現代社会は功利主義がはびこり、

多くの者が利己的で地獄のような社会に移行しつつあります。

 

医療関係者は利益のために毒枠を国民に打つ。

移民が地域社会を壊す。

LGBTが人間関係を壊す。

 

学校は既に地獄で、

沢山の子供たちが死を選択するような状態です。

それに対して社会は何もできません。

寧ろそれを加速させるような社会になりました。

 

だからこそ、

今必要なのは道徳なのです。

道徳を学ぶ中で、

国民の心に「利他の心」の種を蒔くことが、

喫緊の課題だと思うのです。

 

それでは、

今回はここまでにしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。ニコニコ

また、お会いしましょうウインク

したっけねーパー笑い