ジキです。
ご無沙汰してました。
中国論文の公開リードを使って色々と実験を繰り返していたら、ブログを書く暇がなくなっていました。
米沢市教委が「感染症対策を協力依頼である」と認めたなど、ここでお伝えしたいことが他にもたくさんあるのですが、今回は、とてもしょーもない個人的な話で大変申し訳ないのですが、昨日の夜から起きていることについて書きたいと思います。
事の発端
呟きをだらだら眺めていたら、こんなつぶやきを見つけました。
なんか、本来教育活動ではなかった部活動をほぼボランティアという形で先生方がやらされている問題に関することのように読み取りました。
ただ、気になるのが「タダでやってもらっている側」という表現が、どうも「子ども達」を指しているように思えてならなくて、もっと詳しく読んでみたくなりました。
YouTuberでも有名な須田美貴さんの呟きに対する文句のようです。
須田さんは、新コロ対策を継続する島根県知事に教師が喜んでいるのに対して、対策を緩和しようとした松江市長に教師が反抗していることに異議を唱えています。
それが感染症対策云々ではなくて「部活動」をする・しないの話になっているから、それは違うんではないですかと言っています。
私もそれは同意します。
部活動の問題はまず脇に置いておいて、学校は過剰な感染症対策で社会から特に保護者から(一部ではあるけども)批判を受けています。
マスクの問題では、体育大会でたくさんの熱中症患者を作りました。
感染症対策の緩和は学校にとって、特に子ども達にとって喜ばしい話です。
それに対してこぞって教師が反対するというのは理解に苦しみます。
部活動についてはたった3年間だけでしたがジキも経験があります。
はっきり言って嫌な思い出しかありません。
ちょっとここでは書けませんが、鬱に追い込まれる原因の一つでもありました。
とにかく時間を奪われるので、8時ころ帰宅してすぐ寝て2時か3時くらいに起きて授業の準備をしていました。
保護者に囲まれて居酒屋で延々説教されたこともありますしね。
勿論、その頃のジキはコミュニケーション能力が今に比べて特段に低かったし、今ほど、全体の奉仕者を意識して仕事していなかったクズ教師だったから、仕方ないんですけどね。
それはともかく、部活動が教師に与える負担は大きくて、それが子ども達への教育活動に支障を与えていたことは間違いありません。
だからこそ、先生方は闘ってこられているのだし、尊敬も致しております。
でもですよ、その点については須田さんもご理解されているのです。
更に言うと、部活の問題にかこつけて、感染症対策の緩和を批判するのは間違っていると主張される須田さんには完全に同意します。
それに部活の問題は、子ども達に十分な教育活動を提供できないという問題でもあるから、感染症対策の緩和を批判するのではなくて、それはそれで国と闘えばいい話です。
それについても須田さんはきちんと言及されていますね。
ですから、教師は須田さんに文句言っている場合ではないのです。
しかも、「タダでやってもらっている側」という表現が、子ども達を蔑ろにしているように感じます。
部活の問題もしかり、感染症対策の問題もしかり、そこに子ども達の幸せを願う教師の姿が微塵も感じられないのです。
そこで、私はこのようにコメントしました。
ジキは部活の問題には触れず、新コロの問題の一つであるとして述べました。
文字数に制限がある呟きなので、言いたいことを簡潔に伝えられず、誤解されかねない文章ですが、須田さんに理解してもらえればそれでいいと思いました。
ジキがいつもいつものことながら「全体の奉仕者」という言葉を持ち出すのは、そこに誇りを感じているからです。
これは地方公務員法の第30条ですが、私達教育公務員は「公共の利益のために勤務」しているのですから、学校においては子ども達の利益のために勤務しているわけです。
だから、ビジネスマンではなく公務員になったのです。
公務員の皆さんもそうでしょう?
また、我々が勤務に関することで闘う場面があったとしても、それは公共の利益、子ども達の利益を最優先しなければならないとジキは考えます。
何故ならそのために働いているからです。
ジキが感染症対策について学校や県教委と闘うのは、個人の問題ではなくて、子ども達の問題として闘っているのであって、毎回、自分の問題になっていないか自問自答しています。
ですから、この「タダでやってもらってる側」という表現に、労働者としての自分問題としかとらえていないような表現に、「残念だ」とコメントしたのです。
思わず反応してしまった
当然、絡んでくる教師はいるだろうと予想はしていました。
当初はスルーする予定でしたが、通知に気になるコメントがありました。
全体の奉仕者=部活に熱心で自己犠牲を厭わない
この表現が非常に気に食わないのです。
「全体の奉仕者」を正しく理解していたら、このような発想は起きないと思うのです。
で、スルーできずに応答してしまいました。
私は子ども達の幸せを最優先に実際に声を上げて闘っていますが、貴方は部活の問題で声を上げることをしているのですか?
できるのですか?
と問いました。
それに対して次のような回答が来ました。
全体の奉仕者の「奉仕」をボランティアと勘違いされているようで、全くお話になりません。
部活の問題は財政ではなく労働問題だと言っています。
部活の問題をどうとらえるかはそれぞれの理解度によって異なるでしょうからそれはいいとして、問題だと感じているなら闘わないんですか?と問いたい。
須田さんや私に文句言っている暇で、学校に対して声を上げなさいよと言いたい。
自分は何もしていないのに、言いやすい相手に文句言っているのはカッコ悪くてしょうがない。
学校にさえ声を上げられないなら、黙っていなさいと言いたい。
そもそもこの方の主張にも子ども達の幸せを願う教師の姿が微塵も感じられません。
他にも色々と頂きましたが
「部活動は教師の仕事ではないことが分かっていない」 と幾つか批判を貰いました。
なんかね、「社会は私たちの辛さを理解してくれない」っていじけているようにしか見えません。
このような教師達は。
「大人は理解してくれない!」と家庭で、当たりやすい相手に叫んでる子どもみたいです。
そう思うなら、呟いてないで闘えよと思います。
そもそも彼らの主張に子どもの幸せを願う教師の姿が微塵も感じられないので、社会から共感が得られないのではないですか?
結局利己主義なんだよね
部活の問題は早急に解決されなければならない問題だと強く考えています。
それは教師の過負担によって子ども達への十分な教育活動を提供できなくなっているからです。
ですが、それにかこつけて学校の感染症対策の緩和に反対するのは、問題が違います。
もう感染症対策で子ども達も、社会も疲弊しきっています。
こんな社会にしたのは誰ですか?
それは私達大人です。
だからこそ、大人が責任とって元の生活に戻すべきなのです。
それで部活が始まっても仕方ないではないですか。
まだ社会の理解が得られていないのだから。
でも、それはそれでコロナに関係なく闘いましょうよ。
勿論、子ども達の幸せを願う教師の姿として部活の問題を闘いましょうよ。
そうすれば、社会の理解も得られやすいのではないですか。
何故なら、我々は子ども達の利益のために働く全体の奉仕者だからです。
この騒動を通して、「子どもの利益のために働く」という意識を持った教育公務員になかなか出会えません。
教育委員会なんてホントに組織優先、保身ばかり。
ホント利己主義な方が増えましたね。
それでは、今回はここまでとします。
最後までお読みくださりありがとうございました。
またお会いしましょう。
したっけねー