私は薄情な人間だと、つくづく思う。

昨年の6月祖母が亡くなった。

行こうと思えば、行きたいと強く言えばいけた葬式にも行かなかった。

 

ラインで母から連絡がきたとき、涙もでなかった。

なんとなくぼーっとするような感覚に襲われたが、

何か祖母との出来事を思い出して悲しくなることもなく。

 

そんな自分が心がない人に思えた。

専門学生だった、二十歳手前の時に祖父が亡くなったときは

一晩中葬儀場で泣いていたのに。

 

祖母を思い出すとうっとおしい記憶しかない。

看護師の仕事をしている忙しい母といるよりも長い時間を共に過ごしていたとともう。

母よりもたくさん私のことを世話してくれた人だったと思う。

小学生、中学生の冬休み。

書初めの宿題をするために、1つの部屋に新聞紙をひいて、ヒーターで

部屋を暖めた状態にしてくれて、書くだけでいい状態にしてくれていた日々のことを毎年冬になると何故か思い出す。

大嫌いだったなぁ。書初め。大嫌いだったから思い出すのかな。

 

成人して社会人になってから何度か実家に帰省した。

懐かしい思い出に浸りたくて、よく祖母の家に寝泊まりもしたけど、

祖母と話すこと話題を見つけるのがいつも難しかった。

こんなに世話して育ててくれた人だというに、

どこまでいっても私はおじいちゃん子でおばあちゃん子にはなれなかった。

 

祖母の体が徐々に弱りはじめ、最後は言葉を発することもなくなっていたらしい。

もう亡くなる1年前頃に送られてきた祖母の写真は、私の知っている口うるさく元気だったころの姿はなく、

ハウルの城にでてくる、毒気を抜かれた荒れ地の魔女、をかなり細くしたような感じだった。

そのころにはコロナの影響で直接会えることはなくなってた。

いや、コロナなんて言い訳なんだよな。

なんでもコロナのせい、だ。

電話の一つもしなかった。

祖母が亡くなったと聞いた数日後母からラインで

「お葬式の時に孫たちからのメッセージを書いたものを一緒に棺にいれることにした。

代筆するからメッセージを送ってほしい」

と言われた。

亡くなったと聞いたときに涙も出なかった私が書けるんだろうか、と思ったが、

以外に指はするする動いた。

 

おばあちゃん。

一緒にいた時にはわからなかったけど、

今になっておばあちゃんのすごさがわかる。

毎日のご飯を作ってくれること。

生活するうえで不便の無いように世話してくれたこと。

孫とはいえ、自分の子でもない子をずっと世話をし続けてくれた。 

憎まれ口をたたかれても、いつも変わらずいてくれたこと。本当にありがとう。

おばあちゃんがいなかったら、今の私はいないだろう。

 

メッセージを打ってるとき、はじめて涙がでた。

 

 

おばあちゃん。本当にお世話になりました。

あなたの人生はどんな人生でしたか?

30を過ぎた今の自分で会いたかった。

今の自分なら聞いてみたいことの話題が尽きない気がするんだ。

おばあちゃんの誕生日もろくに覚えてない、自分のことばかり考えている孫でした。

誕生日は今でも言えません。

やっと今になって少し周りや家族に興味を持てるようになってきました。

お葬式もいかず、お墓参りもすぐにいかず本当にごめんなさい。

大人になって色んな人たちの話を聞いて、見て、いかに自分が恵まれていたのかと思うんです。



私はおばあちゃんの孫で幸せでした。

両親が離婚して、世間では私はシングルマザーの子供って見方だったのかもしれない。

もしかしたら可哀そうな子に見られてたかもしれない。

でも私は何不自由に感じることはなかった。

きっとおじいちゃんと、おばあちゃんがいつもいてくれたからだよね。



 

本当にありがとう。

何か小さなことでも、誰かの役に立てるようちゃんと生きるね。




ありがとう。

さようなら。