今年の5月で34歳になる。
いよいよ30代半ば。30代になって、20代のことを思い出す。
仕事も恋愛もとにかく不満が多かった時代。
仕事と恋愛のことで休みの日も心休まることなく泣くことも多かった。
心臓がキューーーッとなることもたくさんあったし、不安も多かったし、寝れない日もあった。
感情の起伏がジェットスターのように目まぐるしかった日々。。
20代半ば、原宿のとあるアパレルで勤務をしていた私は数年のアルバイトを経て正社員になった。
店長としての異動の辞令。
原宿という、全国の数百店舗の中でいつでも5位以内に入る売上の高い店舗。
私はイキってた。3番手として、スタッフとも仲良く、後輩を厳しく指導して、バリバリやってる自分は仕事が誰よりもできるって勘違いしてた。
そんな私が赴任地に選ばれた店舗。
聞いたこともない店舗だった。
初めて知った「土呂」という駅名。
それから数年、私はこの場所が大嫌いになった。
当時はあまり知られてなかったが、恐らく精神疾患を抱えてであろう、歳上のやたら攻撃的な副店長。スタッフは副店長の支配の元、味方になってくれず。生まれて初めて人間関係に悩んだ気がする。
せっかく仲良しの先輩と泊まりがけでディズニーシーに遊びに行ったのに、仕事のラインを長文で送ってくる副店長。それの対応に追われて台無しになったこともあった。腹立つ。
当時はお客様を鬱陶しく思うことも多かった。よくお客さんの悪口を言ってしまってた。自分のやり方や考えに沿わない人は疎ましく、それが行動になって現れて、お客様から直接キレられたこともあった。
店長読んで?え?あんた店長なの?やばくない?
頭が真っ白になって、言葉が出なくなったのを覚えてる。
とにかく逃げ出したかった。
どんどん、1日1日をなんとか乗り切る事が全てになっていく。すぐ会える距離に友人もおらず、休みの日は昼間からストゼロを飲んで酔っ払って寝る日々。恋愛をする気力もない。
いや、何度かマッチングアプリをしてデートをした挙句、3回目の告白を受けた時、そんなつもりはないと断って説教されたこともあったな。
今となっては顔も名前も思い出せない人たち。
勤務して2年経つ頃、もう本当に眠れなくなった。お酒を飲んで落ちるようにして寝ないと心休まらない日々。いやそんな寝方してるから結局休まってなかった。初めて精神科に行った。
診断書を必要だったら出すと先生が言ってくれて、それを全力で当時のSVに言った。
今だから思うが、嫌な環境から抜け出す為には、使えるものはなんでも使うべきである。
異動が決まった時、本当に嬉しかった。
貰った色紙にはなんにも感情がなかった。当時長かった髪に合うようにと副店長がくれた髪留め、絶対使わないと思った。
驚いたのは、厳しい事ばかり言って、正直疎ましくも感じていた1番下のスタッフが、個別で送別品をくれた事。アリスのハンドタオル。全然私のキャラじゃないやつ。その子の名前が思い出せない。今は何をしてるんだろう。
そんな色んな思い出。
主に嫌な記憶が色濃かった場所、に、今日降り立ってみた。
近くにあるスパハーブスに行くついでに、昔職場まで通った道を辿ってみた。
この道を歩きながら職場に向かう途中、いつも心臓がキューーーッとなって、今日はどんな事が起こるんだろうかと不安な気持ちで通った道。
今はなんの感情もわかない。
嫌なことたくさんあったはずなのに思い出せない。
そのまま直接店舗にもいってみた。
この辺だと大きいショッピングモールの中の1つのお店。
こんな小さな店だっけ?と思うくらい小さい。
あれ、こんなお見せだっけ?ってなるくらい。
驚くほど何も思い出せない。
懐かしいとも思わない。
私はここに通ってたっけ?本当に?
20代の頃、よく人生の先輩たちが「時間が経てば忘れる」ってことを何か嫌な思いをしたり辛かったことがあった時は言ってくれた。
1.2年じゃそれは実感できなくて、ずっと記憶として残るんだと当時は思ってた。
でも今となっては何も思い出せないくらいになってた。何も感じないことに特に寂しさも感じない。あれから5年は経ってる。
ふわふわした不思議な気持ちでモール内を歩き、小腹が空いたのでモスバーガーに立ち寄った。
ここの店員さんはとても親切丁寧で、持ち帰りのお客さまの為にドアを開けてお見送りをして、
トレーを返却場所で片付けようとするお客座には「こちらでやるから置いててください!」と元気よく声かけをまめにしていて...
あぁ、そうだ。
昔ここにきた時もいつもそうだった気がする。
やっぱり私はここで働いてたんだなぁ。
20代の私に会えるなら教えてあげたい。
「大丈夫、5年後は何にも思い出せないくらい、嫌な事忘れてるよ。だからそんな嫌な人たちに心を削る事ないよ」
大抵のことは、時間が解決してくれる。
ほんとの本当に。