『声』誌1997年10月号から


和田 幹男 神父 紹介

和田 幹男(わだ みきお、1938年4月26日 - )は、日本のカトリック教会の司祭。英知大学大学院人文科学研究科教授を務めた。現在、大阪大司教区カトリック関目教会主任司祭。

*生い立ち
宣教師に仕える伝道士の子として、神戸市に生まれる。4月29日幼児洗礼。霊名はパウロ三木である。

*学生時代
1961年上智大学文学部哲学科卒業。1963年上智大学大学院哲学研究科卒業。教皇庁立プロパガンダ・フィデ神学校、教皇庁立ウルバノ大学神学部入学。教皇パウロ6世により司祭に叙階された。1971年教皇庁立聖書研究所聖書学部卒業。

*司牧
1972年4月英知大学文学部神学科講師となる。同年から1987年まで新共同訳聖書旧約聖書の翻訳作業。1974年英知大学文学部神学科助教授となる。1975年尼崎教会助任司祭。1980年東京カトリック神学院モデラトール。1982年英知大学教授。1995年岡山ノートルダム清心女子大学大学院嘱託講師。2005年カトリック箕面教会主任司祭。2013年カトリック関目教会主任司祭(大阪梅田ブロック共同宣教チーム担当司祭)

『私たちにとって聖書とは何なのか』は、カトリック新聞に連載されたもので、カトリックの聖書霊感論の歴史を辿っている。



*著書
聖書学論集(日本聖書学研究所 山本書店 1981年)
聖書Q&A 旧約編(女子パウロ会 1988年)
聖書Q&A(女子パウロ会 1990年)
聖書年表・聖書地図(女子パウロ会 1989年)
聖パウロ(女子パウロ会 1996年)
宣言主イエス(教皇庁教理省 カトリック中央協議会 2006年)
創世記を読む(筑摩書房(こころの本) 1990年)
私たちにとって聖書とは何なのか―現代カトリック聖書霊感論序説(女子パウロ会 1986年)


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1.はじめに

聖書はどう読めばよいのか。 それぞれ好きなように読めばよいのではないか。 たしかに聖書は好きなように読んでよいし、そのようにでも読むほうが、読まないよりましでしょう。 しかし、それでよいのでしょうか。 わたしは小さい頃あるお兄さんに連れられて恋愛映画を見に行ったことがあります。 これは恋愛映画として傑作だったのですが、そこに出てくる馬に興味をもって見ていました。 この映画を作った監督さんがこれを知ったら、苦笑いするでしょう。聖書についても、同じことが言えましょう。

聖書をどう読むかということは、聖書解釈を専門とするわたしにとっても、重大な課題です。 聖書解釈は、あくまで聖書を正しく、深く読むための手段だからです。 聖書とはいかなる書物か、その聖書を読むのは何のためか、そのために聖書をどう読めばよいのかということは、 具体的な聖書解釈を行いながら常に意識しなければならないことです。 そうでないと、現に行っている聖書解釈そのものが、最終目的であると、勘違いしかねないからです。 聖書解釈は人間の学として様々な方法論を用いて行われるのですが、 そのそれぞれの方法論が有効かどうか、限界があるのかどうかの判断は、聖書解釈そのものからはなされません。 聖書解釈の専門家も、いっそう大きい視点からの聖書観、それに応じた読み方に耳を傾ける必要があると思います。

聖書とは何なのかという根本問題は、第2ヴァティカン公会議において総合的に検討され、その実りが『啓示憲章』に公表されています。 この憲章は、あらためて熟読したいものです。 その聖書論は、拙著『私たちにとって聖書とは何なのか』(女子パウロ会、1986年)の中で解説されています。

聖書をどう読むかを反省しようとすれば、現在参考にすべき文書があります。 それは1993年4月23日に教皇庁聖書委員会によって発表された『教会の中での聖書の解釈』です。 教皇ヨハネ・パウロ二世も、その発表当日の公式謁見においその作成にかかわった委員たちに感謝し、奨励されたのでした。 これは聖書の問題を扱ったレオ十三世の回勅『プロヴィデンティッシムス・デウス』発表(1893年11月18日)の百周年、 ピオ十二世の回勅『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』発表(1943年9月30日)の五十周年を記念しての式典でした。 聖書をどう読めばよいかについて、カトリック教会はこの百年そのときどきの疑問に答えてきたのです。 その流れをふりかえると、聖書を正しく深く読むために不可欠な示唆が与えられます。


2.問題の起源

聖書はどう読めばよいのかは、カトリック教会において19世紀の中頃から大きな問題となってきました。 それは主として聖書学者の問題でしたが、聖職者にとっては勿論のこと、信徒にとっても無縁ではありません。 どうして問題となったかと言いますと、当時現代的な意味での聖書学が起こったからです。 つまり、聖書をほかの古典書と同じようにその成立の歴史的背景を考慮し、 古代人の世界像を前提し、その固有の表現法を重視しながら批判的に解釈する方法が採用されはじめたからです。 現在では当然の方法ですが、これがはじめられた当時は聖書を批判的に解釈するとは何ごとかとされました。 聖書は啓示の書として、神がそのお考えを聖書記者に直接注ぎ込み、書くように意欲を起こさせ、 言葉も一つ一つ選んで間違いなく書かせたと信じられていましたので、 それを批判的に読むとは信仰そのものを否定することではないかと思われたのです。 聖書がほかの古典書と同じくその作成当時の歴史や地理、言語、表現法などの諸条件のもとで書かれたものであるとは、 あまり自覚されていませんでした。

他方、聖書学のほうも当初は未熟であったうえに、 聖書の成立とその内容をただ歴史的、社会的要因のみで説明し、超自然的な要因を度外視するかのようなこともあったのです。 この聖書学は特にプロテスタント学者や伝統的な信仰に批判的な学者の中で発達しましたので、 それだけでもカトリック教会はこれを危険視したのでした。 学問には批判はつきものですが、聖書を批判的に研究することにより、 キリスト教徒の中に信仰を疑い、棄てる者も出るのではないか怖れられたのです。 このような時代になって、聖書をいかなる書として受けとめ、どのようにそれを読むべきか、 教会として公式見解を示し、指針を与えようとしたわけです。 その最初の教皇文書がレオ十三世の回勅でありました。 また同教皇は、1902年には教皇庁聖書委員会を創設し、健全な聖書学の育成を計ろうとしました。

実際にはキリスト教信仰をこの世界内の因果関係で説明し、 超自然的啓示を疑問視するモデルニスムスに対する自己防衛のキャンペーンに終始しました。 問題視されるようになったモーセによるモーセ五書の著作性や 預言者イザヤによるイザヤ40-55章の著作性を伝統的な立場にたって擁護したのでした。 このような状況のもとで、信仰心の熱いカトリック聖書学者も異端とされるのではないかと怯え、自由に研究できませんでした。 他方、このような圧力のないプロテスタントの学者の中で、聖書学はますます促進されたのでした。 ドミニコ会士M・J・ラグランジュはプロテスタント聖書学に正しく有効な限り目を開き、 エルサレムにエコール・ビブリックを興し、 今日のカトリック聖書学の基礎を築いたのですが、苦しい思いをさせられたのでした。 ただし、教皇庁聖書委員会は当時の聖書学ではまだ証拠不十分だということで新説を認めないが、 聖書学者を励まし、研究に扉を閉じたわけではありません。


3.第2ヴァティカン公会議以前

時代が進み、古代オリエント各地の発掘調査も盛んに行われ、 聖書もその歴史的背景のもとで解釈しなければならないことが明らかになってきました。 ピオ十二世は、1943年に発表した回勅ではじめて公式に様式史的方法を聖書に用いることを認めました。 つまり、聖書は現代とは異なる古代の様式で書かれているので、それを考慮しないと元来の意味は読み取れないということです。 ただし、様式史的方法を福音書に用いることには、当時この方法論の立役者R・ブルトマンの聖書解釈には、 ほかの問題があったためか、保留されました。

福音書の解釈についてきわめて重要なのは、 1964年に教皇庁聖書委員会によって公表された文書『福音書の歴史的真実性に関する指針』です。 これは、手に入れがたいかもしれませんが、翻訳されています (上智大学神学会編集『カトリック神学』第6号、1964年12月、146~163頁)。 その内容は、福音書が伝えることを正しく判断するために、 歴史的人物としてのイエスが活動された段階、 使徒たちがそのイエスについてその死と復活の後に告げ知らせた段階、 その伝承を福音書の著者が書きとめた段階と、 この三つの段階を十分自覚するように呼びかけたのでした。

それはどういう意味かと言いますと、福音書を読めば、まずその著者の観点からのイエスが示されている、 換言すれば福音書に書かれていることは、そのままイエスが語り、行われたことを記録したものではないということです。 福音書は、まずその著者の著作意図に注目して読むべきだということなのです。 それはその著者の信仰の証しなのです。 これを明らかにしようとするのが、 1950年代にブルトマンの問題を乗り越えたプロテスタントとカトリックの聖書学者が用いはじめた編集史的方法の目指すところなのです。 福音書の著者は受け取った伝承を明確な意図をもって書き換えたり、書き足したり、解釈を加えたりして、 つまり編集作業をして福音書を書き著しているからです。 またその著者が伝承からイエスについて多くのことを受け取っていることも事実です。 ですから、その伝承の段階でイエスがどのように見られて伝えられたのかが研究の対象になります。

この段階のイエスも、その死と復活に基づいてメシア、つまりキリストとして信仰の目で見られていることは、言うまでもありません。 ここで、かつてブルトマンは、 福音書にはこの信仰されたキリストが読み取れるが、 歴史的人物としてのイエスについては何も読みとれないし、またそれを問うてもならないと主張しました。 が、この指針は福音伝承の起源に歴史的人物としてのイエスがおり、 このイエスが実際に行われたことや言われたこともかなり伝わっているとしています。 このことは、『啓示憲章』第19項に取り入れられました。


4.第2ヴァティカン公会議

第2ヴァティカン公会議(1962~1965年)も短くではありますが、『啓示憲章』第12項で聖書解釈について書いております。 これは疎かにできないものです。 その中で、特に聖書記者が「何を意味しようとしたか」、 つまり何を言っているかではなくて、何を言おうとしているか、その意図を読みとる必要があると強調しています。 わたしなりに聖書の文章を読むのではなく、その著者が何を言おうとしているのかを汲み取ることが重要だというのです。

このようにわたしたちは自分の殻を破って成長できるからです。 またかつてのようにカトリックはカトリックなりに、プロテスタントはプロテスタントなりに聖書を解釈するのではなく、 カトリックもプロテスタントもそのように聖書を読めば、一致への道が開けるのです。 聖書記者と言われていますが、それは聖書中の各書、各文の著者である人間のことです。 その人間の言葉をとおして神の言葉が与えられたということは、聖書と聖書を受け継いできた教会の信仰です。 わたしたちもこの信仰を受け取り、人間の言葉として十分評価しなければ、神の言葉としても十分評価できないと考えます。

ですから、古代のユダヤ教を背景に生活し、それぞれ個性をもった聖書記者の文章として注意深く読まなければならないというわけです。 聖書各書の著者は、具体的にどのような人物であったか、わからない場合が多いでしょう。 パウロの手紙の場合は別ですが、各福音書の著者になると、その著者がどのような人物であったか、詳しくはわかっていません。 しかし、「文は人なり」と言われるように、文を見ればその人についてかなり読み取れます。 その文章からその著者が言おうとすることを読みとろうと努めるなければなりません。

他方、言っていることと言おうとしていることは、かなり違います。 桃太郎が犬、猿、雉を連れて鬼ヶ島に鬼退治に行ったという物語があります。 これはこの物語が言っていることです。 この物語が言おうとしているのは、 この世の悪を退治するためには一人のリーダーのもとで不仲の者も協力しなければならないということでしょうか。 同様に、神が六日で天地を創造し、7日目に安息なさったという創世記の冒頭は、 神が7日間で天地を創造されたということを言おうしているのでしょうか。 もしそうなら、ビッグバンで始まり、45億年をかけて成立した地球が常識となっている現代、 聖書は無意味なものになるのではないでしょうか。 イエスが一言で嵐を鎮めたという話(マルコ4・35~41)も、この奇跡を奇跡として言おうとするものなのでしょうか。 この話を書いた著者マルコの意図は何であったかと問わなければなりません。


5.第2ヴァティカン公会議以後

第2ヴァティカン公会議以後、教皇庁聖書委員会は1971年パウロ六世によって教理省に属するものとされ、 その長官(現在J・ラッツィンガー枢機卿)のもと20名の各国の聖書学者によって構成されるようになりました。 1984年には『聖書とキリスト論』という文書を公表し、多種多様なキリスト論が提唱され、 真正なイエスを求めようとすると戸惑いを覚える現状にあって進むべき道を示そうしました。 この文書はわたしにとってきわめて貴重な指標になっています。

さらに1993年には『教会の中での聖書の解釈』が公表されました(東門陽二郎神父さまの日本語への全訳があり、公刊を期待します)。 第2ヴァティカン公会議でカトリック教会においても歴史的批判的研究法が認められ、 その方法によって聖書学は盛んになったのですが、それにも限界があることが見えてきました。

この方法によって聖書本文の成立やその元来意味するところはかなり明らかにされたのですが、 多くの問題は確かな解答をえられないまま、ただ難解さだけが目につくようになりました。 聖書学の実りのなさ、不毛さが口にされるようになりました。 他方、聖書の本文が元来言おうとすることだけではなく、 その本文が現在生きている我々に何を訴えているのかを教えてくれなければ、聖書はもはや意味のある書ではないでしょう。

そういう観点から従来の聖書学に新しい方法論が適用されるようになりました。 聖書本文に修辞学から、あるいは語りの手法から、あるいは記号論から、またはユダヤ教、キリスト教の伝統からの種々の見直し、 さらには社会学、文化人類学、心理学など人文諸科学の援用による試み、さらに解放の神学やフェミニスト神学からの聖書への接近など、 色々な方法が試みられるようになりました。 この公文書について一言だけ言えば、現時点における聖書学の方法論をほとんど網羅し、そのそれぞれを紹介し、評価しています。

これは多くの専門家の共同作業でしかできないもので、 歴史的批判的研究法で聖書の解明に努めているわたしにとって、きわめて有益な文書です。 その色々な方法論は、それぞれそれだけで絶対視されてはならないが、有効なものであると評価されています。 ただし、一つだけファンダメンタリズムについては、明らかに不適切であり、危険であると判断されています。 これは、たとえば創世記第1章にある神による7日間の天地創造や嵐を鎮めるイエスの奇跡を聖書が書いているとおり、 そのまま受け取るべきだという主義主張を言います。 これは、カトリック教会の聖書解釈から外れているということです。

 

 

 おしらせ

 

 

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http://www1.cncm.ne.jp/~toguchi/ozaki_catholic/00.htm