祖父と父が話してくれたこと | 地球の片隅より  

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タイトルを変えました。
何故かって?
それはね
娘たちにココを知られるのがイヤだからです。
私、内気なんです。ごめんなさい。

        ameあられ

この時期になると 思い出します。

 

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山口県に住んでいた

明治生まれの祖父が話してくれたこと

 

 

 

 

その日は広島にいて

ふたつの班に分かれて出発した。

 

ひとつは市内に向かい

おじいちゃんたちは市外に向かっていた。

 

そして

広島に原爆が落ちるのを見た。

 

市内に向かった仲間たちの安否を心配し

おじいちゃんたちは すぐ広島市内に向かった。

 

そこには・・・

 

 

(話しながら おじいちゃんは泣いていた)

 

 

小学校に着いた。

 

校庭にたくさんの子どもたちが死んでいた。

 

死んでいる子どもたちに向かって

おじいちゃんは言った。

 

 

化けて出て来い。

親のところに連れていくから

化けて出て来い。

 

 

 

 

 

歩いていると

男か女かわからない人が 近づいてきた。

 

食べるものが欲しい。

私も連れていってください。

 

 

おじいちゃんは持っていた餅を渡した。

 

でも、その人は

口の中も被害を受けていて

食べることができなかった。

 

 

一緒に歩いていたら

その人が言った。

 

もう歩けません。

 

 

 

 

 

おじいちゃんは言いました。

 

戦争は絶対してはいけない

 

 

 

 

おじいちゃは百歳近くまで生き

最後は皮膚がんで亡くなりました。

 

 

 

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私と娘たちは

 

おじいちゃんの話を聞いた後、

 

広島の原爆ドームに行きました。

 

 

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大正生まれの父は

機関士でした。

 

その父が亡くなる前

若いときの写真を見ながら

私と娘たちに国鉄時代の話をしてくれました。

 

その中から少し。

 

 

 

 

機関士や機関助士が

たくさん戦争に引っ張られていった。

 

自分は10代で国鉄に入り

機関士になった。

 

 

機関士と機関助士は

どんなことがあっても

機関車から離れてはいけなかった。

 

戦争中、機関車も狙われた。

機関車の中で機関士と機関助士がたくさん死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             合掌