発達障がいの育児・失敗も気づき | グレー時々ADHDの子育てブログ

グレー時々ADHDの子育てブログ

診断名は出てないので、いわゆる「グレー」
でも、やっぱりADHDかも?
そんな息子との毎日を綴ったブログです。
たくさんの出会いを
楽しみにしてます

追記 2014年9月 広汎性発達障害、ADHDの診断がおりました

修学旅行を終えて






徐々に日常を取り戻しつつあり






とともに、いつもの長男もとりもどしつつあり…






 学校の日は、どうしても朝からダラダラして、言わなければやらないというのが毎日






着替える、歯磨き







たったこの2つが毎日毎日できない






これまで色々工夫してできるようにとしてきたけれど、それでもできない







かと言って、言わなければ時間に間に合わないので、言わざるを得ない






でも言ってもできない






「待って」




「わかった」






そして、いつまでもやらない






時間に間に合わなければ、学校行けないんだよ






と、言うと






「やだ!ちょっとまってや!今やるからっ!ねぇ、聞いてんの!やるから待ってってば!ねぇ!」






と、言って、やらない(笑)






いや、ただ、準備をしてほしいだけなんですよ!







今朝もそう






ダラダラダラダラして






声かけてもやらず






そのうち、





「次男!あそぼう!」





と、遊び始め





最初は毎回仲良く遊んでいても、必ず次男の使ってるものをとったり、





「これ、にいちゃんの〜」






と、当然次男が使ってたものをとったり、次男が嫌がることをしてみたり





それに次男も怒り、大声出したり






見事に同じパターン






1日にやらなければいけないことも、スケジュールにして紙に書いたり、ポイント制にしたり、色々やってきてもダメ
何年同じこと続けてるんだか…







なんか言えば






「何時何分何秒、地球が何回回ったときに、言ったんですか〜?」






腹立つ(笑)






はたまた、なんか伝えようとすれば






「ララララ〜♫」






と、歌い始め、聞こえないふり






まぁ〜腹立ちますよね(笑)






ただ、苛立ってばかりいたところで、何か解決するわけでもなく、長男の将来に良いことがあるわけでもなく






腹が立ちながらも、こちらも考えるわけですよ






手を変え品を変え





でも、高学年になると思春期も多少加わってくるので、子供騙しでは効かなくなり、どんどん手立てが難しくなる






もっともっと小さなうちから、ちゃんとした療育を受けさせていたら少しは違ったんだろうか…






なんて、思ったりもします






専門家の元での早期療育、できることに越したことはないです





でも、うちは、検診ではなんにも引っかかっていません






言葉もおそくないし、特にものすごく育てにくさを感じていたこともなかった





保育園の上の年齢になって、初めて集団行動ができないと指摘され、病院に行ってみたものの「個性の範囲内なので大丈夫だと思いますよー」と、言われ






この時に、セカンドオピニオン的なことまで考えもしないです






小さいうちの診断は難しい





だからこそ、その小さい内に、指摘され適切な療育を受けれる環境にいれることは、とても素晴らしいことだと思います






これから、という小さな時に、突然、発達の遅れを指摘されるのはすごくすごく、親としては心苦しいことだと思います






でも、将来的に考えると、とても良い環境にいることは間違いないです






うちは発達の遅れがなかったから、どんどんどんどん、対応が遅れました。
大丈夫だよ、そのうち良くなるよと。





それでも小学校2年生からでも、取り組めたことは早い方だと思っています






でも、それでも現実は甘くはなかったです






もっとできることがあったんじゃないか
やり方が間違ってたんじゃないか





と、思うことはしょっちゅうあるけれど、
それでも真剣に向き合ってきた事実は事実であって、そのおかげで、できることもたくさん増えたことも事実であって






結果としては、自慢できるような結果にはなってはいないですけどね






その時々の状況や性格、色んなことを加味して、今はこうすることがきっと良いんだと信じて対応をしてきたつもりです






先日、長男がお世話になっているクリニックの先生のセミナーに参加してきました






その一部がとても印象に残っています


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親御さんが、そういう関わりをするまでのプロセスを見ていない、親御さんがその関わりを、どういうステップで選択するまでに至ったかというところが見えないまま、最終結論の対応だけ見て、あーそれだったら、そうなっちゃうよ、と思ってしまう



けれども、おそらくその前にはものすごく努力をされ、手を変え品を変えやっていてる


でも、結局、第三者的に見ると
365日共に生活をしないという条件の元で見ると、それはマズイんじゃないかと批評として言える



しかし、その生活に入った途端に同じことをしている自分というのが見えるくらいの後天性の関わりにくさというのが見えてくる




これは、生活を付き合って見ないとわからない


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このお話を聞いて、とても素晴らしい主治医に出会えたなと心から思いました






目先の対応だけ見て批評する





これは、発達障がいうんぬん関わらず、
どんな場面でもありえる話で、私も含め、人って、他人のことは客観的にどうとでも言えますよね






でも、よく考えると、自分達にはわからない、そこまでのプロセスが、その人にはあって、それは他人の自分には、わかるはずがなくて






なんか、当たり前のことのはずなのに、
気づかないうちに、自分の方がわかっている的な態度になっていないだろうか





といったことに気付かされた気がします






そして、この先生は常にこういう気持ちで私達に向き合ってくれているんだな、と、本当に、この先生に巡り会えて良かったなと思うと同時に






結果的によくない方向にいっている今を悔やんで、後悔するばかりでいる必要はないのかなと






これまで辿ってきた自分達のプロセスを後悔するのではなく、結果的にこうなってしまった今とこれからを、どういうプロセスを辿っていくか、の方が大事なんだと思うのです






ただ!






このブログは、自分の本音を吐き出すところでもあるので、これからも変わらず泣きも笑いもします(笑)







そして、理解されにくい発達障がいの育児の現実を伝え続けていきたいです