世界は静まり返っていた。
すべての祈りは届き、すべての光は照らされ、
すべての秩序は完成したはずだった。
だが、天空の高みに立つ私には、
違和感があった。
「秩序に、亀裂が走る……」
その音は聞こえない。
光の中で、闇が忍び寄る瞬間は、
感じるものだけが知ることができる。
堕天の子――ノアが動いた。
彼は光と闇を共に抱き、世界樹の根元に立つ。
世界樹――すべての命と時を繋ぐ神の樹。
その幹に触れた瞬間、
秩序は微かに揺らぎ、葉が銀色に光った。
「この者は……私の意志を超えたか。」
私は試した。
神の沈黙をもって、彼を裁き、闇を押し戻す。
光の槍は大地を貫き、秩序の音が轟く。
だがノアは動じなかった。
彼の瞳には、私が見落としていた“人の選択”が宿っていた。
「神よ――世界を決めるのは、あなたではない。」
その声は、天の秩序を揺さぶった。
闇と光がぶつかり、世界樹の裂け目が生まれる。
根が裂け、幹が軋み、葉が宙に舞う。
アズラ――悪魔もまた、彼の隣に立っていた。
かつて私が見捨てた者。
闇を抱き、孤独の中で“人”を守る者。
「神よ。秩序は壊れるべきではないか?」
私は答えを持たない。
秩序とは、正しい選択だけを保証するものではない。
むしろ、正しいものなど存在しないのだ。
ノアは手を伸ばし、裂けた世界樹を抱きしめる。
その瞬間、光と闇が交わり、
秩序は崩れ、そして再構築される。
「なるほど……これが“祈りの力”か。」
人は神を信じるだけでは救われない。
祈りは届かぬこともあり、絶望は光になることもある。
そしてその絶望を受け入れ、選ぶ力こそが、
新しい秩序を生む。
私は沈黙した。
光は裁くものではなく、導くものであることを、
初めて、理解する。
「堕天の子よ……世界は、そなたに委ねる。」
ノアは微笑む。
アズラも微笑む。
「秩序も混沌も、私たちが抱いて生きる。」
そして世界樹は再び芽吹いた。
裂けた幹から新しい枝が伸び、
光と闇が互いに寄り添い、風に揺れる。
神は天に立ち、沈黙の中で微笑んだ。
世界は終わらない。
秩序も破壊も、すべては選択の中で生まれる。
「もしも悪魔がいたのなら――
そしてもしも人が、堕天の子を生んだのなら、
それは、私が見落とした“祈りの真実”そのものだ。」
天と地の狭間で、光と闇が手を取り合う。
静寂の中で、世界は新たな呼吸を始めた。
――終わりではない。
すべての物語は、選ぶ者と、抱く者によって続くのだ。
──Fin──



