夜明けは、音もなく崩れた。
世界は白く、音を失い、祈りすら届かなくなった。

ノアはその静寂の中で目を覚ました。
胸の奥で何かが囁く――
それは「神の声」と呼ばれるものだった。

――ノア。
そなたは光を継ぐ者。
闇に触れるべからず。
悪魔を赦すな。

その声は冷たく、そして懐かしかった。
幼いころ、夢の中で何度も聞いたあの声。
けれど今、ノアの心は震えていた。
「神の声」が命じるままに歩くことが、
本当に“正しさ”なのかが、もうわからなかった。

かつてノアを救った“影”がいた。
名はアズラ――堕ちた天使、今は悪魔と呼ばれる存在。
彼はいつも夜の片隅で、ノアに語りかけていた。

「ノア、光は時に残酷だ。
だが闇もまた、真実を映す鏡だ。」

その言葉の意味を、ノアは理解しきれなかった。
だが今――神の声に触れたとき、
ようやく彼は“恐怖”という名の理解に辿り着いた。

神の声は、あまりに完全すぎた。
疑う余地のない光。
そこには温かさも、痛みも、選択もなかった。

ノアは叫んだ。

「なぜ、光はすべてを赦さない!?
罪も、憎しみも、愛も、
すべて“闇”として焼き尽くすのか!」

天空が裂け、黄金の雨が降り注ぐ。
神の沈黙は、形を持ち始める。
声なき声――
世界のすべてを「正す」ための無音の裁き。

その時、アズラが現れた。
羽はもはや焦げ、目には悲しみが宿る。

「ノア……それが神だ。
完全な光は、何も見えぬ闇と同じ。
君がその声を信じ続ける限り、
この世界は滅びる。」

ノアは涙を流した。
神の声と悪魔の声――
そのどちらも、愛に似ていた。

神が問う。

「ノア、おまえは私を信じるか?」

悪魔が囁く。

「ノア、君は“自分”を信じられるか?」

ノアは震える唇で答えた。

「……僕は、どちらも信じる。
神も悪魔も、僕の中にいる。
ならば僕は、光を喰らい、闇を抱く。」

その瞬間、ノアの背に翼が現れた。
片方は白く、もう片方は黒い。
天と地の狭間で、彼は初めて“自分の声”を得た。

「僕はノア。
光でも闇でもない、沈黙の継承者。」

彼の叫びは、神の沈黙を裂き、
世界に“選ぶ”という痛みを取り戻した。

アズラは微笑んだ。
「やっと会えたな――堕天の子。」

ノアはうなずいた。
「僕が堕ちるのなら、それでいい。
 ただ、救いを形にしたい。」

そして二人は歩き出す。
光と闇が交わる、その“無音の世界”を。

――神の沈黙は、終わりを告げた。
だが人の沈黙は、これから始まる。