部屋のカーテンを開けたのは、半年ぶりだった。
差し込む光に目を細めながら、健太は思った。
――ああ、太陽って、こんなにまぶしかったっけ。
大学を辞めてからの三年。
仕事もせず、友達もおらず、昼夜逆転したまま過ごしてきた。
スマホの通知は、ほとんど広告ばかり。
人との会話は、コンビニの「温めますか?」くらいだった。
それでも今日は、なぜか外に出てみようと思った。
理由は特になかった。
ただ、夢の中で誰かが言ったのだ。
「外に出たら、何かが変わるよ」と。
ジャージのまま玄関を出ると、空気が冷たくて、少し痛かった。
季節はいつの間にか、春の終わりになっていた。
風に乗って漂う花の匂いが、どこか懐かしい。
坂道を下っていく途中、公園のベンチに一人の女性が座っていた。
白いワンピースに、少しだけ寝ぐせのような髪。
スマホを持たず、ただ空を見上げていた。
「……久しぶりの人間発見だ」
健太は心の中でそうつぶやき、通り過ぎようとした。
だが、女性がぽつりとつぶやいた言葉が耳に引っかかった。
「雲、ドラゴンみたい」
思わず、空を見上げる。
確かに、長い雲が翼を広げているようにも見える。
「ほんとだ。火を吹きそうですね」
健太の声に、女性は振り向いた。
その瞳は、不思議なほど透明だった。
「見える人、少ないんだよ。そういうの」
「自分も、外に出るの久しぶりなんで……」
「私も」
二人は、少し笑った。
気づけば、日が沈むまで話していた。
好きなアニメの話、昔の失敗談、将来の不安。
どの話題も、驚くほど自然に続いた。
まるで、ずっと前から知っていたように。
「また、会える?」
帰り際、彼女が小さく言った。
健太は少し考えたあと、うなずいた。
「うん。明日も、同じ時間に」
彼女は笑って、夕暮れに消えていった。
名も知らないまま――でも、それで十分だった。
久しぶりに外に出て、太陽の下で、風に当たって。
誰かと話して。
それだけで、世界が少しだけ動き出した気がした。
健太は帰り道、空を見上げる。
雲はもう、ドラゴンの形をしていなかった。
けれど、心の中には確かに、何かが燃え始めていた。
――人生は、きっとまだ、終わっていない。
